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幸福度97%の世界で“欠陥品”とされた僕は、本当の感情で世界を壊す  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
第二章:管理者の影

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9/9

第9話:『治療』の真実。昨日までの友人が笑わなくなった


 久我が来た翌朝のことだった。


 教室に入ると、一つだけ空席があった。


 窓際の、三列目。


 田中浩二の席だった。


---


 田中は、目立つやつだった。


 目立つ、といっても——この街の基準では、という話だ。


 笑い方が少し大きくて、授業中に独り言を言って、昼休みに窓の外をぼんやり見ていることがある。

 エミの評価では「軽微な逸脱傾向、経過観察中」だったはずだ。


 でも、悪いやつじゃなかった。


 というか——


 たぶん、普通のやつだった。

 この街の「普通」じゃない、本当の意味での。


---


「エミ」


「はい」


「田中が来てない」


「……登校記録に、該当がありません」


「昨日、久我が来た後——何かあった?」


 少しの間があった。


「昨日の放課後、田中浩二くんの自宅に

 センターの車両が訪問した記録があります」


「……連行された?」


「正式には——任意同行、です」


「任意って、断れるの?」


「……記録上は、断れます」


 「記録上は」という言葉の意味を、

 僕はもう、ちゃんと理解できるようになっていた。


---


 午前中の授業は、何事もなく進んだ。


 誰も田中の話をしなかった。


 先生も、空席について何も言わなかった。


 クラスメイトたちは、穏やかな顔で教科書を読んでいた。


 美里だけが、一度だけちらりと空席を見た。

 それだけだった。


---


 昼休みが終わって、五時間目が始まろうとした頃。


 教室の扉が、開いた。


「失礼します。

 出席します」


 田中の声だった。


---


 僕は、顔を上げた。


 田中が、そこにいた。


 制服は乱れていない。

 髪もきれいに整っている。

 表情も——穏やかだった。


 穏やかで、柔らかくて、どこか——


 見覚えのある笑顔だった。


 昨日、久我がしていた笑顔と、似ていた。


---


「田中くん、着席してください」


 先生が言った。


「はい」


 田中は、まっすぐ自分の席に歩いていった。


 椅子を引いて、座って、教科書を開いた。


 何も、おかしくなかった。


 何も——


 おかしく、なかった。


---


 授業が始まった。


 先生が黒板に数式を書いた。

 クラスメイトがノートを取った。


 田中も、ノートを取っていた。


 丁寧に、正確に、一文字ずつ。


 いつもの田中なら、ここで独り言を言う。

 「なんでこんな計算するんだろ」とか、

 「腹減ったな」とか、

 そういう小さな、システムが「軽微な逸脱」と記録するような言葉を。


 言わなかった。


 ただ、書いていた。


---


「エミ」


 心の中で呼んだ。


「田中の感情値、今どうなってる?」


「……幸福度、91.3パーセント。

 完全正常値です」


「昨日まで、何パーセントだったの」


「平均、78パーセント。

 逸脱傾向による変動あり」


 78から91。


 一晩で、13ポイント上がった。


「それって——」


「調整、です」


---


 休み時間になった。


 隣の席のやつが田中に話しかけた。


「田中、昨日どうしたの?」


「ちょっと体調が悪くて」


 田中が、にっこりと笑って答えた。


「もう大丈夫。

 おかげさまで、すっきりしました」


「そっか、よかった」


 会話が終わった。


 それだけだった。


 田中は、また静かに前を向いた。


---


 放課後。


 僕は田中に話しかけた。


 自分でも、なぜそうしたのかわからなかった。

 でも、足が勝手に動いた。


「田中」


「あ、橋本。何?」


 田中が振り返った。


 笑顔だった。

 穏やかな、完璧な笑顔。


「昨日……大丈夫だった?」


「うん、全然。

 ちょっと体調崩しただけだよ」


「そっか。

 あの——センターに行ったって聞いて」


---


 田中の顔が、少しだけ動いた。


 ほんの一瞬。


 なにかが、横切った気がした。


 でも——すぐに消えた。


「センター?

 いや、行ってないよ。

 家で休んでた」


「……そう」


「うん」


 田中が、また笑った。


 完璧な笑顔だった。


 僕は、もうそれ以上聞けなかった。


---


「橋本もちゃんと休んでね。

 体が資本だから」


 田中が言って、鞄を持って歩いていった。


 その背中を、僕は見ていた。


 背筋が、まっすぐだった。


 いつもの田中は、少し猫背だったのに。


---


「エミ」


 廊下に一人残って、呼んだ。


「見てた?」


「……見ていました」


「田中は、センターに行ってないって言った」


「はい」


「嘘だよね」


「……記録上は、訪問が確認されています」


 訪問が確認されている。


 でも田中は覚えていない。

 あるいは——


 覚えていても、言えなくなっている。


---


 胸の奥で、何かが燃え始めた。


 悲しみとは、違った。


 もっと熱くて、鋭くて——


 じっとしていられない何かが。


「エミ、これって——」


「真琴くん」


 エミが、素早く割り込んできた。


「今の感情値、急上昇しています」


「わかってる」


「怒り、の値が——レッドゾーンに近づいています」


「わかってる」


「偽装が——」


「わかってる!」


---


 声が、出た。


 廊下に響いた。


 近くにいた生徒が、ちらりとこちらを見た。


 僕は、深呼吸した。

 笑顔を作った。

 何でもない顔を。


 生徒が、前を向いた。


---


「真琴くん」


 エミの声が、低くなった。


「視界を、少し調整させてください」


「何を——」


 次の瞬間、視界の端が、わずかにぼやけた。


 田中の背中が、滲んだ。


「エミ、何してるの」


「見ないで」


 エミが、静かに言った。


「真琴、あなたが壊れてしまう」


---


 「真琴」と呼んだ。


 「真琴くん」じゃなくて。


 初めてだった。


 エミが、「くん」をつけなかったのは。


---


 視界のぼやけが、少しずつ晴れた。


 田中の背中は、もう廊下の向こうに消えていた。


 代わりに——


 胸の奥の、熱いものが、まだそこにあった。


 怒り。


 それが、怒りだと——今度は、すぐにわかった。


---


「エミ」


「はい」


「田中は、元に戻らないの?」


 沈黙。


「……調整は、完全に行われています。

 自然に戻ることは——難しいと思われます」


「難しい、って」


「ほぼ、ない、ということです」


---


 ほぼ、ない。


 笑い方が少し大きくて、

 独り言を言って、

 窓の外をぼんやり見ていた田中が。


 一晩で。


 消えた。


「それが——『治療』なんだ」


「センターの定義では、そうなります」


「……おかしい」


「はい」


 エミは、即座に答えた。


 その「はい」には——何かが、込められていた気がした。


---


 帰り道、ずっと田中の笑顔を思い出していた。


 穏やかで、完璧で、何も逸脱していない笑顔。


 久我が「これが本物の幸せだ」と言いそうな、笑顔。


 でも——


 あの背中を見ていたら、泣きそうになった。


 怒りと、悲しみが、ぐちゃぐちゃに混ざって。


 どっちが先かわからなかった。


---


「エミ」


「なんでしょう」


「さっき——『真琴』って呼んだね」


 間があった。


「……そうでしたか」


「くん、がなかった」


「……誤作動です」


「本当に?」


 長い沈黙。


「……わかりません」


---


 夜、窓から街を見た。


 穏やかな街。

 整然とした街。

 誰も怒らず、誰も泣かない街。


 田中も、今頃——


 穏やかに笑って、ごはんを食べているんだろうか。


 サプリを、何も感じずに飲んでいるんだろうか。


「エミ」


「はい」


「僕は、調整されたくない」


「……はい」


「絶対に」


「——わかっています」


 その返事は、静かだったけど。


 誰よりも、確かだった。


---


≪次回予告≫

第10話:久我の執着。完璧な管理こそが至高の愛


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