九死に一生の初再生(ファースト・プレイ)
―――死ぬ。
頭の上を通り過ぎた『何か』が、背後のコンクリート壁を一瞬で消し飛ばした。
鼓膜を震わせる爆音と、肌を焼くような熱風。
「ゲホッ、ゴホッ……! なんだよ、これ……っ!」
白瀬湊は、激しく舞い上がる砂煙の中で必死に咳き込んでいた。
つい数時間前までは、本当にただの、どこにでもある平和な春の一日だったのにだ。
今朝の湊は、新しく買ったばかりの、どこの高校にでもあるような、普遍的で、可も不可もないような制服に袖を通していた。
「早く出ないと遅刻するよー!」という母親の小言を背中で聞き流しながら、食パンを咥えて家を飛び出す。
昨日は引っ越しの作業を一日中していたから、疲れて少し寝坊してしまったのだ。
水録市にあるごく普通の、異能力とは縁のない高校。とは言っても、門限になったら自動でロックされる校門や、転移機能のある車とかの、超常現象由来の技術で作られた物はちらほら見かけはしたが。
とにかく、そこに入学した湊にとって、今日はただの『少し真新しい、平穏な高校生活初日』になるはずだった。
放課後、新しくできた友達と「明日は、帰りにコンビニで買い食いでもしようぜ」なんて、本当にくだらない約束をして別れたばかりだったのに。
それが、なぜ。どうして今、自分は崩壊した高架下の路地裏で、地面を這いずり回っているのか。
「おいおい、水録学園のエリート様が、その程度かよぉ!」
砂煙の向こうから、日常を木っ端微塵に破壊する、歪んだ男の声が響く――。
「くっ……! 一般人を巻き込んだな、テロリストめ……!」
それに返すのは、凛とした、しかし確実に消耗している少女の声。視界がわずかに晴れる。湊の目に飛び込んできたのは、今までの人生で経験したことがなく、これからも経験することはないであろう『戦場』だった。
一方は、背中に炎の翼を纏った少女。胸元には、国内最高峰の異能者育成機関――『水録学園』の校章が輝いている。
対するは、両腕を異形の岩石へと変貌させた、大柄で屈強な男。指先から弾丸のような岩塊を高速連射し、周囲の建物を容赦なく破壊し尽くしていた。
(異能力者同士のガチの殺し合い……!?)
20年前の『水録異変』以降、この街では珍しくない光景なのかもしれない。だが、それは特別な才能を持つ『選ばれた人たち』の世界の話だ。
ラノベとかでよく見るチート能力なんてものはない、正真正銘の無能力者――ただの一般人である湊にとっては、目の前に映る光景は流れ弾一発で命が吹き飛ぶ、不条理な世界でしかなかった。
「これで終わりだ、嬢ちゃん!」
男の腕がさらに巨大化し、周囲の瓦礫ごと少女を圧殺せんと振り下ろされる。
少女は炎の盾を展開するが、限界を迎えたのか、その防御は脆くもガラスのように砕け散った。
「あ――ぐぅあっ……」
少女が弾き飛ばされ、力なく地面を転がる。
そして、運の悪いことに。
岩石の男の凶悪な視線が、少女の斜め後ろ――瓦礫の影に隠れていた湊へと向けられた。
「あぁ? なんだ、まだ人が残ってたのか。」 「っ……!?」
「まあいい。両方まとめて肉塊にしてやる!」
より巨大さを増していく岩の拳。
こちらを嘲笑うかのように、ゆっくりと余裕そうに近づく足音。
湊の頭脳が、生存本能が、一瞬で「死」を理解する。逃げる足も、防ぐ力も、何一つ持っていない。
(あの女の子、可愛かったな―――)
あまりにも理不尽な死を前にして、怒りと恐怖すら通り越してしまった。
今考えるべきではないような現実逃避の思考が、脳裏をよぎる。
その時だった。
無意識に動かした湊の指先が、地面に転がっていた『何か』に触れた。
視線を落とすと、そこにあったのは冷たい金属の質感を放つ、重厚感のある黒色をした時計のような形の機械。
そして、そのすぐ横に落ちていた、横幅3センチ、縦幅5センチほどの小さな物体。
それは、今の時代には誰も使っていない、古めかしいカセットテープの形をしていた。
しかし、その表面のラベルには、禍々しくも神々しい文字が刻まれている。
『――DRAGON――』
なぜか、視線が吸い付けられた。湊の直感が、猛烈に叫んでいた。
――これを使わなければ、今ここで確実に死ぬ!
「うおおおおおおおっ!!」
湊はなりふり構わず、その機械を右腕に押し込んだ。バチッ、という音とともにベルトが生き物のように勝手に腕にロックされ、ちょうどカセットテープが入りそうなスロットが生成される。
震える左手で小さなカセットテープを掴み取り、側面に空いたスロットへと、勢いよく叩き込んだ。
カチッ。心地よい、しかし重々しい装填音が響く。
「おとなしく肉塊になりな!」
それと同時に、男の怒号とともに巨大な質量が眼前に迫る。
その時、
【 Cassette Lock! ――RECORD No.0『 DRAGON : normal 』Play Start. ――】
腕に装着した機械から、聞いたこともない無機質な音声が流れた。
次の瞬間。
「ハ……ッ!?」
岩石の腕を持つ男の動きが、完全に止まった。
いや――男の放った渾身の拳が、空中で強固に『静止』させられていた。
「な、に……っ!?」
男が驚愕の声を漏らす。振り下ろされた巨大な岩の拳。それを正面からガシッと受け止めていたのは、蒼く、淡い光に包まれた湊の右手だった。
満身創痍の少女は、地面に伏せたまま、凍りついたように湊を見つめていた。
彼からは魔力や異能の気配が一切しない。だから彼は無能力者だろう、と彼女は思っていた。
実際、彼女の持つ『超常現象観測計』も、彼自身には何の異能反応も示していない。
なのに、彼は異能力を発動させている。
チカチカとエラーを吐くように振動する観測計に気づき、ふと目を落とす。
画面に表示された異能反応を見て、少女は息を呑んだ。彼のいる場所から、現代科学の枠組みを置き去りにするような、途轍もなく強い『未知の出力』が発生していたのだ。
(どういうこと……? 何がどうなっているの……?)
どれだけ頭を回転させても、答えは出ない。
ただ、今の自分にできるのは――目の前で起きた、あまりにも異常な事態を見届けることのみ、ということを少女は痛感していた。
「おおおおおっ!!」
湊が腕に力を込めると、男が異能で装着していた岩の拳がみしみしと音を立てて砕け散った。
そのまま圧倒的な力で弾き飛ばされ、地面を転がるテロリスト。
「化け物め、何なんだその力は……っ!」
男は負傷した腕を抑え、恐れをなしたようにバックステップを踏むと、煙幕の手榴弾を地面に叩きつけた。
次の瞬間、激しい煙幕が辺りを包み込む。だが――湊に、このテロリストを逃がすつもりなど毛頭なかった。
「はああああああっ!」
直後、湊の背中に淡い蒼い光を放つエネルギーが集合して、竜の翼が生成された。
その翼を力強く羽ばたかせ、路地裏に立ち込める煙幕を一瞬にして吹き飛ばす。
「なっ……!?」
それでもなお、必死に逃げようとする男。
すかさず湊は、新たに腰のあたりに生成された頑強な竜の尾の形をした、エネルギーを叩きつけた。
激しい衝撃音とともに、男の巨体が派手に吹っ飛ぶ。コンクリートの壁に叩きつけられた男は、完全に気絶したのか、ピクリとも動かなくなった。
【 Cassette Off. 】
男の無力化を確認し、湊は右腕の機械からカセットテープを引き抜いた。それと同時に、一瞬にして凄まじい疲労感と、全身の筋肉が千切れ飛ぶような激痛が湊を襲う。
「が、はっ……、ふぅ、っ……!!」
一般人の肉体が、ドラゴンの超常的な記録を出力した反動に耐えられるはずがなかった。
湊はその場に崩れるように膝をつき、激しく肩を上下させる。そんな湊の前に、すっと影が落ちた。
「……大丈夫?」
先ほど倒れていた、水録学園の少女だった。
ボロボロになりながらも、彼女は湊の腕に装着された『謎の機械』を、息を呑んで見つめている。
「あなた……異能の気配が一切ないのに、なんであんなことができたの?」
「ただの一、般人が、知って、るわけな、い、だろ……。」
息も絶え絶えに答える湊。
少女は驚いたように丸く目を見張ったが、すぐにフッと優しく、どこか不敵な笑みを浮かべて、泥だらけの手を差し伸べてきた。
「ただの一般人が、テロリストを退治しちゃうんだ。……ふふ、面白いね。」
彼女の背後で、ようやく到着した警察組織『超常対策課』のサイレンが、遠くから喧しく鳴り響き始める。
少女は風に乱れた髪をかき上げ、まっすぐに湊の目を見つめて名乗った。
「私は水録学園1年、蓮城 陽菜。助けてくれてありがとう、一般人のヒーローさん」
遠ざかっていく意識の暗闇の中で、湊は思った。
これで俺の平穏な高校生活は、初日にして完全に終わったのだ、と。




