MR-072「戦争の足音」
いつしか太陽は沈み、騒がしかった街も少しずつ静けさを取り戻していく。どこかの酒場からの声が風に乗って届き、まだ夜は長いことを知らせてくれる。命がけ、そう呼ぶに足る戦いを終えたエルナは既に寝床の中だ。あの様子では朝まで目覚めないことだろう。
「それで、どこまでやらせるんだい」
「どこまで……か」
クロス婆さんと2人、買って来た酒瓶を適当に傾ける。2人とも何もなくても飲める派なのでこのままでいい。俺はちびちびと口にしながら月を見上げる。婆さんの言ったことを頭の中で繰り返しながら、そういえば考えていなかったなと思う。全く考えていないわけではないのだが……。
「自分で先を選べるぐらいには……だな」
「随分と曖昧なことだねえ。力が無ければ選べず、かといってあればあっただけ良い物が選べるとも限らないんだよ?」
その言葉はかつての俺と今の俺、そのどちらにも鋭く突き刺さる。思い出されるのはこれまでの選択とその結果。後悔は……その意味ではあまりしていないと言えるのかもしれない。どんな選択でも最良であったかはもう一方を選んだ未来を見れない以上、より良い物だったかはわからないのだから。でも、それでもだ。
「アイツが自覚のないまま力を狙われて天使に殺されるようなことはあってほしくない、そう思う」
「そのぐらいでいいんだよ。変に格好つけなくたってね。ここ最近のこのあたりの話はすぐに中央に届くさ。そうなれば……始まらずとも準備は進むさね。西は静かで、南北はそれどころじゃない。いい稼ぎ時じゃないかね?」
言外に、鍛える時間は結構ありそうだ、そう告げられた気分だった。俺がクロス婆さんに頼みたかったことは、祈祷術士として、そして女としてエルナのこれから生きていく先に必要なことを教えてもらう、というものだ。どうも、バレバレだったようだがな。
「戦争になると思うか?」
「そりゃあ、いつかなるだろうとは誰もが思ってるんじゃないかい。周辺から見れば、この国だけが天使の直接の被害をほとんど取り除くことに成功してるんだ。今も争いがある他の国から見ると、ある意味熟れて来た果実に見えるだろうね」
どっちみち、どこかで収穫を狙う時期が来た、ということか。確かに脅威が減った状況の兵士達より、今も死が近い場所で戦っている兵士の方が覚悟という面では上回っているのは確実だ。国境に近いほど、それを節々で感じていたのかもしれないな。だからと言って国内に混乱を巻き起こしていいという訳にもならないが。
「細かい調べものは得意な奴に任せな。私達はやれることをやるんだよ」
「そうだ……な。さすが婆さん、年の功ってやつだな」
「そこは黙っておくのが良い男ってもんだよアン坊」
昔のことを考えると、アン坊はよしてくれとも言えない特別な間柄。気持ちを誤魔化すように酒を煽るのが精一杯だった。それでも、出会った時と比べると近づけたような……そんな不思議な気持ちになった夜だった。
翌日から、俺たちは3人で行動を開始した。俺は前衛、婆さんが後衛。そしてエルナは両方を出来るだけこなすようにしての行動だ。2人だけの戦いと比べ、1人増えるだけでもやれることはとても増える。そして、やらなくてはいけないこと、知らなくてはいけないことも。
それは連携であったり、互いの情報の共有であったりと様々だが……エルナに一番足りない物でもあった。なんでも自分1人でやらなくちゃいけない時と比べ、誰かに任せるという部分が出てくるのが複数人での生活だ。
「さっきはもう倒れた相手に同じように術をぶつけちまったねえ。どうしてだかわかるかい」
「え? んー……声を出さなかったこと?」
「その通りだね。もちろん、相手に気が付かれてしまうのがまずい場合もあるから全部が全部そうじゃないけどね。やれるうち、特に相手が獣や魔獣であれば声掛けをしていくのが良いだろうね」
これまでほとんどの戦いで俺しか横にいなかったというのがここに来て1つの欠点として出てきている。俺がエルナの行動をよく観察し、合わせていたからだ。自由に動けた時と比べ、考えるということが入ってくる。
婆さんには、アンタの落ち度なんだからしっかりやるんだよ、と叱られてしまった。この歳になってとも思わないでもないが婆さんが年上なのはこの先も変わらないからな、うん。どちらかというと前に立って戦っていたことが多い俺にとっては、誰かに指示を出したり、状況を見ながら行動を変えるというのは出来なくはないが……といったところ。それに対して基本後衛だったクロス婆さんはその方面では俺よりも経験豊富というわけだ。
「いいかい、エルナ。アンタの力は強い。だから倒せる相手も、何とかできる状況も人より多いだろうさ。でもそれは、責任も増えるということなんだよ」
「責任……」
じっと自分自身の手を見ながら、かみしめるようにつぶやくエルナ。戦士に年齢は関係ない、そういうことも出来るだろうけれどもあまり若いうちに戦いの覚悟を決めさせるのはどうなんだろうなと、彼女を見ていると思う。じゃあ子供が生きる糧を手に入れるための戦いも間違いなのか?となるとそうとも言えないわけだが。
「私達の手は2本しかないし、体は1つだ。例えば同時に2か所の依頼をこなすなんてことは出来やしない。どちらも緊急性があって、助けられるのは片方だとしたら? 未熟なら1つすら解決できない。かといって優秀でも1つしか解決できないのは変わらないんだよ」
「助けられなかった方を……気にしすぎるなってこと?」
俺的にはほぼ満点の返事に、婆さんも少し意外な顔をしながらも頷いた。実際、英雄と呼ばれ様々な依頼が舞い込んでくるほど、この悩みは良い奴ほどついて回る。ある程度で割り切らないと……駄目なのだ。
そうして、エルナの訓練という名前の稼ぐ生活は続いていく。
「あ、お待ちしていました!」
「なんだいなんだい、また厄介な話かい?」
「そういうなよ婆さん、稼げるならいいじゃねえか」
敢えて名乗ってはいないが、ここ最近の討伐振りから、周囲の連中も俺はともかく婆さんの正体に薄々感づいているとは思うがそれは大した問題じゃない。大事なのは、そんな2人に挟まれるようにしているエルナのことである。
「2人とも、今日は負けないわ!」
「大きく出たねえ。まずは現場に行くよ」
未開拓の土地がまだかなりあるこの東の土地。国境線だけは決まっていても、全ての土地を人間の物にはできていないのが実情だ。そこに住む獣、魔獣、そして……天使。
終わりがあるのかは誰も知らないが、今日と明日を生きるためにはやれることをやっていくことにしよう。
俺たちがいるのとは別の国境沿いで、東国との小競り合いが始まったのはそれからさらに一か月後の事だった。
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