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別世界(アノマリー・フィールド)は抜け出せない

「……来るな。来るな、来るな、来るなッ!!」


迫り来る『赤く光る何か』を前に、湊の生存本能が激しい警鐘を乱打した。体力が底をつきかけた身体に鞭を打ち、ふらつきながらその場から立ち上がる。


そして、湊は赤く巨大化していく光に背を向け、再び濃霧の奥へとがむしゃらに走り出した。




……しかし、どれだけ必死に足を動かしても、背後の赤い光を引き離すどころか、距離がどんどん詰められていく。


赤い光は、湊に着実に近づき、湊の影を不気味に引き伸ばす。


(もう……ここまでか。)


遂に湊は逃げるのを諦め、その場に倒れ伏してしまった。(まぶた)が徐々に閉じていき、意識が暗転しだす。


――その時だった。


ファン、ファン、ファン、ファン――ッ!!!


サイレンをけたたましく鳴り響かせ、赤黒い濃霧を強引に引き裂きつつ、湊の目の前になにかが勢いよく突っ込んできた。


「え……っ!?」


それは、湊が想像していた怪物などではなかった。

ルーフの上で赤色灯を激しく明滅させ、漆黒の強固な装甲に身を包んだ――超常現象対策課の『異能特殊車』だったのだ。


キィィィィィッ!!!


特殊車両は激しいブレーキングと共に、湊のすぐ目の前で横滑りしながら停車した。頑丈な装甲で覆われた後部ハッチが、凄まじい風を出しながら勢いよく跳ね上がる。


ハッチの奥から飛び出してきたのは、見慣れた超常現象対策課の隊員の声だった。


〔――中間領域で高校生を発見。 異界転移が発生した高校の生徒と見られる。おい君!早く乗るんだ、急げッ!〕


「対策課……!? 助かった……のか?」


〔呆然とするな!とにかく早く乗るんだ!〕


その言葉に弾かれたように、湊は残った最後の力を振り絞って特殊車両のハッチへと飛び込んだ。


バチン――ッ!!!


湊が滑り込むと同時、後部ハッチが凄まじい勢いで閉鎖される。

それと同時に、外の赤黒い霧が装甲一枚を隔てて完全に遮断された。


湊は、設置されているベンチに腰を下ろす。


「はぁ、はぁ……。」


ようやく自分が『異界』から救出されたのだという圧倒的な安堵感が、全身の力を奪い去っていくのを湊は感じていた。


ふと顔を上げると、特殊車両の車内は、頑強な装甲に囲まれた無機質な空間だった。

車体の左側奥には、金属製の防護マスクと重厚な防護装備が一式、静かにまとめられている。

その反対側の壁には、アサルトライフルの形状をした黒い銃が2丁、頑丈に固定されていた。

そして右側の奥には、無骨な業務用冷蔵庫のような形をした大型の機材ボックスが、低く唸りを上げている。


そんなミリタリー感の漂う車内で、ざっと数十個くらいある複雑なダイヤル計器をいじっていた隊員が、ふと手を止め、背もたれのない椅子に座った。

隊員は椅子をクルリと回転させ、湊の方へと気さくに視線を向ける。


「そういえば君、なんて名前なの?ちょっと知りたくなっちゃってさ。」


向けられたのは、気取らない大人の優しい笑顔だった。

極限状態を生き延びた一般人の高校生を彼なりに気遣う、どこか軽くて親しみやすい、とても温かいトーン。

マスクで遮られていない、その真っ直ぐで人当たりのいい表情を見た瞬間、湊の心がすっと軽くなった。


「……湊です。白瀬湊。」

「そっか、湊くんか。よくあの状況で無事でいてくれたよ。もう大丈夫だからな。」


隊員は明るく微笑んだ。しかしその直後、コンソールの画面に流れる、この領域の観測データを横目で一瞥し、少しだけ声を潜めて湊にこう質問してきた。


「なぁ、湊くん。この現実と異界の狭間ってのは、無能力者や、弱い能力を持つ者には危険な領域なんだ。どちらにも偏らない、不安定な空間……君はどうして、存在を保ったままここまで辿り着けたんだい?」


隊員の目は、決して湊を疑うような鋭いものではなかった。ただ純粋に、この異界の狭間で生きて動けていた高校生への、専門家としての不思議に満ちた疑問。


「――っ」


その核心を突く質問に、湊の身体がわずかに強張った。

これにどう答えるかによって、自分が国家機密レベルの秘密兵器を隠し持っていることが対策課にバレるかどうかが決まる。


答えることが出来ず、黙っていると……。


「まあ、覚えていないのも無理はないか。何かの偶然でこの領域に弾き出されたのかもね。」


隊員はそれ以上追及することなく、また気さくな笑みを浮かべてコンソールへと向き直ってくれた。

そのことに、湊はそっと胸中で安堵の息を漏らす。


しかし、その平穏を切り裂くように――。 


ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ! ――。


密閉された特殊車両の車内に、ひどく耳障りな電子警告音がけたたましく鳴り響いた。それと同時に、車内全域が真っ赤な警告光に染まる。


またかよ―――。これで何度目だ?


湊は胸中で、度重なる非常事態に驚きを超えた、呆れに近い感情を抱いた。


この装甲車には、外の狂った景色を直接視認するためのフロントガラスなど存在しない。

異界と中間領域を探索するために作られたこの特殊車両は、窓の一切が強固な装甲で塞がれた完全なる密室なのだ。無論、運転席は例外ではあるが。


ゆえに、周囲の状況を把握する手段は、壁一面に並んだコンソール画面の電子データ。

そして――陽菜が持っている観測計と同じ、いやそれ以上の観測範囲をもった『超常現象観測計』のディスプレイに限られていた。


「チッ、超現実値が急上昇している! 不安定とはいえ、この領域の超現実値の上がり幅にしては異常だ!」


さっきまで明るく微笑んでいた隊員の顔から、一気に余裕が消え失せた。

猛烈な勢いでダイヤルを回し、スイッチを叩くが、コンソール画面と非常ランプは狂ったように激しく明滅を繰り返している。


『――こちらドライバー!何かとんでもない怪物が物凄い勢いで接近してきている!!』


前方の隔壁から、操縦士の悲鳴に似た怒号が響く。


ドスン――ッ!ドスンッ――!


続いて心臓に響くような衝撃が、この特殊車を揺らす。


(……来る。異界の学校の、校庭にいた怪物が……ここまで俺を追いかけてきているのか……!?)


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