69:言い訳
ハンザにきて3ヶ月が経っていた。
随分とこちらの生活にも慣れて、非日常だった毎日が少しずつ日常となり始めていた頃だ。
ノックもなしにバタンと大きな音を立てドアが開けられ、乱暴に閉められた。
その音に、いつもの夜の日課の如く本を読んでいたリオンは思わず肩をびくつかせた。
「イ、イサク様?どうか、されました?」
そう入ってきたイサクに近づくと、急にイサクはリオンの腕を掴みそのままリオンをベッドに押し倒した。
(いやいやいやいや、これはおかしいでしょ)
思わずリオンはそう思う。口に出なかっただけ良かったと思うくらい心の声は大きかった。
「あの、イサク様、急にどうされたんですか?」
首元にイサクの呼吸を感じながらリオンは聞く。
押さえつけられた腕が少し痛い。
「…ちょっと……イサク様?」
そう声をかけるとイサクの手に力がこもったのがわかった。
「痛っ……!」
リオンの腕などこの人の手にかかれば捻りつぶせるのではないかと思うくらい押さえつけられ、思わずリオンは声が出た。
その声がやっとイサクの耳に届いたのか彼はリオンに覆い被さっていた体を起こし、そのまま項垂れた。
「悪い……」
「どうか……されたんですか?」
起き上がり恐る恐るリオンはイサクの表情を伺った。
その表情は何かに絶望した、怒りと悲しみの両方を携えるような表情だ。
「何か、あったんですよね…?」
そうリオンが聞いてもイサクは答えない。
ふうっとリオンは息をついた。
少し腕は痛いが仕方がない。
「話せないことがたくさんおありかと思いますが、話せるのは私くらいなんじゃないですか?」
そう微笑んでリオンがイサクに聞くと、彼は少しだけ顔を上げリオンを見た。
「リオンに話すようなことではない」
「そうですか。じゃあこのお詫びとして話してください」
そうイサクが強く握った跡のついた腕を見せつけた。
「……悪かった。乱暴なことをした。謝る」
「はい、それはそれで良いです。で、なにがあったんですか?話すようなことじゃないなら、この部屋になど来なければ良かったでしょう?」
そういたずらっぽくリオンは笑った。
「……リオンには、敵わないな」
そうイサクは言って、なんとかというような声で話し始めた。
「幼馴染の話は覚えているな?」
「ええ、もちろん」
「…いや、やっぱりリオンに話すべきではない話だ」
そうイサクが立ち上がろうとしたので思わずリオンはその腕を掴み座らせた。
「私は何を聞かされても怒りませんよ。それよりも話してくださらない方が怒るかもしれません」
ふふっと笑いながらいうリオンのその言葉にイサクは困った笑顔でふうっと一息ついた。
「俺は…リオンに甘えっぱなしだな……嫌な気分になったらすぐに辞める。言ってくれ」
「はい、約束します」
「……彼女に縁談が上がっている……俺が裏で手を引いた」
その言葉で理解する。
いや、理解しない人などいないだろう。
イサクと幼馴染の関係を。
「あなたが欲しかったのは、その方なんですね」
その問いにはイサクは答えなかった。
「リオンの国に初めて出向く頃に、彼女に言われたんだ…『イサクの欲しいものに、私はなりたかった』って」
「あら、なら良いじゃないですか。なんで縁談など?」
「気づいてたんだ。彼女がどう自分を思っているかなんて。
けれどそれを無かったことにした。全部。国益となるのは何か、王子としてどの選択が最良か、国民はどう思うのか。それが全てだった。下級貴族と婚姻を結ぶなどなんの国益になる?ついでに親同士が良好な関係じゃないだなんて、彼女が嫁いできても良いことなどないだろう?」
「そうかもしれませんが…」
「だから、誰かのものになって仕舞えば良いと思った……馬鹿みたいだろう?」
そうイサクは力なく笑った。
「結婚したばかりの相手にこんなこと話すなんてな」
「いえ、本当のことを話してくださって私は嬉しいですよ」
そう答えながらリオンは考えを巡らしていた。
(仕方がないなぁ)
そう思ってリオンは立ち上がりクローゼットを開け、小さなトランクを手に取った。
奥の、誰にも目に届かないような奥にひっそりと置いてあった小さなトランクだ。
「お話してくださったから、少しだけ私のことをお話ししますね。お話しすること以上は、聞かないという約束で」
そう言って、イサクと自分の間にそっとそのトランクを置いた。
「これは、私のお守りなんです。けれど、戒めでもあります。……嘘みたいな手遅れをしてしまった自分への戒めです」
そうトランクを優しく撫でながらリオンは続けた。
「もう、絶対に開けることなどありませんが」
「中には何が?」
その質問にリオンは首を横に振った。
「イサク様。まだあなたは間に合うんじゃないですか?……この国の王子は一人しか妻を娶れない訳ではないでしょう?……どうか、私のような手遅れになどならないようにしてください。私は何があってもあなたを咎めたりする気はありませんから」
「リオン、何を言っているんだ?」
「あら、言葉通りですけれど?」
「そんなこと……」
「きっとできますよ。あなたが思いを寄せる方なら、私もその方を全力でお守りしますから」
「だけど」
そうイサクが顔を上げ言った瞬間に、リオンはそっと彼の顔に手を伸ばし、頬をそっと撫でた。
「あなただって、気づいているんでしょう?あなたが言っているのは、全て言い訳だって」
イサクが眉を寄せる。初めて見る彼の表情だ。リオンの言うことを心は理解しているが、頭で止めてしまう。その狭間に立ちすくんだような顔だった。
「取り返しのつかないことになる前に、気づけて良かったんじゃないですか?まだ、欲しいものは、あなたの目の前にあるのだから」
その言葉にイサクの頬を撫でていたリオンの手を彼が握った。
「……リオン。いつかその中身を教えてもらえる日が来るように俺は努力する。それから……君の国との親交は、何があっても変わらない。それだけは覚えておいてくれ」
「はい」
そうリオンは花ひらく笑顔で答えた。
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イサクが部屋を出て行ってからリオンは一人いつもの窓際の椅子に座っていた。
目の前には、小さなトランクがひとつ。
さきほどからじっと見つめ、ずっとリオンは考えていた。
(羨ましい、なんて思ってはいけないのかな)
(まだ、手の届く場所に欲しいものがあることがどれだけ幸せなことか)
(どうか彼の願いが叶いますように)
そう願ってまたトランクをそっと撫でた。
(私も、欲しかったな……)
ポタリと流れた涙で森のような深い緑色のドレスに染みが浮かび上がった。
(だけど。そんなこと、私に言う資格などない)
リオンは立ち上がり小さなトランクをまたクローゼットの奥へと仕舞い込んだ。




