第7話 冬月マキナ
※三人称視点です。
それは御剣小春が迷宮に入る二四時間前のこと。
裏社会の暗殺者――冬月マキナは、南米の危険地帯で殺しの技を磨いていた。
【陸上自衛隊・怪異調査対応郡】とは組織が用意した仮の身分。
マキナの正体は血と硝煙の世界に生きるゴリゴリの殺し屋さんなのである。
彼女が所属する【八咫烏】は、正真正銘の秘密結社だ。
そのルーツは平安時代の混沌とした裏社会を鎮めるため天照大御神が『異能者を殺す異能者』を集めたことに端を発し、神の名の下に殺しの免罪符を与えられた【八咫烏】は、今日では世界中に勢力を伸ばし、邪悪な異能者を狩ることで日本の安寧を影から守り続けてきた。
巨悪を裁く『神の御使い』。
音もなく現れる『血塗られた鴉』。
古来より使われてきた剣と異能に加え、銃火器という新たな足を持った『三本足の死神』。
裏社会の都市伝説となっている組織の呼び名は数多くあるけれど、実際に彼女たちの正体を知った者はだいたい殺されてしまうから、【八咫烏】の詳しい情報を知っている者は極少数しかいない。
そんな本物の暗殺機関に所属するマキナのもとに、その日、組織の中でも最優先事項とされるスペシャルミッションが転がり込んできた。
ちょうど目出し帽を被って殺人カルト集団の教祖の頭をいちごジャムにするお仕事をしていたマキナは、自分のもとへと【八咫烏】の幹部たちが直接持ってきた依頼に驚愕する。
「――【天照】様からの御神託が、私に?」
その任務内容は彼女たちの組織を作った本物の女神――【天照大御神】がもたらした最上級ミッションだった。
黒子衣装で顔を隠した三人の幹部は、いちごジャムの海の横で淡々と依頼を告げる。
「ええ、あなたには速やかに、日本の【久遠岳】まで飛んでもらいます」
「緊急性の高い御神託につき、詳しい任務内容は不明ですが、現地に行けばきっとあの駄女がみ……ゲフンッ、ゲフンッ……天照様からのお導きがあることでしょう」
「あなたはこれより本物の八咫烏となるのです」
八咫烏とはもともと天照大御神の御使いとされる鴉の姿をした神獣である。
真ん中にいた幹部のひとりが手を伸ばすと、そこから黒いモヤのような小鴉が飛び立ち、マキナの胸へと吸い込まれていく。
『キュピー!』
甲高い鳴き声が聞こえて服をめくって見れば、マキナの左胸には『三本足の鴉』の印が浮かんできて、それを目にしたマキナの中で使命感が燃え上がった。
八咫烏の姿そのものであるその印は、神に使命を与えられた者にだけ刻まれる御印であり、それは同時に天照大御神から信託を受けるために必要な奇跡の印でもあるのだ。
――これほど光栄なことがあるだろうか。
――自分のようなミソッカスに女神様が任務を与えてくださったのだ。
彼女は組織の中でも落ちこぼれに属する末端も末端の構成員であり、近接格闘技術や武器の扱いの関しては組織の中でも上位に位置する腕前を持っているが、マキナは【八咫烏】の構成員として必要不可欠な『異能の力』をまったく持っていなかった。
そんな自分に組織のトップからお声がかかったことに、彼女はやる気を漲らせる。
――たとえこの魂が砕け散ろうとも、この『暗殺任務』を必ず成功させなくては!
そして【八咫烏】は裏社会でも指折りの暗殺機関で、マキナはゴリゴリの殺し屋さんだから、もちろん任務内容は暗殺だと思った。
どこの誰を殺せばいいのか。
それはきっと現地に行けば自ずとわかるだろう。
彼女は複数の言語に精通しているから、日本語の扱いに関してもまったく問題がない。
強いて問題点を挙げるなら、マキナは五歳のころからずっと戦場を渡り歩いてきたせいで、いささか平和な社会の常識に疎いことだが……それも対象を殺すだけなら大した足かせにはならないだろう。
そして即座に幹部からの依頼を快諾したマキナは、近場にある空港から組織のプライベートジェットに乗って日本へと飛ぶことにした。
幹部たちが見守る中、マキナは張り切って操縦席へと乗り込む。
よほど急な神託だったのか、パイロットの手配が間に合わなかったみたいなので、マキナは自ら操縦桿を握ることにした。
異能者を殺す暗殺者としての英才教育を受けてきたマキナは、異能の才能が無い代わりに暗殺者としての才能に満ち溢れていた。
六つの言語を使いこなし、あらゆる武器の扱いに精通し、フォークリフトからステルス爆撃機まで、マキナに操縦できない乗り物はない。
異能の才が無い不利を補うため、武器や乗り物の扱いを学ぶことはマキナの数少ない趣味だった。
手早く飛行用の装備を装着し、コックピットで親指を立てるマキナの姿に、組織の幹部たちは少しだけ戸惑う。
……どうして末端の構成員がジェット機の操縦まで?
しかし部下が優秀なのはいいことなので、普段は厳格な幹部たちは温かい目で見送ることにした。
「……ふむ、美人で多才……あの子ならばあの御方のお眼鏡にも叶いそうだ……」
「……むしろ久遠岳周辺に限っては、眼鏡に叶わないほうがいい気もしますけれど……」
「……おいこら、たとえ相手が【分け御霊】とはいえ、我らが主への影口は慎め……」
どこかくたびれた様子で親指を立て返す幹部たち。
そして三人揃って微妙な反応をする幹部たちの前で、これまで世界中の危険地帯を渡り歩いてきた暗殺者は、日本に向けてプライベートジェットを飛び立たせた。
「……どうか彼女に、まともな神の御加護があらんことを…………」
立場上、この世に『まともではない神様』がいることを知っている幹部の祈りは、異能の力を持たないマキナの耳には届かなかった。
◆◆◆
マキナが操るジェット機は太平洋をぶっち切って、無事に日本の某自衛隊基地へと着陸した。
自衛隊基地の使用許可は、飛行中に組織が手配してくれていたから問題ない。
ジェット機を停止させたマキナは迎えに出てきた自衛隊の幹部たちへと怪異調査対応郡――略して【対応郡】の身分証を見せ、続けて必要な書類を提出し、武器弾薬と現地にある高等学校の制服を調達する。
日本では古来より【八咫烏】の身分を隠すため【対応郡】の名前が使われてきたうえに、怪異調査を若い乙女が担当することも多いため、ピチピチの美少女であるマキナが止められることはなかった。
それどころかあまりの美しさに重要人物だと判断されたらしく、マキナは自衛隊基地で丁重に扱われるだけでなく、女性運転手付きの車両を借りることにまで成功した。
もちろん鼻息荒く世話を焼こうとする幹部たちは総じて男である。
「ご協力感謝いたします!」
ビジッ、と凛々しく背筋を伸ばしたマキナの敬礼に、鼻の下を伸ばす男ども。
女性が少ない職場において美少女の外見は抜群の威力を発揮するらしく、彼女の身を案じた男どもはマキナが依頼した武器を手榴弾も含めてきっちり用意した。
久遠岳へと向かう道中では仮眠を取って体力を回復させ、車内で学生服に着替えて、支給されたスクールバックへと武器弾薬を詰め込んでいく。
流石にアサルトライフルはだいぶ鞄からはみ出してしまったけれど、日本人は平和ボケしているからバレルが見えたところで銃とは気づかれないだろう。
久遠市千灯町という山間の小さな町で車を下りて、マキナは普通の高校生を装って運転手の女性自衛官へと小さく敬礼した。
「――はぅあっ!?」
血と硝煙の世界で生きてきたミステリアスな美少女からの敬礼に、女性自衛官は不覚にもハートを撃ち抜かれた。
ひとりの女性の性癖を捻じ曲げてしまったことにも気づかず、マキナは武器でパンパンに膨れたスクールバックを手に古峰神社へと向かう。
道中で久遠岳に関する書類に目を通したが、久遠岳を貫く霊道は山の中腹に造られた神社の裏からはじまっているらしい。
石段を昇って拝殿の前まで到達すると、拝殿の上に座す天狗がマキナへと語りかけてくる。
『――※※』
神々の言葉が理解できないのはいつものこと。
下手に応じると面倒なことになりかねないので、マキナは何も答えずスルーした。
拝殿の裏へと回ると、物置小屋の脇から山へと入る細い道が続いていて、そこには人避けの結界が施されていることが見て取れる。
「この場所で間違いなさそうね……」
おそらくは屋根の上にいた天狗が切り開いた霊道なのだろう。
その道からはただならぬ瘴気が流れ出ていたが、天狗が放つ神々しい力によって、黄泉の国から湧き上がってくる負の力は堰き止められていた。
周囲に人の気配がないことを確認してから、マキナは銃火器をスクールバックから取り出して装備していく。
拳銃は太ももに巻いたホルスターへ。
自動小銃はベルトで肩からタスキ掛けにして背中へ。
手榴弾は閉所だと使い所が限られるため、ひとまずバックの中にそのまま残しておいた。
そして引き締まったウエストに直接巻いたベルトにコンバットナイフの鞘を取り付けて、マキナは魔窟へと入る準備を整える。
異能の才能に恵まれなかったマキナが最後に魔道へと入ったのは十年以上も前のことだが、それでも『八咫烏の御印』を与えられた彼女の行動に迷いはなかった。
――御照覧あれ、偉大なる天照大御神様。
――私はこれよりあなたの使命を果たします。
いずれ必ず神託が与えられ、使命の内容もハッキリすることだろう。
御印のある左胸へと手を当て、空へとしばし祈りを捧げて、そしてマキナは細い山道を進んで行く。
すぐに緑の中に赤黒い鳥居が見えてきて、彼女は木々の隙間からこちらを覗いてくる狐面の幼女に冷や汗を流した。
……あれを見てはダメだ。
マキナの本能は狐面の幼女がまともな存在ではないと全力で叫んでいた。
もしかしたら天照様はアレの討伐を望んでいるのではないかと不吉な考えが浮かんだが、日本では荒神の類も信仰する文化があったことを思い出して、マキナはひとまず見なかったことにする。
触らぬ神に祟りなし。
神々への対処法は組織内でも意見が分かれるところだが、基本的によく知らない神々とは距離を取ったほうがいいだろうとマキナは判断していた。
そして顔を伏せたまま鳥居をくぐったマキナの視界は一瞬で石造りの回廊へと切り替わり、その光景にマキナはここがかなり深い【魔窟】であることを察する。
魔道に生じる魔窟は深ければ深いほど、その最奥にある【黄泉の国】の瘴気を色濃く吐き出し、現世へと人智の及ばぬ怪奇現象を発生させるのだ。
異能の力を持たないマキナはこれまで数度しか魔窟に入ったことがないけれど、簡単な基礎知識くらいなら座学で学んで知っていた。
そして警戒しながら迷宮の探索を開始したマキナの目の前に、さっそく青いプルプルが現れる。
――ぷるっ!
と、素早く飛んできたそれを、マキナは優れた動体視力で捉え、素早く手刀を振って真っ二つにした。
《――※※※※※※※※※※》
魔物を倒すと視界に理解不能な文字が流れるのもいつものこと。
気にせずマキナは迷宮探索を続けて、そして曲がり角の向こうからドタバタと走ってくる誰かの足音に気がついた。
『……キュピッ!?』
なにやら自分の左胸から焦ったような鳴き声が聞こえた気がしたが、マキナにそれを気にする暇はなかった。
「――いぃいいいいいいいいいいいいっやぁああああああああああああああっ!?!?!?」
「――グギャギャギャギャギャギャッ!」
すぐに曲がり角から凄まじく整った顔立ちをした黒髪の美少女がゴブリンに追われて走ってきて、マキナは自分と同じ制服を着た人物を見て小さく舌打ちをする。
――本物の【対応郡】とバッティングした?
いちおう同じ日本国の守護者として【八咫烏】と【対応郡】は協力関係にあるが、現場で本物と遭遇する面倒は避けたかった。
同じ部隊員のような格好をした見知らぬ他人が現れたらトラブルになるに決まっているのだから。
しかし向こうは自分へと向かってガムシャラダッシュをしているので、仕方なくマキナはホルスターから拳銃を引き抜いて、ゴブリンへと照準を合わせる。
「ホワッツ!?」
間抜けな言動に似合わず、勘はいいのか、少女はすぐさま射線を開けてきた。
単体のゴブリンを片付けたところで、少女の背後から今度は複数の足音が近づいてきて、マキナは嘆息とともに自動小銃を構える。
「どきなさい」
「えっ? あっ!? はひぃっ!!!」
呆ける黒髪の少女をさらに壁際まで下がらせ、続けてマキナは叫びながらゴブリンの小隊を引き連れてきた亜麻色の髪の少女へと鋭く指示を出した。
「伏せてっ!」
「ホワッツ!?」
バララッ! バララッ! バラララララララッ!
まったくこんな尻拭いをさせるとは酷い連中だ。
最近の【対応郡】の教育はいったいどうなっているのか?
この程度の練度なら強気に出れば自分の所属のことは誤魔化せるだろうと、マキナは銃口を向けて二人の乙女を叱責した。
「あなたたち! 所属と階級を言いなさい!」
所属を言ってくれたら自分は別の基地から来たことにして、階級を言ってくれたら自分はそれより上の階級を口にすればいい。
マウントを取るために発したマキナの問いかけは、しかしまったく予想外の答えによって目論見を外されることになる。
「……せ、千灯北星女学園、1のA所属……御剣小春です」
「……お、同じく、1のB所属……早乙女夏姫です」
これまで数多くの悪人の頭をいちごジャムに変えてきたマキナにはわかった。
銃口を向けられた彼女たちは、芝居をする余裕もないほど、本気で怯えていた。
「……………………一般人?」
慌てて銃口を逸らして、マキナは高速で頭を回転させる。
どうして魔窟の中に一般人が?
人避けの結界はちゃんと機能していたのに?
なによりそのうちひとりは傍らに水色の子犬を侍らせており、自分が持っていない異能の力に目覚めているみたいだった。
――神託。
――暗殺任務。
――現地で遭遇したイレギュラーな異能者。
様々な情報がマキナの脳内で整理され、やがてひとつの答えが導き出される。
――もしや暗殺対象はこの子たちなのでは?
異能の力を扱うには魔術師や霊能者の家系に伝わる特殊な知識が必要になるが、一般人でも異能の力を引き出す邪法はいくつか存在した。
たとえば魂と引き換えに悪魔と契約して、目蓋の裏にある『意味不明な文字列』の解読法を教わることは、最も簡単な異能を獲得する方法だろう。
もちろんそれは身の破滅と引き換えだけれど。
太古の昔からそういった異能者を暗殺してきた【八咫烏】の活動内容とも合致していたため、マキナは二人の乙女を暗殺対象候補としてロックオンする。
『…………キュ、キュピィ………………!?』
なにやら激しく動揺している鳴き声が聞こえた気がしたが、仮想敵を前にしている今はそれどころではない。
とりあえず身分を偽って彼女たちを保護する形で距離を縮め、少しずつ情報収集していって――確実にこの子たちが黒だとわかったら――いちごジャムに変えればいいだろう。
そんな行動計画を即興で立てて、マキナは『ビシッ!』と敬礼する。
「銃口を向けて申し訳ありませんでした! 私は【陸上自衛隊・怪異調査対応郡】所属――冬月マキナ曹長であります!」
そしてここに、血と硝煙の世界に生きるゴリゴリの暗殺者と、日本の田舎でのんびり暮らしてきた脳天気な女子高生たちが、神獣すらも予測できない『奇跡の出会い』を果たした。
準備運動終わり。ここから本番スタート!




