別世界(アノマリー・フィールド)の番人を超えて
まだ何一つ解決していない。
外界から完全に遮断された車内で、湊は再び右腕のガントレットへと視線を落とした。
『――こちらドライバー! 中間領域の限界だ、空間の壁が崩落してくるぞッ!!』
前方の隔壁から操縦士の悲鳴に似た怒号が響く。
直後、装甲車そのものが横転しかねないほどの凄まじい地鳴りが車体を襲った。
学校の校庭に居座っていた、あの校舎の3階に差しかかるサイズの怪物の咆哮が、装甲一枚を隔てたすぐ向こう側から空間をビリビリと震わせる。
目
【 Switch Complete. Mode : Reject Barrage 】
9つのスイッチを全て押し終わると同時、無機質なシステム音声が車内に鳴り響いた。
それと同時に、【超現実値観測計】のディスプレイのノイズが晴れ、外部の標的を捉えるための『操縦画面』へと滑らかに切り替わる。
「いけッ!!」
隊員がコンソールのトリガーを押しこむ。中間領域の闇に潜む怪物へ向け、車体の後ろに設置されている2つのタレットが『正常処理弾』をフルオートで猛連射し始めた。
ガガガガガガガガガガガガッ!!!
車内を激しい発射振動が包み、重低音と共に弾倉が空になっていく。
この『正常処理弾』は、超常現象とは真逆の力が込められた、対アノマリーの最高峰兵器だ。
当たった対象が超常の物ならばその存在を根底から消滅させ、超能力者に当てればその能力を強制的に弱らせる。超常の余波すら徹底的に排除する力。
画面の向こう、正常処理弾の直撃を受けた怪物の身体の部分にある赤黒い泥や岩石が塵となり、消滅していく。確かに、警察組織の切り札の威力は絶大だ。
「……効いてる! 奴の超常物質を消滅させてるぞ!」
しかし、操縦画面を凝視していた隊員の歓喜は、次の瞬間、絶望の悲鳴へと変わった。
「なっ……バカな!? 消滅したそばから、もう再生してやがる……っ!」
弾丸によって消滅させられた怪物の肉体が、それをさらに上回る異常な速度で、周囲の赤黒い霧を巻き込みながら瞬時に修復されていくのだ。どれだけ正反対な力で消し去ろうとも、今回の超常現象が持つ圧倒的な回復力の前にはキリがない。
当て続けていれば、いずれは倒せるだろう。しかし、倒しきる前に弾が尽きてしまう。
直後、怪物が放った巨大な岩石の塊が、特殊車両の強固な装甲へと真正面から直撃した。メキメキと車体が歪み、右奥にある冷蔵庫型の大型機材ボックスからバチバチと激しい火花が吹き上がる。
「クソッ、装甲がもたない! ここまでか……!」
絶望が車内を支配する。学校は呑まれたまま。クラスメイトたちもあの崩壊しかけた校舎の中で眠っている。
もはや、湊の頭の中には泥の怪物をこの場で倒す以外の選択肢は存在していなかった。
(……終わらせるかよ。まだ、何一つ解決しちゃいないんだ!)
座り込んだまま、湊は覚悟を決めた。もう、この力を隠している場合ではない。ここでやらなければ、全員がこの狭間の空間で押し潰されて死んでしまう。
「隊員さん……これから俺がする事は、出来れば誰にも言わないで欲しいです。」
そう言いながら立った湊の右腕には、鈍い鈍色の輝きを放つ、秘密兵器『クロニクルガントレット』が装着されている。
「おい、君……その機械はなんだ……っ!?」
コンソール前の隊員が驚愕に息を呑むのを余所に、湊はポケットから取り出した、青く澄んだ輝きを放つ『クロニクルカセット:アクア』を流れるような手つきでスロットへと装填した。
ガチィィィン――ッ!!!
【 Cassette Lock! ――RECORD No.2『 AQUA : river 』Play Start. ――】
(さっき一度、エナジーレリースを発動しているから、残っているエネルギーはあと2ゲージか。)
「奴をこの力で破壊し、飲み込みます!ハッチを開けてください!」
「あ、ああッ……!」
湊のただならぬ気迫に押された隊員が、半ばパニックになりながら後部ハッチの開放レバーを引いた。
プシューッ、と激しい風圧と共に頑強な装甲が跳ね上がる。
湊は身を乗り出し、そのまま車の上に立った。
吹き込んでくる赤黒い霧の向こう――現実と異界の狭間の闇を割って、3階建てサイズの巨大な怪物の顔面が、特殊車両を噛み砕かんとすぐ目の前まで迫っていた。
怪物の気迫に一瞬気圧されるが、すぐに持ち直して怪物へと目を向ける。
(隊員さんが多少削ってくれたお陰で衰弱しているみたいだ……。出し惜しみはなしだ。最初から、最大出力で奴の核を破壊し、飲み込んでやる!!)
湊はガントレットのスイッチを深く押し込んだ。
【 Chronicle Charge Aqua ! 】
目の前に荒々しい川のホログラムが浮かび上がり、怪物の核の場所まで到達した。
十分にエネルギーがチャージされたのを見届け、湊はもう一度、引き金となるスイッチを叩いた。
【 AQUA Energy Release ! 】
「――『アクアスワロウ』――ッ!!」
湊は技名を叫ぶと同時に、右手を開き、迫り来る怪物の真芯へと真っ直ぐに突き出した。
ドパァァァァァァァン――ッ!!!
湊の手のひらから放たれたのは、先ほどの泥人形を倒した時とは比較にならない太さを誇る、すべてを呑み込む大激流。
白濁した高圧の激流が、中間領域の闇を白銀の光で完全に塗りつぶしながら一直線に虚空を裂き、超巨大な怪物の胸から露出している、一際輝く核を目がけて跳んでいく。そして――すべてを破壊して飲み込む激流が、3階建てサイズの巨獣の身体へと、真正面から直撃した。
空間を揺るがす凄まじい破壊音が、密閉された特殊車両の車内まで響き渡る。
【超現実値観測計】の操縦画面には、巨獣の圧倒的な再生力を、湊の放った凄まじい勢いの激流が力任せに怪物を圧殺していく光景がリアルタイムで映し出されていた。
コンソールの前にいる隊員が、画面を凝視したまま驚愕に声を震わせる。対策課の誇る『正常処理弾』の消滅効果すら上回る速度で無限再生を繰り返していた大地の巨躯。
それが、湊の放った圧倒的な水の質量と濁流によって、再生する隙すら与えられず、細胞レベルでドロドロに削り取られ、押し流されていく。
「飲み込めぇぇぇぇッ!!」
湊が右腕をさらに突き出すと同時、激流はさらにその太さを増し、より深く青く輝く。
中間領域の空間そのものを揺るがしながら、3階建てサイズの怪物をその激流の底へと完全に呑み込んだ。
あれほど強固だった泥と岩石の巨躯は、ただの濁った水の一滴へと還元され、現実と異界の狭間の中に跡形もなく霧散していった。
「……目標の、完全消滅を確認。超現実値……急速に低下。正常値へ復帰していきます。」
隊員が、信じられないものを見る目で画面を見つめながら、呆然と呟いた。
そして、車内を包んでいた真っ赤な警告光が消えていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」
湊は後部ハッチの縁を掴みながら、激しい息を吐き出した。
神秘的な輝きを放っていた『クロニクルカセット:アクア』が、戦いの終わりを告げるように静かにその輝きを収めていった。
怪物が完全に消滅した瞬間、空間の歪みが消え、空間の崩壊が止まった。
フロントの隔壁の向こうから、ドライバー隊員の安堵に満ちた声がスピーカーを通じて響く。
『――中間領域の脱出ルート再固定! 空間の壁、突破します!』
ガチリとレバーが引かれ、湊と隊員2名を乗せた特殊車両は安定を取り戻した駆動音を響かせながら加速する。
車載の観測計の数値が、ついに現実世界の完全な安全圏を示した。
背後の異界の霧が晴れていく。学校も、眠らされていたクラスメイトたちも、これでようやく元の日常へと生還できるはずだ。
「やっと、終わったんだな……。」
湊は椅子にどさりと座り、疲れを癒やすようにそっと目を閉じた。
別の世界にいるという緊張感は消えないが、今はただ、無事に大切な場所を守り抜けたという確かな手応えだけが、湊の身体を優しく満たしていた――。




