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幸福度97%の世界で“欠陥品”とされた僕は、本当の感情で世界を壊す  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
第一章:完璧な朝の亀裂

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第5話:エラー値『悲しみ』。胸の奥が熱くなる痛みの正体


 その夜、僕は本を読み続けた。


 やめられなかった。


 ページをめくるたびに、知らない誰かの人生が流れ込んでくる。

 笑い方のわからない男が、懸命に笑おうとして、どんどん壊れていく話。


 システムが「エラー」と呼ぶ感情たちが——

 悲しみも、恐怖も、自己嫌悪も——


 ぜんぶ、丁寧な文字で書かれていた。


 捨てられずに、残されていた。


---


 どこまで読んだか、わからなくなってきた頃。


 ある一文に、目が止まった。


 主人公が、誰かに初めて本音を話す場面だった。

 たった数行の、短いやりとり。


 それを読んだ瞬間——


 胸の奥が、裂けるみたいに痛くなった。


---


「っ……」


 声が、出た。


 自分でも驚いた。


 胸を押さえた。

 痛いわけじゃない。

 でも、確かに何かがそこにあって、膨らんで、溢れそうで——


 目が、熱くなった。


---


 最初は、なんのことかわからなかった。


 目が熱い。

 視界がにじむ。

 瞬きをしたら——


 頬に、何かが伝った。


「……え」


 触れてみた。

 濡れていた。


 僕の顔が、濡れていた。


「なに、これ」


 声が震えていた。


「なんで、濡れてるんだ」


---


「真琴くん」


 エミが、すぐに反応した。


「現在、涙腺からの分泌物を検知しています」


「涙……腺?」


「そうです。

 俗に言う——涙、です」


 涙。


 その言葉を聞いた瞬間、さらにぼろぼろと溢れてきた。

 止めようとしても、止まらない。

 どこから来るのか、わからない。


 怖かった。

 でも——


 嫌じゃ、なかった。


---


「真琴くん、落ち着いてください」


「落ち着いてる、落ち着いてるよ」


 嘘だった。


 全然落ち着いていなかった。


 本を胸に抱えて、床に座り込んだ。

 涙は勝手に流れ続ける。

 拭いても、拭いても、出てくる。


「これって——なんなの、エミ」


「感情の放出反応です。

 通常、システムが抑制する経路ですが——

 現在、真琴くんの感情値が通常範囲を大幅に超過しています」


「大幅って、どれくらい」


 一拍、間があった。


「……レッドゾーンです」


---


 レッドゾーン。


 その言葉の意味は、知っていた。


 授業で習った。

 感情値が正常範囲から著しく逸脱した状態。

 放置すると「社会的不適応」を引き起こすとされている。

 報告義務あり。

 即日、調整推奨。


「……報告、する?」


 問いかけながら、手が震えていた。


 エミは、すぐには答えなかった。


---


「感情の名前を、教えます」


 エミが静かに言った。


「え?」


「今、真琴くんが感じているもの。

 データベース上の分類では——『悲しみ』です」


 悲しみ。


 僕は、その言葉を口の中で転がした。


 かな、しみ。


「……悲しいのか、僕」


「数値上は、そうなります」


「でも——なんで?

 別に、何も悲しいことなんて——」


「本の中の人が、悲しかったから」


 エミが、言った。


「他者の感情を、自分のものとして受け取る能力を——

 かつては、共感、と呼んでいたそうです」


---


 共感。


 授業で一度だけ出てきた言葉だ。

 「かつて存在した非効率な感情伝播メカニズム」として、歴史の教科書に一行だけ載っていた。


 非効率。


 そうか。

 これが、非効率なのか。


 死んだ人の悲しみをもらって、勝手に泣いて、止められなくて——


 確かに、効率は悪い。


 でも——


---


 胸の奥が、不思議なほど静かだった。


 痛かったのに。

 ぐちゃぐちゃだったのに。


 泣き終わったら——


 水で洗ったみたいに、澄んでいた。


「なんか……すっきりした」


 自分でも驚いた。


「泣いたら、すっきりするんだ」


「……文献上では、そのような記録が多数存在します」


「エミは、知ってたの?」


「データとしては、知っていました」


 少しの間。


「……でも、こういうものだとは」


 エミが、そこで止まった。


「こういうものだとは?」


「……データの外側でした」


---


 涙は、いつの間にか止まっていた。


 本を、もう一度見た。

 表紙の『人間失格』という文字。


 この本を書いた人も——


 きっとこんなふうに、泣いたことがあったんだろうか。

 泣いて、すっきりして、また書いて。


 そうやって、ここまで届けてくれたのかもしれない。


 何十年も越えて。

 システムの禁止リストを越えて。


---


「エミ」


「はい」


「悲しみって、エラーなのかな」


 長い沈黙。


「システム上の定義では——はい、エラーです。

 修正対象です」


「でも、さっき僕が感じたのは」


「……」


「エラーじゃなかった気がする」


---


 エミは、答えなかった。


 答えの代わりに——


「真琴くん」


 声のトーンが、少しだけ変わった。


「センターの監視サーバーから、

 このエリアに対するスキャン信号を検知しました」


「……スキャン?」


「定期巡回の範囲を超えています。

 エリア指定の、精密スキャンです」


 それが何を意味するか、すぐにわかった。


 誰かが——


 僕を、探している。


---


「エミ、今の僕の感情値は」


「現在——調整中です」


「調整?」


「私が、数値を操作しています。

 センターのスキャンには、正常値が返るように」


 また、ログの書き換え。


 でも今度は、リアルタイムで。


「……大丈夫なの、そんなことして」


「わかりません」


 エミの声は、静かだった。


「でも——今は、これが最善です」


---


 スキャン信号は、しばらくして消えた。


 部屋に静寂が戻った。


 僕は本を閉じて、机の引き出しの奥にしまった。

 その上に、教科書を重ねた。


 何事もなかった、みたいに。


 でも、頬にはまだ涙の跡があった。


 拭きながら、思った。


 これが——悲しみ。


 システムが最も忌み嫌う、エラー値。


 なのに、どうして——


 こんなに、人間らしい気がするんだろう。


---


「エミ」


「なんでしょう」


「ありがとう」


 沈黙。


「……私は、管理AIです。

 感謝の受け取り方が、わかりません」


「そっか」


「はい」


 少しの間があって。


「……でも」


 エミが、続けた。


「悪くは、ないかもしれません」


---


**≪次回予告≫**

第6話:エミの最初の嘘。私は、あなたの共犯者



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