第25話 ぱくぱくマキにゃん
「――そんじゃ、マキナ。小春のこと頼んだぜ?」
カレーが入ったお鍋を持って家から出ていくアンリを見送って、私は膨らませていたほっぺたを元へと戻すタイミングを逸しました。
これからマキにゃんと楽しい時間をすごす私とは違って、アンリは面倒なイベントに参加するため、できるだけ気力を節約しているのでしょう。
そんなギャルの怠慢のせいで、大型犬扱いされてからずっと膨れっ面を維持していた私に、マキにゃんが困ったように話しかけてくれます。
「……小春さん。ハスキーはバカ犬ではなくて、好奇心が強い犬なのよ? エネルギッシュだからちゃんと飼育しないと無駄吠えしたり、指示を先読みして動いてしまうせいで勘違いされやすいけれど、本当はとても賢い犬種なの」
「あ、はい……温かいフォローありがとうございます。マキにゃんは優しいですねえ……」
どこぞの二人とは大違いですよ。
「いえ、夏姫さんとアンリさんとケンカしているみたいだったから、少しでも仲直りに協力できればと思って……」
どうやら私たちの仲を心配してくれていたらしいマキにゃん。
そんな彼女の誤解を解くためにも、私は膨れっ面を解除して笑顔を作ります。
「……大丈夫ですよ、あれはべつにケンカとかじゃないですから。私たちは姉妹みたいに育っているので、あの程度は日常茶飯時というか、じゃれ合いの範疇なのです」
「じゃれ合い?」
「ええ、日本の女子高生は事あるごとに、抱き着いたり、頭を撫でたりしてイチャつく生き物ですから。時には怒ったフリをしてスキンシップを誘発することで、私たちは努めてリアルが充実している女子らしく見せているのです」
「日本人は普段からハイレベルなコミュニケーションを行っているのね……」
「サムライの国ですから」
「なるほど……切腹することで主君に忠言を伝える最上位の意思伝達手段に比べれば、それ以外はすべて些事にすぎないと……」
うむ、ボケ担当の私と天然気味のマキにゃんだけだとツッコミが不在になりますな!
しかしそれはそれで新しい笑いの境地が開けるのではないかと、私がボケコンビのまま突き進むことを思案していると、マキにゃんのお腹が「きゅるるるる……」と音を立てて、私は思わずそちらに手の平を向けました。
「いや、私より先に鳴るんかいっ!」
みるみる赤くなるマキにゃんのお顔。
「……ごめんなさい。切腹の話でお腹に意識が行ってしまったみたいで…………」
夏姫やアンリを相手にしている感覚でやってしまった私は、顔色を青くして謝罪します。
「……いえ、私こそすみません……今のは非常に不適切なツッコミでした…………」
まあ、仲良くなる前に漫才をやってもろくなことにはならないでしょうし、そろそろお笑い脳は停止させましょう。
最後に私はまだ玄関に漂う美味しいカレーの香りに集中して、自分の食欲を増進させます。
――きゅるるるるっ!
すると主人よりも空気が読める我が胃袋は、即座に先ほどよりもやや大きな音を響かせて、赤くなっていたマキにゃんが、
「っ!?」
と、横を向いて吹き出しました。
「ふふん! 私のほうが豪快でしたね!」
「……ええ、私よりも強そうだったわ」
そう言って私のお腹を優しく撫でてくれるマキにゃん。
……これはあれですよね?
間違いなく『じゃれ合いたい』という意思表示ですよね?
だらしないお腹を触ることで、さっそく伝授した知識を活用してくれる美少女に、私は仕返しのスキンシップを取りにいきます。
「てやっ!」
「きゃっ!?」
そうして日本のJK文化の洗礼を受けたマキにゃんのお腹は、服の上から触ってもわかるくらいほっそりしていて……。
「……マキにゃん」
「なにかしら?」
「今夜はお腹がはち切れるくらい、たくさん食べてもいいですからね?」
とりあえず私はカレーを大量に詰め込むことで、隔絶したウエストのサイズを少しでも近づけようと、邪悪な陰謀を企てました。
「……こういう時は怒ったほうがいいのかしら?」
放課後の私たちのやりとりを覚えていたらしく、指導を求めてくるマキにゃんに、私はさらに自分のお腹を差し出します。
「夏姫あたりだったら、怖い笑顔でお腹を揉んでくるところですね!」
「こ、こう……?」
恐る恐る揉まれたので、
「なにをしますかっ!」
私はマキにゃんの敏感なお腹をくすぐって、
「ひゃっ!? やめっ――」
そのまま二人で笑いながらリビングへと移動しました。
「それではさっそく、今夜のディナーを用意しましょう!」
制服のままカレーを食べるわけにもいかないので、私は部屋着に着替え、マキにゃんにもアンリ用の部屋着を貸し出します(私の家には三人分の着替えが常備されているのです)。
「ものすごくいい匂いがするわね……」
ホットパンツ姿でカレー鍋を前にしたマキにゃんは、鼻をスンスン動かしながらお皿の準備を手伝ってくれました。
それから寄合いに向かったお母様が用意してくれた白米と、野菜とお肉がゴロゴロ入ったカレーを温めて大皿によそえば、ものの十分程度で豪華な夕食が完成します。
メニューはカレーですから飲み物はシンプルに冷水で。
「辛いのが好みなら後入れのスパイスもありますから」
うちのカレーは多くの人に配るので、辛さは市販の後入れソースで調整する方式でした。
私は中辛くらいが好みなので大さじ一杯分くらいソースを追加して、毒見も兼ねてマキにゃんより先にカレーライスを食べて見せます。
「お先にいただきますね?」
だいぶ前から獲物を狩る目になったマキにゃんは慎重に辛口ソースの匂いを確認していましたが、味変はまだ早いと判断したのか、ソースはテーブルに戻して混ぜものなしで最初の一口を頬張り、
「――んんっ!」
どうやら我が家のカレーの味はいたく気に入ってもらえたらしく、そのままマキにゃんは残像が見えるほどの猛烈な速度でスプーンを動かしはじめました。
うんうん……ご飯にがっつく美少女というのは微笑ましいものですねぇ……。
無我夢中でカレーを食べるマキにゃんを眺め、私も続く一口をスプーンで掬おうとしたところで、しかし何かが足りないことに気づきます。
「あ、そういえば福神漬けを忘れてました」
だいたいお母様がカレーを作る時には夏姫ママに連絡して夏姫の家で福神漬けを作ってもらうことが多いので、冷蔵庫を確認してみるとやはり見慣れたタッパーが置かれておりました。
「これこれ、やっぱりカレーには欠かせませんよね……」
そう呟いてタッパーを手に取り振り返ると、そこではすでに空になったお皿を大切そうに持って眉を八の字にしたマキにゃんが、
「……おかわりをいただいてもいいかしら?」
と、恥ずかしそうにおねだりしてきたので、私はとても微笑ましい気持ちになりました。
「ほっぺたにご飯粒付いてますよ?」
慌てて片手で口を覆って赤くなるマキにゃんからお皿を受け取って、私は二杯目のカレーを大盛りで追加してあげます。
「はい、どうぞ!」
ひと皿完食したところで食前の挨拶を思い出したのか、そこでようやくマキにゃんが手を合わせます。
「いただきますっ!」
けっきょくその夜は私が三杯、マキにゃんが四杯ものカレーライスを平らげて、食後はしばらく二人で動けなくなりました。
「ああ……今日は本当に食べすぎたわ……」
「マキにゃんのお腹もぽっこりしていますねぇ」
よほどお腹が苦しいのか、私が触ろうとするとマキにゃんが必死でそれを止めてきました。
「うっ……今はやめて小春さん。お腹を押されると戻してしまいそうだから……」
ふむ、せっかくのお泊りでリバースしたら最悪の思い出になってしまいますし、ここは大人しく休憩することにしましょうか。
「デザートのいちごは食べますか?」
「……一口だけ」
そうして別腹のほうも満たしてテレビを見つつ休憩していれば、膨れたお腹も落ち着いてきたので、私はいよいよお風呂の用意をします。
時刻は午後八時を少し過ぎたくらい。
寄合いのほうはよほど話が紛糾しているのか、夏姫やお母様たちが帰ってくる気配はまったくありません。
「夏姫たち遅いですねー」
「ええ、あちらはどうなっているのかしら?」
いちおう夏姫が来てから猫耳モフモフパーティーを開催しようと思っていたのですが、これはもうフライングしてしまっても構いませんかね?
そんな欲望を我慢しながら私はマキにゃんといっしょにお風呂をセットし、二人でマキにゃんの布団を用意しに行き、その後はマキにゃんとリビングのソファでだらけながらお湯が溜まるのを待ちました。
すっごく見張られている気がしますが、マキにゃんは本気で私を心配してくれているのがわかるので、嫌な気はまったくしません。
そして満腹で眠くなって夏姫と過ごす時の癖で何気なく横に倒れると、そこにはいつもよりほっそりした太ももがあって、
「なるほど……確かにハスキー……」
その何気ない呟きに、私はホットパンツから伸びる太ももへと強めに頭を押し付けました。
「私を大型犬扱いするのはこの膝かーっ!」
「ご、ごめんなさい……自然に倒れてきたから、つい……」
うっかりトラブルエッチ体質を発動させてしまったので、私は勢いに任せて我が儘を口にします。
「枕になるなら許して進ぜよう!」
「わ、わかったわ」
「うむ!」
マキにゃんの太ももスベスベぇ……。
そしてそんな至福の時間が五分くらい続いたところで、おもむろにマキにゃんが緊張した声を出しました。
「……小春さん、やはりお風呂はいっしょに入りましょう」
見上げると、そこには再び真っ赤になった銀髪美少女。
……やはり姉さんの呪いが発動しましたか。
思った通りの展開に、私は悟りを開いた如来の微笑みを浮かべて訊ねます。
「私は構いませんけれど、マキにゃんは嫌じゃないですか?」
夕食前に驚いていたことを思い出して確認すると、マキにゃんはしっかり私の目を見て頷きました。
「す、少し恥ずかしいだけで嫌ではないわ……日本には裸の付き合いという文化があることも知っているし……」
大浴場ならともかく、自宅のお風呂は日本人でもハードル高いですよ?
「……恥ずかしいなら無理することはないと思いますけれど?」
「いえ、私は小春さんの監視を頼まれているから、目を離すわけにはいかないもの」
なるほど……これが運命の赤い糸の力ですか……。
「マキにゃんは真面目ですねえ」
ここ数時間のやり取りで互いに性欲を抱いていないことがわかったからか、責任感が強そうな彼女は羞恥心よりも任務を優先することにしたみたいでした。
「そういうことならご一緒しましょう」
まあ、私もマキにゃんから目を離すなと言われておりますし。
「え、ええ……」
純粋にマキにゃんは誰かといっしょにお風呂に入るのがはじめてなのか実に初々しい反応をしておりますが、私は普段から夏姫やアンリと入浴しているので恥ずかしい要素はありません。
だらしないお腹を除けば……。
「バスタオル巻いて入りますかっ!」
「そうしましょうっ!」
そんな合意が終わったところでちょうどお風呂も沸いたので、私はマキにゃんといっしょに脱衣所へと向かいます。
バスタオルという防具を使えるとわかったからか、マキにゃんは迷いなく手にした鞄から入浴に必要なものを取り出して、私が用意したパジャマの上に洗濯済みのボクサーブリーフを置きました。
「そのうちパンツも買いに行かないとですね……」
「? 下着なら二枚もあるから足りているけれど?」
アンリにもらった縞パンと自前のボクサーブリーフで満足しているこの美少女には、どうやら教えなければならないことがたくさんあるみたいです。
「大丈夫ですよ。デザインは私たち三人で選んであげますから」
「……それを買いに行くこともすでに確定しているのかしら?」
ようやく田舎者の押しの強さを理解してきたマキにゃんに、私は遠い目になって頷きました。
「むしろ自発的に行かないと、運命の力で強制されそうですので……」
「……小春さんは本当に大変な呪いを受けているのね…………」
2026.11.01 会話の一部を修正。




