64:舞踏会
「今日は急で悪かったな」
そう言って差し出された腕に手を預ける。
「いいえ、とんでもございません」
昨日いつものように本を読んでいた所、イサクに今日の舞踏会への参加を求められたのだ。
いつもなら遅くとも数日前には予定を決められているのだが今回は急だった。けれどきっと何か理由か、予定の変更があったのだろう。
そう思って二つ返事で承諾し、今日この舞踏会に参加したのだ。
リオンは笑顔でイサクの横に並んで歩いた。
自国のドレスと違い、ハンザの女性のドレスは柔らかい素材が多く、ワンピースのような軽めのドレスを着た後に、大きな布で体全体をさっと巻くのが一般的なもので、最初こそ着なれなかったが動きやすさとその繊細な刺繍はリオンの気にいるものとなってきたところだ。
舞踏会はある貴族が主催者となって内々で催されるものだそうで、ほとんどの参加者は何となく顔を見たことのある人だった。
舞踏会と言っても王子夫妻はそこまでは踊らない。参加して、主催者をねぎらい、参加者と話をするのが主な仕事だ。
会場に着くと入れ替わり立ち替わり挨拶に来る人がいた。
王子といえどもイサクは基本的にどんな立場の人間相手にも気さくに話す。だから周りも必要以上の距離は取ってはこない。
挨拶にくる人々をリオンはその都度、名前とどういった立場かを思い出していた。一通り頭には入っているものの、決して失礼がないようにと神経を使う仕事だ。
「お久しぶりでございます」
そう話しかけてきたのは男性の、主催者である貴族の息子だったはずだ。
「ああ、久しぶりだな。今日はお父様からのお招き、感謝する」
「もったいなきお言葉。……リオン様、お近くでお会いするのは初めてかと。シーロ・ソラナと申します」
「こんばんは、シーロ様。結婚式の際はご参列くださってありがとうございました。直接の御礼が遅くなり失礼しました」
「とんでもございません。東の美姫と噂のあったリオン様の花嫁姿はもう、言葉通り、この世のものとは思えないほどのものでしたのでその場にいれただけで私は幸せ者です」
「お褒めのお言葉、嬉しい限りです」
そうリオンはふふっと笑った。
「……で、シーロ」
そうイサクが意味ありげにシーロに目を向けた。
「ええ、イサク様のおっしゃった通りに。けれど……大変失礼ながら、良ろしいんでしょうか?」
頭を少しだけ下げながらシーロは言った。
何故かリオンのこともちらりと見たような気がしたが気のせいだろう。
「何のことだ?」
そうイサクがシーロを見る目は王族のそれだった。
その様子にシーロは何かを理解したように一礼をしてリオンたちの前からいなくなった。
リオンはその様子を不思議に見ていたが、横に立っているのは実質的に国政を担うこの国の王子だ。
自分には理解できないことや知るべきでないことも多いだろうと思い、口元には笑みを浮かべたまま何も聞かなかった。
「リオン、まだ疲れてはいないか?」
そうイサクに聞かれコクンと頷くと掴んでいたイサクは右手を差し出してきた。
「あら、今日は踊ってくださるんですか?」
そう笑ってリオンが聞き、手を預けるとそのまま二人、踊りの輪の中に入っていった。
久しぶりに踊る気がした。
最後に踊ったのはいつだろうと記憶を巡る。こちらに来てからはまだない。アランデムにいた時か、とリオンは思い出していた。
(あの時のパーティーが最後…ではないよな…)
ふと思い出したのは学校の3年生の時のパーティーだ。
あの時は随分と困った挙句、踊ったんだったとリオンは思った。
仕立てたドレス、天井の高い講堂、手をとった相手。
(いや、思い出す必要はない。あれは、もう置いてきたのだから)
「何か考え事か?踊りながらとは器用だな」
そうイサクがリオンの耳元で言った。
「いえ、久しぶりに踊るのでステップを間違えてしまわないか考えてしまっていたんです」
そう言うと、イサクは少し困った笑顔をリオンに向けた。
1曲だけ踊った後、そのままお暇しようという流れになったので主催者に挨拶をして出口へと足を向けた。
会自体はまだ中盤らしく、遅れて参加する人何人かとすれ違った。
「イサク様」
ちょうど玄関へ向かう廊下の四角に差し掛かった時だ。
反対側から歩いてきた一人の人間にイサクが呼び止められ、リオンも足を止めた。
「お久しぶりでございます。珍しく踊られていたようで……お元気そうで、何よりです」
そうロゼ色の髪を低めのシニヨンにした女性が続けた。
「ああ。久しぶりだな」
「……もう帰られる所でしたか?」
「ああ」
「それなら引き止めてしまっては申し訳ないですね。それでは、おやすみなさい」
そうその女性は会場の方へと足を向けた。
リオンはイサクの横で控えめに一礼をしてその女性を見送った。
リオンはその女性が誰か頭に入っていなかった。
初めて見る顔だったし、先程名乗りもしなかったので誰かわからない。思わずイサクに今のは誰かと尋ねた。
「下級貴族だからあまり会うこともないだろう。主催者の遠縁の娘だ」
その答えにそうなのか、と思いリオンは馬車に乗り込んだ。
だからリオンは気づかなかった。
イサクが馬車に乗る前に、誰にも気づかれぬほどの一瞬、振り返っていたことに。




