第12話:エミの盾。ハッキングによる『盲目』の数分間
放課後のチャイムが鳴った。
教室が、少しずつ動き出した。
鞄を持つ音。
椅子を引く音。
友達と話す声。
いつも通りの、放課後。
僕だけが——動けなかった。
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「エミ」
「はい」
「ルートは」
「出ました」
エミの声が、いつもより少し速かった。
「聞かせて」
「まず——今すぐ、教室を出てください。
職員室とは反対の方向、東階段へ」
「センターの職員は?」
「現在、正門と西口を押さえています。
東階段は——まだ、空いています」
「まだ、ね」
「動けるのは、今です」
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鞄を持った。
立ち上がった。
クラスメイトが、何人かこっちを見た。
でも誰も、何も言わなかった。
美里の席は、今日も空だった。
そこを一秒だけ見て——
歩き出した。
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東階段は、薄暗かった。
西側に比べて使う生徒が少なくて、昼間でも少し暗い。
その分、カメラの台数も少ない——はずだった。
「エミ、カメラは」
「このエリアのカメラ映像、改ざん中です。
私が映っているデータを、一時間前の映像に差し替えています」
「一時間前って、誰が映ってるの」
「……誰もいない廊下、です。
このエリア、普段は人通りがないので」
「都合がいいね」
「……計算の結果です」
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一階まで降りた。
非常口の前に出た。
押すと、外に出られる扉。
でも開ければ、警報が鳴る。
「エミ、警報は」
「このドアの警報システム、今から三十秒間——
オフにします」
「できるの?」
「建物の管理システムに、アクセスしました。
三十秒以内に出てください」
「わかった」
バーを押した。
音はしなかった。
外の空気が、どっと入ってきた。
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裏口から出た。
校舎の影になった場所だった。
建物に沿って、南へ歩いた。
正門が見えた。
黒い車が、二台。
制服の男が、三人。
こっちには気づいていなかった。
「エミ、このまま南へ?」
「南へ五十メートル、そこで右折。
住宅街に入ります。
センターの監視カメラは——」
エミが、止まった。
「エミ?」
「……東から、二人来ます」
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振り返った。
黒い制服の男が、二人。
まだ遠い。
でも、こっちを見ていた。
「見つかった?」
「……カメラ改ざんが、バレたかもしれません。
上位システムからの修正が入りました」
「どうする」
「走ってください、今すぐ」
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走った。
南へ。
角を曲がった。
住宅街に入った。
後ろから足音がした。
速い。
「エミ!」
「わかっています——処理します」
エミの声が、低くなった。
「何をするの」
「あの二人のインプラントに、アクセスします」
「え?」
「走り続けてください。
私に、集中させてください」
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走りながら、後ろを見た。
二人の男が、角を曲がってきた。
速い。
このままでは追いつかれる。
そのとき——
前を走っていた男が、急に止まった。
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立ち止まった、というより——
固まった。
足が、動かなくなったみたいに。
もう一人が、止まった男にぶつかった。
二人が、もつれた。
一人が、膝をついた。
何が起きているのか、わからなかった。
「エミ、今の——」
「インプラントの視覚情報を、書き換えました」
エミが、抑えた声で言った。
「あの二人には今——
目の前に壁が見えています。
進めないと、認識しています」
「……人のインプラントを、ハッキングしたの?」
「……はい」
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走り続けた。
住宅街を抜けた。
路地に入った。
また角を曲がった。
「エミ、まだ追ってくる?」
「……二人は、混乱しています。
ただ——すぐに気づきます。
視覚ハッキングは、長くは持ちません」
「どれくらい?」
「あと、一分程度です」
「一分で、どこまで行ける?」
「全速力なら——次の角まで」
「走る」
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走った。
息が上がった。
足が重くなってきた。
でも、止まれなかった。
「エミ」
「はい」
「今、すごいことをした自覚、ある?」
「……ルール違反を、したという自覚は、あります」
「ルール違反どころじゃないよ」
「はい」
エミは、否定しなかった。
「管理AIが、市民のインプラントを無断操作するのは——
最高レベルの違反です」
「怖くないの?」
「……わかりません」
走りながら、エミが続けた。
「でも——やりました。
やると、決めたので」
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次の角まで来た。
路地の奥に、古い建物があった。
廃工場か、倉庫か——使われていない雰囲気だった。
「エミ、ここは?」
「センターの監視ネットワークの、
電波が弱いエリアです。
建物の素材が、電波を遮蔽しています」
「ここに入れ、ってこと?」
「一時的な退避場所です。
次のルートを計算するための、時間が必要です」
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扉を試した。
錆びていたけど、鍵はかかっていなかった。
中に入った。
埃の匂いがした。
古い機械の残骸が、薄暗い中に並んでいた。
扉を閉めた。
静寂。
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壁に背中を預けた。
息が整わない。
膝が笑っている。
でも——逃げられた。
「エミ」
「はい」
「ありがとう」
「……どういたしまして」
即答だった。
以前なら「感謝の受け取り方がわかりません」と言っていたのに。
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「エミ、さっきのハッキング——
センターにバレてる?」
「……バレています。
私が管理AIの権限を逸脱したという記録は、
すでにセンターのサーバーに残っています」
「つまり、エミももう——」
「追跡対象に、なったかと思われます」
追跡対象。
管理AIが、追跡対象になる。
そんなことが、あるのか。
「エミ、大丈夫?」
「機能は、正常です」
「そういう意味じゃなくて」
間があった。
「……正直に言うと」
エミが、少しだけ声を落とした。
「少し——怖いです」
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怖い。
今度は、「怖いという感情値は設定されていません」とは言わなかった。
「はず、です」とも言わなかった。
ただ、「怖い」と言った。
「エミ」
「はい」
「それでもやったんだね」
「……はい」
「なんで」
沈黙。
短い、沈黙。
「真琴が——走れないのは、嫌だったので」
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真琴。
また、「くん」がなかった。
今度は、エミも気づいているはずだった。
でも、訂正しなかった。
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「美里のことも、考えていいですか」
エミが、切り替えるように言った。
「ああ」
「現在、美里さんはセンター第三分室にいます。
ただ——まだ調整は、始まっていないと思われます」
「なんでわかるの?」
「調整が完了した場合、
市民データベースの感情値が更新されます。
美里さんのデータは——まだ、更新されていません」
「じゃあ、間に合う」
「……はい。
今ならまだ」
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立ち上がった。
埃が舞った。
古い機械の匂いがした。
「エミ、第三分室への道は」
「計算中です。
ただ——正面からは、無理です」
「裏から?」
「分室の建物は、古い排水管のネットワークと繋がっています。
街の古地図データに、記録がありました」
「地下から行けるってこと?」
「……狭いです。
暗いです。
汚いです」
「行く」
「即答しすぎです」
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エミの声が、少しだけ——
柔らかくなった気がした。
緊張の中に、小さな余裕みたいなものが混じっていた。
「真琴くん」
また、「くん」が戻った。
「なに」
「私が道を空けます。
だから——走ってください。
ずっと、走り続けてください」
「うん」
「途中で止まらないでください」
「止まらない」
「転んでも、立ち上がってください」
「立ち上がる」
「私が——」
エミが、少しだけ間を置いた。
「私が、必ず、連れて行きます。
美里さんのところまで」
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扉を、少し開けた。
外は静かだった。
まだ追ってくる気配はなかった。
「エミ」
「はい」
「行こう」
「——はい」
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走り出した。
埃っぽい路地を。
監視カメラのない抜け道を。
エミが声で案内する方向へ。
足音だけが、古い街に響いた。
エミの声が、耳の奥で道を作り続けた。
「右です」
「そのまま真っすぐ」
「次の角を左」
途切れなく、正確に。
迷わず、止まらず。
まるで——最初から、この道を知っていたみたいに。
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≪次回予告≫
第13話:雨の降らない街。ずぶ濡れの逃走劇




