番外2 三人の休日(4)
「じゃあ、とりあえずは獣と虫対策は完璧だね。じゃあ、リノ留守番をお願いね」
湖を背に森のほうを眺めると、暖かな日の光に生き生きとした木々の葉が緑の服を贅沢に纏い、地面を包み込む草花たちは心地よい風に体を震わせ、二人を招き入れるように囀っている。
「もう、草花たちが早く来てよって言っているじゃないの」
昼食もろくに取らず、小袋に採取袋と試験管を詰め込み、フンと荒い鼻息を噴き出したアイリーンとバーサが森へと足を踏み入れようとした時である。
「グワァァ~ギャウギャウ……」と背筋が凍るような重低音の咆哮が静謐な森を一変させた。同時にバサバサバサッと茂みから多くの小鳥たちが飛び立つ音が響き渡る。
「なに?あの恐ろしいうなり声は」
地面を震わせるような咆哮に、アイリーンは声を震わせた。
「なんだか、森がおかしいよ。アイリーン、バーサ、こっちへ戻っておいで!」
車近くに居るリノが大声で叫ぶ。
手を小刻みに震わせたバーサがギュッと拳を握った。額から汗がにじみだす。
「獣だよ、何かわからないけどこの唸り声は異常だよ。最悪のことを考えないと……」
「うん、バーサすぐに車に戻ろう」
車に走ったバーサとアイリーンは荷物から筒を取り出し、リノに手渡した。
「バーサ?この筒は何なの?」
「これは麻酔薬が仕込まれている吹き矢よ。リノなら上手に扱えるでしょ?」
「麻酔薬の吹き矢って……なんでこんなもの持っているのよ」
リノの吹き矢を持つ手が固まった。
「これはね、私のいたランダバウト村で生えていたアカシキの木の皮を削った時に……」
「知ってる知ってる、シキって失う気持ちから来た名前なんだよね。それに」
「ちょっと、今そんな説明を聞いている場合じゃないでしょう。ところでこの麻酔薬はどれくらいの獣に効くのよ」
リノは二人の間に手を差し入れた。二人はハッと言葉を止め、森の先を凝視する。継続する唸り声と、何かが潜んでいる気配が絶え間なく続く。
「あ、ごめんリノ、確かに今はそんな場合じゃないわね」
「うん。それは三メートルほどの大熊でも、十秒もあれば寝てしまうわ」
「なんて強烈な……」アイリーンがごくっと喉を鳴らしたその時、バサバサバサッと草木が悲鳴を上げると、若い茶髪の男性が投げ出されてきた。
「何事!」
リノが吹き矢を構える。
「くっ……」と舌打ちをした男性は態勢を整え、森の奥を睨みつけた。力のこもった手に持つナイフがミシッと音を立てた。
再び「グワァァ~ギャウ、グルルルル」と咆哮が響くと同時に、かき分けられた草むらから、くすみがかったそれが姿を現した。
「灰色オオカミだわ!」
アイリーンの声に男性は後ろを振り向き、瞳を大きく開くと「ここは危ない!すぐに逃げろ」と声を荒げた。
完全に姿を現した体長二メートル程もある泥にまみれた灰色オオカミ。鋭い牙をむき出し、口元からボタボタと唾液が絶え間なく垂れだしている。その目は赤く充血し、目の前にいるすべてのものを排除するかの如く周囲を睨みつけている。
「あのオオカミ明らかにおかしいわ」
「ええ、灰色オオカミは本来きれい好きなはずだもの、美しいシルバーの体毛があんなに泥だらけなんてあまりにもおかしい。リノお願い」
頷いたリノがすっと片膝をつき、構えを取った。
「お前ら!何をしているんだ。早く逃げろ!」
額いっぱいに汗をかいた男性は物おじしない三人を睨みつけ、大声を張り上げる。
「うるさいな。ちょっと避けるか伏せてくれる」
威圧感の混じった予測不能な返答。「え?」と男はあわてて声のほうへ振り向くと、目の前には吹き矢の筒先が自身のほうへ向いている。ぎょっとした男性はなり振りかまわずその場を飛びのいた。
「ピュン」と風を切る音がしたと思えば、吹き矢はものの見事に灰色オオカミの首筋に突き刺さっていた。
灰色オオカミは「グッ」と喉を鳴らしたが、それ以外は何事もなく相変わらず歯をむき出しにしてゆっくりと男のほうへ近づいていく。
だが、いきなり灰色オオカミの膝がガクッと崩れ落ち、その場に倒れこんだ。
「え、どうなっているんだ」
男性はオオカミとリノとの間を視線の定まらない目で何度も往復させた。
「麻酔薬を打ったんですよ」バーサがそういった時、森のほうから再びガサガサ……と草をかき分ける音が響いた。
「え?まだいるの?」
アイリーンが足元にある石を拾い上げ、リノが再び吹き矢を構えた時、草むらから出てきたのは金白色の髪を持つ別の男性だった。年は先ほどの男性と同じ位で、十代後半といったところか。顔面蒼白のその男は腕と足から血を流し、木の枝を杖にしながらなんとか歩いていた。
「ルイス!」
ルイスと呼ばれたその男はその場に倒れこんだ。
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