第30話 再会と喪失
※三人称視点です
小春たちがマキナを見つける五分前。
『キュピーッ!』
ひとり夜道を歩き久遠岳の赤鳥居前まで来たマキナは、すでに自身の命をこの地へと捧げる覚悟を決めていた。
装備を全て置いてきたマキナは、魔道へと足を踏み入れる前に、そこらの地面から手頃な木の棒を探す。
粗末な武器で夜の魔窟に入るのは自殺行為でしかないけれど、帰り道を心配する必要はない。
ここから先は魔物たちを統べる神話の怪物のところまで一気に駆け抜けて、赫狸に祈ったあと、対象に殺される役目を果たすだけでいいのだから、【獣化】と【天駆】でゴブリンたちを軽く凌駕する機動力を得た今のマキナには銃もナイフも必要なかった。
ものの一、二分も探せば、まだ乾いていない生木の棒が見つかって、軽く振ることで最低限の耐久性があることを確認したマキナは、続けて赤鳥居をくぐろうとする。
しかしあと一歩で魔窟へと入ろうかというところで、背後から三つの足音が近づいてきて、
「マキにゃんっ!」
大切な友人の声に、マキナは思わず振り返ってしまった。
「…………小春、さん?」
ギリギリ呼び捨てをやめることで距離感を出したのは、暗殺者として潜入任務にも従事してきたマキナの咄嗟の判断だった。
――小春たちには絶対に、自分の後を追わせてはならない。
それは神獣の精神支配など関係なく、マキナの心が多くの経験から導き出した友人を護るための最適解。
……このまま小春たちとの再開を受け入れたら、彼女たちは確実に自分といっしょに魔窟へと入る選択をするだろう。
それこそ出会ったばかりの自分のために、命を賭けることも厭わずに。
ほんの数瞬でそれを理解したマキナは、すぐに心を閉ざしたフリをして、ここまで駆けつけてくれた友人たちから必死に視線を背けた。
震えそうになる声をコントロールするために、全ての意識を自分の喉へと集中させる。
「……それ以上、こっちに来ないで」
冷たい声を出せたおかげか、小春たちは何も答えなかった。
これ以上彼女たちの声を聞いたら声帯のコントロールに支障をきたしてしまうため、友人たちが黙っていることをこれ幸いと、マキナは刺々しい言葉を無心で重ねた。
「友情ごっこはもうお終いよ。ここから先は私の仕事だから、あなたたちはもう帰ってちょうだい」
『キュピーッ!』
満足そうな神獣の鳴き声にマキナの心も冷たくなっていく。
「私たちはまだ出会ったばかりで、それほど親しい間柄でもないでしょう?」
いっしょにお昼を食べて。
いっしょに魔窟で遊んで。
いっしょにお風呂に入った。
たったそれだけの関係だ。
マキナが一生知ることがないと思っていた『普通の幸せ』を教えてくれた、もう二度と顔を見ることもない赤の他人たち……。
それ故に彼女は自分の心を殺した。
「――なにより、これは私が【八咫烏】として与えられた命よりも大切な任務だから、あなたたちに邪魔をされると迷惑なのよ……」
一方的に言いたくもない言葉を口から吐き出し、そしてマキナは崖から飛び降りるような心持ちで赤鳥居をくぐる。
振り返ることは絶対にしない。
きっと小春たちの顔を見たら、我慢ができなくなってしまうから。
最後に全ての精神力を振り絞って、マキナは暗殺者らしく、無感情な声を出す。
「だから――さよなら」
とぷん、と薄い幕を抜けるような独特の感触がして、木々の擦れる音が遠のき、放課後と同じく迷宮の天井で光る不思議な苔の明かりを目にしたところで、ようやくマキナは必死で堪えていた涙を零した。
嗚咽を漏らさなかったのは、それを小春たちに聞かれることを恐れたからだ。
冷たい雫が落ちる前にグイッと袖で拭いて、彼女は暗殺者らしくニヒルに笑う。
「馬鹿ね……私も……」
せっかくできた友達との別れ。
それを最悪の形で終わらせてしまった。
掛け替えのない彼女の友人たちは、きっと自分の言葉を聞いて傷ついただろう。
だけどこれでよかったのだ……これで彼女たちが死ぬ危険はなくなったのだから……。
それだけを何度も自分に言い聞かせて、マキナは前を向き、死地へと足を進めようとする。
そんな彼女の背中にケロッとした声が届いた。
「――私たち、の間違いじゃないですか?」
振り返ると、そこでは剣と懐中電灯を手にした小春だけではなく、夏姫とアンリまで何食わぬ顔で勢揃いしていた。
『キュピッ!?』
「な、なん……っ!?」
目の前の光景を理解できなくて、口をパクパクさせるマキナ。
小春たちはひとりの暗殺者が決死の覚悟で繰り出した芝居を完全に無視して、普通に魔窟の中までマキナの後ろを着いてきていた。
自分の話を聞いていなかったのか、とか。
どうして追いかけてきたのか、とか。
泣いてるところを見られた、とか。
いくつもの複雑な感情が絡み合って何も言えなくなっているマキナの前で、珍しく真剣な顔をした小春が懐中電灯を仕舞ってパチッと指を鳴らす。
「っ!?」
それだけで夏姫とアンリが素早く動き、マキナの両腕を取って身動きを封じた。
『キュピーッ!?』
「いろいろと言いたいことはありますが、まずはその前に――」
抜群のチームワークで拘束したマキナに近づき、小春は容赦なく彼女のワイシャツを一気にめくり上げる。
「ええっ!?」
唐突な脱衣にマキナが顔を赤らめても、小春は真剣な表情を変えない。
ただでさえ反則級に整っている小春の顔が、この時ばかりはやたらと男らしくて……先ほどまで冷たく止まっているようだったマキナの心臓が早鐘を打つように騒ぎ出した。
……いや、待ってくれ!
自分の性癖は極めて普通なのだ!
だからこんなにドキドキさせたところで、冷静になれば女子に友情以外の感情が芽生えることは絶対にないからっ!
と、大切な何かを失おうとしていることに気づいたマキナの魂がそんな叫びを発するが、もちろんそれは乙女たちに伝わらず、小春はイケメンとしか思えない顔つきで行動を続けた。
「ちょっと痛くしますけど――我慢してくださいね?」
無駄に意味深な台詞と同時に、小春の人差し指がマキナの左胸へと当てられる。
その鮮烈な指先の感触に、マキナの顔は燃え上がるのではないかというほど熱くなった。
神獣に取り憑かれたことで彼女の精神は再び不安定になっていた。
「ちょっ、待っ――」
そんな吊り橋の上で怯える美少女の制止も虚しく、小春はマキナの心臓に刺激を与える。
「――【サンダー】ッ!」
バチィイインッ!
と音がして、続けてマキナの心が今まで感じたことのない開放感で満たされた。
『キュピィイイイイッ!?!?!?』
慌てて左胸から黒い弾丸のように飛び出してきた小さなカラスを、小春の右手が瞬時に捕まえる。
まるでハエを箸で捕まえたという逸話を持つ剣豪のような動きを見せる幼馴染に、夏姫とアンリがやや引き気味に口を開く。
「……いや、君はどんな反射神経しているのかな? 素手で鳥を捕まえるとか……」
「……普段はどちらかと言えば鈍臭いくせに、有事になると覚醒するんだよな……こいつ……」
そんな幼馴染たちの軽口を耳にしても、小春は真剣な顔で右手に雷を纏い、その中で痺れる小さなカラスへと視線を注いでいた。
「やはり雷が苦手なんですか。飛行タイプだから特攻があるんですかね?」
『キュピッ!? キュピィイイイイイッ!?!?!?』
本来であれば人間の身体を素通りできるはずなのに、小春に捕獲された神獣は混乱の極み落ちる。
どうにか逃げ出そうと藻掻くが、小春が自爆覚悟で発する雷がそれを許さない。
怒りに燃える小春の精神は、かつてないほど研ぎ澄まされていた。
雷魔法により生じる痛みすら忘れて、小春は捕らえた神獣の処遇を考える。
「私の大切な友人を好き勝手操ってくれたこいつを……いったいどうしてくれようか……」
握り潰せばこいつは死ぬのか?
それともこのまま焼き殺したほうがいいのか?
いっそ食らってしまおうか?
友を傷つけられた小春の辞書に、もはや『慈悲』という言葉は存在しない。
特に猫耳モフモフパーティーを邪魔した罪は万死に値した。
そうして研ぎ澄まされた精神状態で神獣の処刑方法を考えていると、小春の【直感】が自分の左手に握る剣へと向けられる。
「ふむ……」
なんとなく、この剣ならばどうにかできるのではないかと思って、小春は神獣を剣へと近づけた。
すると、小春が握る剣の柄頭が蛇の姿へと変わって、パクッ、と一瞬で神獣を丸呑みにした。
『キュピッ――』
唖然とした断末魔がその場にいる全員に耳に届き、小春は邪悪に口角を上げる。
「……これでよし!」
もちろんそれを唖然と見ていた彼女の幼馴染たちは、超常現象の連続にたまらず突っ込んだ。
「いやいやいやっ!?」
「ずっと気になってたけど、なんだその剣はっ!?」
そんな突っ込みを受けても、今の小春は大切なものから目を離さない。
「ショーコ姉から貰った剣です!」
たったそれだけで謎剣の説明を終えて、小春は真剣な顔のまま、地面にへたり込んだマキナへと歩み寄る。
雷魔法のせいか、まだ心臓の動悸が収まらないマキナは、なにやら嫌な予感がした。
いや、それは決して悪いものではない。
むしろ人によっては好意的に受け止める者もいるだろう。
……だがしかし、先ほどから続くイケメンモードで近づいてくる小春の顔を見たマキナには、その背後に薄っすらと、例の駄女神の厭らしい笑顔が見えた気がした。
「マキにゃんっ!」
男らしく片膝を着いた小春が、マキナの両肩を温かい手で掴む。
「あっ……」
その力強さに、思わずマキナは乙女の吐息を漏らした。
こちらを見つめる黒い瞳孔の中には、自爆した雷魔法の残渣なのか、黄金の光が揺れていた。
意図せず神秘の光を宿したまま、小春はマキナへと語りかける。
「マキにゃんは私たちと過ごした今日を――『とても楽しかった』と言ってくれましたよね?」
……そんなことを言っただろうか、とマキナは少し考えたが……小春たちと過ごした今日が幸せだったのは事実なので、マキナは思わず頷いた。
それを確認した小春は、普段の大型犬っぽい雰囲気を一気に狼へと変えて、マキナに顔を近づける。
「私も……私たちも今日はとても楽しかったです! もうマキにゃんがいない日常など考えられないくらいにっ!」
そこでようやく自分が説得されていることに気づいたマキナは、どうにか小春を止めてくれないものかと、困った顔で夏姫とアンリへと助けを求める。
しかし制止役の二人もマキナを犠牲にするつもりはないらしく、最初に夏姫が肩をすくめた。
「こうなった小春は止まらないよ」
続けてアンリも嘆息する。
「合理的な考えとか期待すんなよ? こいつは算数すらできないんだから」
流石に高校生である小春が算数をできないはずがないが、それを否定せずに夏姫が阿吽の呼吸でフリを出す。
「4引く1は――?」
マキナをずっと見つめたまま、小春はきっぱり断言した。
「――ゼロですっ!」
完全に間違っているその答えを受け入れて、夏姫とアンリもマキナを真剣な顔で見つめた。
昨日知り合ったばかりの一人のために、他の三人が命を賭ける。
そんな青臭い行動は、ずっとシビアな世界で生きてきた暗殺者には理解できなかったが、しかしマキナの瞳からは自分の意に反して、次々と熱い雫が湧き出してきた。
「……馬鹿ね……小春は本当に馬鹿……」
クシャクシャになる顔を見られたくなくて、せめてもの抵抗にと悪態を吐きながら視線を逸らすと、温かい感触がマキナの体を包んだ。
友が追いかけてきてくれた喜びと、それを受け入れてしまった自分の不甲斐なさに震える暗殺者を抱きしめて、小春はマキナの耳元で囁く。
「馬鹿でけっこうですよ。それでマキにゃんが笑ってくれるなら」
そしてマキナの涙が落ち着くまで頭を撫でたあと、小春は先に立ち上がってマキナへと手を伸ばす。
「だから『さよなら』なんて言わずに、これからもいっしょに冒険を続けましょう」
思わずその手を取ると、グイッ、力強く体が引き上げられて、春の日の穏やかな太陽光のような微笑みがマキナの目の前に来た。
「……もう一人で先走っちゃダメですよ?」
マキナを笑わせるために言葉を選んで確認してくる小春。
目を潤め、頬を赤らめて、その『おま言う』な言葉に苦笑しながら頷いたあと、
「あ……」
マキナは自分たちにかかっている呪いのことを思い出して『しまった……』と思った。
「「あーあ……」」
小春の背後では、夏姫とアンリも似たような経験をしたことがあるのか、二人揃って頭を抱える。
今のマキナには小春のことが三割増しでかっこよく見えていた。
いや、待って……こんなのまともな女なら抵抗なんてできないでしょう……。
命がけで追いかけてきて……普段は見せないかっこいいところを見せてくれて……おまけに心を救ったあとでそんな顔をするのは――女同士でもダメだから!
少しずつ自分の身に起こっている状態異常を理解して絶句するマキナへと、なおも運命の赤い糸でグルグル巻きにされた美少女が無自覚なイケメンスマイルで続ける。
「――マキにゃんのことは、私が絶対に、幸せにしてみせますから!」
勝手にときめく心臓。
薔薇色に煌めく小春の背景。
イケナイ脳内物質がもたらす多幸感。
乙女好みのプロポーズとしか思えないそのクサい台詞には、色恋に疎い暗殺者も顔を真っ赤にして頭を抱えた……。
「……そ、それはいくらなんでも……反則よっ…………!」
そしてマキナは、一生に一度の大切な『初恋』を、御剣小春に奪われた。




