50話 明かされた現実
ドラコニス・ラクリマ――竜の涙のしずくが集まる場所と呼ばれる湖を目指し、数時間歩き続けた。
幸いなことに、空を飛び回る竜にも、エドたちが討伐できなかった邪竜にも遭遇することなく進めている。
だけど、この谷は進めば進むほど空気が重くなる。
足元には魔石や装飾品が転がり、同じように人や亜人、魔物や魔獣の遺体が無造作に散らばっていた。
そして――
ようやく辿り着いたその場所は、息を呑むほどに神秘的で、圧倒的な威厳に満ちていた。
目の前には、巨大な竜の骸が眠るように横たわっている。
その傍らでは、青い水晶が煌々と光り、石の巣には新し命の卵が静かに脈打っていた。
中央に広がる瑠璃色の湖の向こうには、火山が赤い火を噴き上げていて、
崩れかけた石のアーチ越しには、太陽の光で輝く海と澄み渡る空が覗いていた。
ここは、生と死が隣り合わせに存在する――まさに“聖域”だった。
「すごい……ここ、本当に同じ国?」
「青くて綺麗でしゅねぇ、あの湖」
「何も変わっておらぬな。ラミン殿の記憶にもここが?」
「ああ。我の記憶にあるドラコニス・ラクリマも同じだ。
生と死が混在する聖域、だな」
「ここが……竜の涙のしずくが集まる場所、なのですね」
圧倒されるほどの景色に、俺はただ立ち尽くすしかなかった。
そして同時に――胸がギュッと締め付けられるような感覚が走る。
胸に刻まれた紋章。
この身体に流れる竜族の血。
それらが、この神聖な場所と共鳴しているのだと、はっきり分かった。
「パパしゃん、ここにいるでしゅか?」
「ああ……この感じだと、さすがにエドたちは奥までは来られないだろうから。
この辺りに埋められてる可能性が高いな」
「パパしゃん……コハクでしゅよ~。どこでしゅかぁ~」
「……心が痛い。泣きそう……」
父親が近くにいるかもしれないと知った途端、コハクは地面に向かって一生懸命声をかけ始めた。
その小さな声が、胸をギュッと締め付ける。
「何か……目印になるものがあれば」
砂利と砂が混ざった地面を踏むたび、ジャリ……ジャリ……と独特の音が響く。
この場所には来たことがないはずなのに、身体の奥がじんわり疼く。
(これも……竜族の血が反応してるのか)
そんなことを考えていると、頭の上のラミンが言った。
「オリオン、地面に手をかざしてみろ。
向こうから繋がるかもしれん」
「手を? ……こうか?」
ラミンに言われるままに片膝をつき、右手をそっと地面へかざす。
10秒……20秒……
時が進むほど、掌からじんわりと温かい何かが体内へ流れ込んでくる。
「寂しい……けど、何だかすごく温かい」
「パパしゃーん……僕でしゅ。聴こえましゅか?」
掌から伝わってくるのは、無数の感情――悲しみ、安堵、祈り、愛。
それらがスッと俺の中へ流れ込んでくる。
コハクはそんな俺の掌に向かって、必死に父親を呼び続けていた。
拾い続ける声。
その中に――他とは明らかに違う、深く澄んだ声色が混ざった。
「あなたは……コハクの、父親……?」
顔を上げた瞬間、湖面がゆらりと揺れ、そこから無数の光の粒子がふわりと舞い上がった。
光はコハクの周りをぐるぐると周回し、やがて俺の目の前でひとつに集まり、形を成す。
それは――
ラミンと同じ、立派な竜の姿をした淡く儚い光。
美しく、優しく、どこか懐かしい気配をまとっていた。
「もしかして、パパしゃんですか?」
【……愛しい我が子よ。会いに来てくれたのだな】
「はいでしゅ!
ご主人さまに、コハクという名前をつけてもらいまちた」
【ほう……今はコハクという名があるのだな。良き名だ】
コハクの父親は表情こそ見えない。
それでも、穏やかに微笑んでいるのが分かる気がした。
我が子が元気に、逞しくそこに立っている――
それは親にとって何よりの喜びだ。
そんな中、俺はコハクの父親の前で深々と頭を下げた。
「謝って済むことじゃないことは分かってる……
だけどっ、本当にごめんなさいっ……」
【……竜族の血を継ぐ者よ。何故、謝る?
そなたは何もしていないだろう。気に病む必要はない】
「でも……あなたは何もしていないのに……
俺の、仲間がっ……
俺がもっと早くこの血に目覚めていたら……
あなたを救えたかもしれない……」
自分がしたことではない。
それでも――尊い命が奪われたという事実に、胸が耐えられなかった。
コハクの父親はそんな俺を気遣うように語りかけ、その優しさが逆に涙を溢れさせた。
【そなたはコハクの魂を救い出してくれた。それだけで十分だ】
「……分かってたんですね」
【コハクは、母親と共に命を奪われたのだ……
力を失っていた我は、何も出来なかった】
「え……コハクのお母さん、亡くなっているんですか……?」
「ママしゃん……いない、でしゅか?」
涙を拭っていた俺の耳に、コハクの父親からあまりにも衝撃的な事実が告げられた。
その瞬間、コハクの顔にも、悲しみの表情が浮かんだ。
【……ブルーメイド王国という国に殺された。
あの国は人間至上主義で、それ以外の種族を決して認めない。
しかし、自国の発展の為ならば人も亜人も魔物もすべて利用する、そんな国だ】
「ブルーメイド王国……我々が国交を断絶している国の一つです」
「そう、なんですか……」
父竜の口から出た国の名。その瞬間、隣のエリックさんが低い声で補足した。
ブルーメイド王国――
国交を断絶されるほどの国とは一体どんな国なのか。
その国で何が起きたのか。
なぜコハクの母親が殺されなければならなかったのか。
知らない方がいい真実もあるかもしれないけど……
胸がざわつき、俺はその理由を尋ねた。
「何故……コハクのお母さんは……」
【白狐という種族は希少でな。
精霊に仕えるために生まれた種族と言われていた。
この国では当然、とても大切に扱われる種族だ。
転移という能力も持ち合わせていた妻は、稀に見る存在だった。
それに加え、我との子をなし、産まれたコハクは、高純度の魔力を宿した、特別な存在となった】
「コハクに……そんな力が? いつも楽しそうに魔法使ってたけど。
そんなに能力が高いだなんて知らなかった……」
【見た目では分からぬだろう。
……妻は、この国で幸せに暮らしていた。
だが、ブルーメイド王国の者どもに目をつけられ、ある日突然、攫われてしまった】
「え……?」
【我は身体が衰弱し、この地から動くことが出来なかった。
それでも、コハクと妻の身に何が起きたのかは、魂の繋がりで分かっていた。
妻は、自分たちを利用しようとする奴らに抵抗し――
その場で切り付けられた。
その時、せめてコハクだけでも助けたいと、
最後の力を振り絞り、この地へ転移させたのだ】
「その転移先が、ダンジョンだったのか……」
【そのようだ。だが……コハクは力尽きてしまった。
我は何も出来ず、ただ涙を流すしかなかった……なんとも情けない話だ】
「酷すぎる……こんなの……酷すぎるよ」
コハクと母親の最期を聞いた瞬間、言い表せない怒りが込み上げた。
それは――
エドたちが父親を討伐したと知った時と同じ、いや、それ以上に深く、黒い感情だった。
どうして人は、誰かの力や命を利用してまで自分の権力や利益を得ようとするのか。
その先に何があるというのか。
俺には、どうしても理解できなかった――




