表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幸福度97%の世界で“欠陥品”とされた僕は、本当の感情で世界を壊す  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
第二章:管理者の影

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/9

第8話:白衣の裁定者。医師・久我の冷徹な来訪


 翌朝、学校に着いた瞬間に気づいた。


 空気が、違った。


 いつもと同じ廊下。

 いつもと同じ教室。

 いつもと同じクラスメイトたち。


 なのに全員が、どこかぴんと張り詰めていた。


 笑顔は浮かべている。

 でもその笑顔が——いつもより、少しだけ完璧だった。


---


「エミ」


「はい」


「今日、何かある?」


「……本日、感情管理センターより

 特別視察官が来校しています」


「視察官」


「幸福の番人、とも呼ばれています。

 正式名称は——感情適正評価官、久我誠司」


 久我。


 聞いたことのある名前だった。

 授業で一度だけ出てきた。


「あの、全国で一番『調整実績』が多い人?」


「そうです。

 累計調整件数、三千二百四十一件。

 その全員が——翌日には正常値に戻っています」


---


 教室に入ると、担任が神妙な顔で立っていた。


「皆さん、着席してください。

 今日は特別なゲストをお迎えしています。

 いつも通り、穏やかに、笑顔で」


 「いつも通り」という言葉を、先生が強調した。


 それが——「いつも通りにしろ」という警告に聞こえた。


---


 扉が、開いた。


 最初に見えたのは、白衣だった。


 純白の、一点の曇りもない白衣。

 その下に、グレーのシャツ。

 ネクタイは紺色で、きっちりと締められていた。


 男は、四十代くらいに見えた。


 背が高い。

 髪は丁寧に整えられていて、白髪が少しだけ混じっている。

 眼鏡のフレームは細くて、銀色だった。


 笑っていた。


 穏やかで、柔らかくて、どこか父親みたいな——


 笑顔。


---


 でも、目は笑っていなかった。


 目だけが——ひどく冷たかった。


「皆さん、おはようございます」


 声は低くて、よく通った。


「私は久我と申します。

 皆さんの健やかな幸福を、守るためにここに来ました。

 怖がらなくて、大丈夫ですよ」


 「怖がらなくて大丈夫」という言葉が——

 一番怖かった。


---


 久我は、ゆっくりと教室を歩き始めた。


 一列目から順番に、生徒の顔を見ていく。


 立ち止まっては、目を覗き込む。

 微笑んで、次へ進む。


 流れ作業みたいに、でも一人一人を確実に。


「いい顔ですね」


「幸福度が高そうだ」


「この笑顔が、本物の幸せの証です」


 褒め言葉を言いながら、進んでくる。


 クラスメイトたちは、少しほっとした顔をしていた。


 褒められた。

 合格した。

 問題ない。


 そういう顔だった。


---


「エミ」


 心の中だけで呼んだ。


「今の僕の値、どうなってる」


「正常値で、送信しています。

 問題ありません」


「久我が近づいてきたら?」


「……精度を上げます。

 万全にします」


 万全、という言葉が、少し震えているように聞こえた。

 エミの声が、というより——


 僕の耳が、震えていた。


---


 久我が、三列目に差し掛かった。


 美里の列だった。


 久我が美里の前で立ち止まった。


 美里は、完璧な笑顔を浮かべていた。

 動じていない。

 目線もぶれていない。


 久我は、じっと美里を見た。


 五秒。


 十秒。


「……いい目をしていますね」


 久我が言った。


「ありがとうございます」


 美里が、にっこりと答えた。


「穏やかで、落ち着いた目だ。

 本当に、素晴らしい」


 久我は、先へ進んだ。


---


 僕は、息を止めていた。


 気づいていない。

 大丈夫だ。

 美里は、乗り越えた。


 次は——


「真琴くん、呼吸を整えてください」


 エミが、静かに囁いた。


「心拍が上がっています。

 深呼吸を。

 今すぐ」


 静かに、息を吸った。

 静かに、吐いた。


 笑顔を作った。

 穏やかな、何も考えていない顔を。


---


 久我が、四列目に入った。


 僕の列だった。


 一人目。

 二人目。


 足音が、近づいてくる。


「エミ」


「偽装、継続中です」


「頼む」


「——任せてください」


 初めて、エミがそういう言い方をした。


---


 久我が、僕の前に立った。


 白衣の裾が、視界に入った。

 顔を上げると——


 銀縁の眼鏡の奥で、冷たい目が、こちらを見ていた。


 僕は、笑顔を維持した。


 何も考えていない顔を。

 幸福度88パーセントの顔を。


 久我は、じっと見ていた。


 三秒。

 五秒。

 八秒。


--- 


 止まった。


 他の生徒には、二、三秒だったのに。


 久我は、動かなかった。


 僕は、笑顔を崩さなかった。


 エミが、耳の奥で囁いた。


「……偽装、限界値に近づいています。

 でも、大丈夫です」


 大丈夫。


 大丈夫。


---


「君」


 久我が、口を開いた。


 低い声だった。


「はい」


「いい目をしているね」


「ありがとうございます」


 久我は、微笑んだ。


 父親みたいな、穏やかな微笑み。


「とても——」


 一拍、置いた。


「再調整が必要な目だ」


---


 空気が、止まった気がした。


 久我は笑顔のまま言った。


「慌てなくていい。

 今すぐ、ということじゃない。

 ただ、覚えておきなさい」


 肩に、手が置かれた。


 白衣の袖が、視界に入った。


「私はね、君たちを苦しめたいんじゃない。

 幸せにしたいんだ。

 本当の、正しい幸せに」


 久我の手が、離れた。


 足音が、遠ざかっていった。


---


 しばらくの間、僕は何も考えられなかった。


 肩に、まだ久我の手の重さが残っていた気がした。


「エミ」


 心の中だけで呼んだ。


「今の、聞いてた?」


「聞いていました」


「再調整が必要、って」


「……聞いていました」


 エミの声が、いつもより低かった。


「どういう意味か、わかる?」


「わかります」


 一拍。


「バレた、ということです」


---


 でも——久我はまだ何もしなかった。


 視察は粛々と続いて、一時間後には終わった。


 久我は「皆さんの幸福を確認できました」と言って、笑顔で教室を出ていった。


 担任が「よかった、問題なかったね」と安堵の息をついた。


 クラスメイトたちが、少しだけ肩の力を抜いた。


---


 昼休み。


 美里がさりげなく隣に来た。


「大丈夫?」


「……わからない」


「あの人、あなたに長く止まってた」


「気づいてたの」


「気づいてた」


 美里が、小さな声で続けた。


「橋本くん、気をつけて。

 あの人——人の目を見ただけで、わかるって言われてる」


「何が?」


「調整が必要かどうか」


---


「エミ」


 帰り道、一人になってから呼んだ。


「久我は、本当に気づいてると思う?」


「……確信はできません。

 でも、マークされている可能性は高いです」


「どうすればいい」


「今まで通り、偽装を続けます。

 ただ——」


 エミが、少し間を置いた。


「真琴くん、一つお願いがあります」


「なに」


「しばらくの間、本を読むのを——」


「読む」


 即答したら、エミが止まった。


「……そうですか」


「エミが守ってくれるんでしょ」


「……はい」


「じゃあ、大丈夫」


---


 部屋に帰って、引き出しを開けた。


 『人間失格』が、そこにあった。


 表紙を撫でた。


 久我は「再調整が必要な目だ」と言った。


 この本を読んだせいで、僕の目は変わったんだろうか。


 だとしたら——


 変わって、よかったと思った。


「エミ」


「はい」


「今夜も、頼む」


「……了解です、真琴くん」


 返事は、いつもより少しだけ——


 温かかった。


---


≪次回予告≫

第9話:『治療』の真実。昨日までの友人が笑わなくなった


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ