72:祭り
「リオンさん!早く」
マルシアに呼ばれリオンはなんとか小走りで駆け寄る。
彼女と話すようになってからマルシアはリオンのことをさん付けで呼ぶようになっていた。同い年なはずなのに、なぜか姉を慕うかのようなその彼女はリオンにとって随分と可愛らしい存在に思えていた。
「マルシア様、あなたの足に私は追いつくのが精一杯ってことを覚えておいてほしいです」
少し息を切らしながらリオンは言う。
「魔女さんなら空飛んだらよくっては?」
「空を飛べたのは大昔の魔女くらいですよ。最近の魔女は飛べませんので必死に足を動かすんです」
まだ少し息が切れているが魔法の話をするのは楽しいのでなんとか話を続けた。
今日はマルシアと街の祭りにお忍びで出て来たのだ。
本来なら警備護衛従者などぞろぞろと付けなければいけないところ、イサクがマルシアがいるなら大丈夫だろうと言って基本的にはそばに誰もついていない状態で出て来たのだ。
マルシアの剣の腕は相当なようで、周りもイサクの意見に同意していた。
実際は二人が知らないところで誰かが見ているのだろうと言うことは十分わかっていたが。
お忍びということもあり随分と身軽な格好だ。
マルシアは城では下ろしていることの多いそのロゼ色の髪を低めのシニヨンにまとめ、いつも着ているワンピースよりも少し短めの、チュニックのようなものを選びその下に柔らかな素材のズボンを履いていた。
彼女の本来の姿なのだろうと思うとリオンはなんだか嬉しくなった。
リオンも彼女に倣い、いつも来ているドレスよりも随分と軽めのワンピースタイプのものを着ていた。細かな花や幾何学模様が描かれた生地がこの国らしく色はリオンの瞳と同じ群青色をベースとしたものだった。
街は随分と賑わっていた。
城から続く目抜き通り、街の真ん中の広場には噴水がある。そこを中心に祭りが開かれていた。
見たことのない食べ物や、こちらの国の衣類などがたくさん売られていてリオンは物珍しげにキョロキョロとしてしまう。
「リオンさんには全部、珍しいんでしょうね。私にはいたって普通のものしか売ってませんが」
そう朗らかにマルシアが笑う。
「もう全部が全部、珍しくって。あの果物みたいなものはなんですか?」
そうリオンが指さしたのは緑色が掠れたような皮がついた小さな丸い果実だ。
「食べてみますか?」
そう言ってマルシアはその店に軽い足取りで向かって行った。
相変わらずリオンはそれを追いかけるのが精一杯だ。
「はい、リオンさんこれ、どうぞ……ってかぶりつくなんてできない…ですかね?」
そう苦笑いをしながらさきほどの果実を渡してきたマルシアにリオンは首を横に振った。
「いえ、学校に通っていた時はいたって普通の生活してましたので、全く。それに今日の服装であれば心置きなく食べられそうですね」
そう言って渡された果実にかぶりついた。
皮ごと食べられるその果実は瑞々しくて、乾いた体を潤すようで随分と美味しく感じられ、必死でマルシアの後をついて来ただけあったなとリオンは思った。
「マルシア様はお城に来る前はどんな生活されていたんですか?」
「いたって普通の生活ですよ。貴族と名前はついているものの下級貴族ですし、一般市民とさほど変わらない生活です。まぁ一応貴族なので入れる学校だったり社交の場には出入りできる程度、その程度です。リオンさんは?学校の時は普通にっておっしゃっていたけれど…」
「ええ、学校は基本的に寮生活でしたので。良い機会でした。こんな生まれだと、普通の生活を送ることなんてそうそう無いことですから」
そう言ってマルシアを見ると、彼女は手に持っていた果物の最後の一口にかぶりついた。
口の横についたのであろう果汁をぺろっと舌で舐める仕草は小動物のように随分と可愛らしいものだった。
「ふふっ、イサク様がマルシア様のことを離したくなかった理由がなんか今、わかりました」
「き、急に何をおっしゃるんですか?」
マルシアの頬がほんのりと桜色に染まった。
「思ったことを言っただけですよ」
そうリオンはいたずらっぽく笑った。
二人はその後、噴水のある広場を越えて目抜き通りをさらに下っていった。
沢山の人が祭りや日々の買い物に来ているようでその様子にリオンはまたもやあたりをキョロキョロとしてしまう。
「あ!あのお店、美味しい串焼きがあるんです。リオンさんに食べて欲しいから行きましょう!」
そう言ってマルシアはその足を早めた。
「ちょ、ちょっと待って…!」
置いて行かれないようにリオンはまた小走りになる。
人が多いところで歩くのすら慣れていないリオンにとっては走ることなど難しい。
反対側から人が絶え間なくやってくる。
みんな噴水のある広場の祭りに向かうのだろう。ちょうど人の流れを逆流しているようなものだった。
歩いてくる人の中には貴族らしき人もいた。さぞ金持ちなのだろうなりをした人が従者をたくさん連れて歩いている姿も見えた。祭りとは立場も年齢も構わず人を街に誘き出させるのだ。
マルシアのロゼ色の髪を見失わないようにと少し首を長くし様子を伺った時だ。
右側から小さな子供がふらっとリオンの足元に出てきたのだ。
「うわっと!」
なんとかその子供を蹴り飛ばさないように避けたが、ただでさえ慣れない人混みの中だ。
リオンはその場でバランスを崩してしまった。
(まずい。転ぶ)
そう思った瞬間だ。
トンっと両肩に手が添えられ、転ばずに済んだ。
振り向くと甲冑を着た、見知らぬ人がリオンの肩を支えてくれていたのだ。
「わ、失礼しました。助かりました。ありがとうございます!」
そうリオンは頭を一度下げ、バイザーから覗くその人の目を見た。
(え……?)
そうリオンが思った瞬間、その人は軽く会釈して横に並んだ他の甲冑姿の人たちと歩いて行ってしまった。この暑い中甲冑だなんてと思ったがどこぞの貴族が連れて歩いていたのでそういう趣味なのだろう。
(そんなはず、ないよね)
垣間見た瞳の色は深い緑色。あの人と同じだ。
その人の背中を少しの間だけ見ていたが振り返るわけもない。
「リオンさん!何やってるんですか?危うく置いて行ってしまうところでした」
ついてこなかったリオンを気にしてかマルシアがリオンの元まで戻って来てくれた。
「リオンさん?どうか、されました?」
「え、あぁごめんなさい。マルシア様の足にはついていけないって言ったでしょう?」
そう笑ってマルシアを見る。
そうだ、目の前のこの人だってその瞳は緑だ。
だからきっと、他人だ。
そうリオンは思い、今度はマルシアに置いて行かれないよう、彼女の腕を掴ませてもらうことにした。
***
マルシアと街に出た夜リオンはいつものように窓際の椅子に座っていた。
昼間、転びそうになった時に肩を支えてくれたどこの誰かもわからない人を思い出していたのだ。
(同じ瞳の色をしていただけなのに、頭から離れないなんて我ながらバカらしい)
昼間外に出続けていたからか暑さで体が火照っている。太陽が自分の体力を奪って行ったかのように少しだけ体がいつもより重く感じた。
(でも、もし本人だったら…)
会いに来てくれたのかな?
そうリオンは思うが、もう一人の自分がすぐにそれを諌める。
目の前に現れるなと言ったのは自分だ。優しい彼のことだ、絶対に守る。だから他人だ。
そう自分を納得させふうっとひとつリオンが息を吐くと扉がノックされる音が聞こえた。イサクだ。
「随分と楽しんできたようだな」
「ええ、マルシア様のおかげです」
「今日は、本は読んでないんだな。考え事でも?」
なんとなく立ち上がる気力が起きず、椅子にかけたままイサクを迎えていたが、
テーブルの上に本が開かれていないことに気づいてイサクが聞く。
「まぁ、そんなところです」
曖昧に笑うリオンに、イサクは困ったような笑顔を向けた。
「また外に出たくなったら言ってくれ。今日は疲れてないか様子を見に来ただけだから話はまた後日」
そう言ってイサクが扉に向かおうとしたのでリオンは見送ろうと思い立ち上がった時だ。
リオンの目の前が、歪んだ。
ふらりとしたリオンの腕をイサクが掴み、倒れずに済んだ。
「……日に当たりすぎたか?」
「ごめんなさい。部屋にこもって本を読んでいるばかりじゃダメですね。もう少し体力つけます」
そうへへっと笑ってリオンは言った。
「今日はゆっくり休め」
「はい、ありがとうございます」
そう言ってイサクを見送った。




