22:学校と城①
冬を越え、リオンは3年になった。
植木鉢や『野犬』のようなことはあれ以来起きておらず、いたって平穏だった。
それに学年が上がり、授業は机上のものに加えて実習が始まったこともあり、むしろ随分と楽しい毎日を送っていた。
(これで城の仕事がなければ最高なんだけどな)
そう思いながらあの小さな広場にゴロンと寝転んだ。
授業が終わり、城での仕事の迎えが来る時間まで少し時間があったため出かける支度を済ませた後に1人でここにきて暇潰しをしていたのだ。
春になり、草木や土の香りが心地よい。
今年もリナリアの花が沢山咲くこの広場は気持ちが良い。
思わず目を瞑り深呼吸をした。
頭の奥にまでその空気を行き渡らせた後、ぱっと目を開けると上からリオンを覗き込んだカイがいた。
「足音くらい、立ててくれないと、ちょっと怖い」
寝転がったままカイに笑いかけるとカイも笑った。
2年の間、しょっちゅう一緒にいたからか随分と彼の表情は自然だ。
よいしょと上半身を起こしカイに聞く。
「図書室、行かないの?」
「いや、リオンいなかったからここにいるかと思って」
「何か用事?」
「いや、別に。朝からちょっと険しい顔してたから」
カイとは3年でも同じクラスになった。
サラとアーロンとはまた別のクラスで寂しかったけれど、カイと同じクラスだったのは嬉しかった。
「……顔に出ないように努力はしてるんだけどね。今日これから『家』で仕事あって、面倒くさいなぁって思って。しかもいつもならその日のうちに帰って来れるんだけど、今回は明日の朝まで」
「大変だな」
仕方ないからね、と言いながらカイに困った笑顔で言うと、横にしゃがんだ彼の手がリオンの頭に伸びてきた。
驚いて思わず体が固まった。
カイの手が元に戻されたことを確認したら、その手に芝生を持っていた。
「髪についてた」
「あぁ、ありがとう。芝生つけたままじゃ流石に『家』帰れないわ」
そう平然と言ったものの、なんだか心臓が煩い。
その場に居続けるのもなんだか落ち着かない気がして、じゃあそろそろ行くねと言って立ち上がった。
ローブにも付いた芝生を払い落とし、歩き始めると後ろからカイがリオンを呼んだ。
「リオン、いってらっしゃい。頑張って」
その言葉に一瞬どんな顔をして良いかわからなかったけれど、1拍おいてリオンは笑った。
「ありがとう。いってきます」
そう言って馬車の待つ、人気のない待ち合わせ場所に向かった。
(『いってらっしゃい』なんて、言われたの、初めてだな…)
そう城の自室で準備をしながら考えていた。
城から学校に戻る時には誰とも会わないように出てくるし、会ったとしても誰も何も言わない。
幼い頃から基本的に城の中で育ったので誰かに出かけるところを見送られることなんてほとんどない。
ごく稀に他国へ出かける時は使用人たちに、儀式のように挨拶をされる程度だ。
カイの言ってくれた言葉に少しの戸惑いはあったものの、嬉しくなったのは事実だ。
思わず誰も居ない部屋でリオンの口角が上がった。
今日のドレスは薄い紫色だった。
南の隣国ギールズの国花の色だ。色は甘めだが、デザインは少し大人っぽく細美だ。このドレスにメイクも合わせようと思い、鏡台の前に座った。
いつも学校でしている、幼くタレ目に見えるようなメイクを拭き取り、その目元とドレスに良く似合う、スッとしたラインを入れていく。
眉尻も少しだけ長く描き、大人っぽく見えるように仕上げていった。
髪はハーフアップにして流した髪は緩やかに巻いて完成だ。
そうだ、と思い出し寮から持ってきた荷物をあさり、小さな小瓶を取り出した。
あの、サラがくれた香りが気に入っているボディクリームだ。
(今日は香水やめてこれにしよ)
そう思い足や腕にクリームを塗りつけていく。
城の、自分がひどく居心地の悪いこの場所でサラのことを思い出せるこの選択は正解だと納得し、ほんの少しだけ、いつもここにいる時よりも心強い気がして嬉しくなった。
(さっさと終わらせて、早く帰ろうっと)
その日の来客対応は、遅めの時間から始まった。
食事を共にし、自分の役目は相手国の王子の話し相手。
魔法や魔術の話ならいくらでもできるのだが、国のことや、相手の国のこととなると話が止まってしまわないか少しだけ不安になりながら話を続けていた。
もちろんリオンはその仕事を完璧にこなすために準備は抜かりない。
けれどもやはり自分の興味関心のあることと、そうでないことの理解度には差が出てしまう。
食事が終わり、王子が一杯どうかと言うので誘われるまま談話室となっていた部屋のバルコニーに出た。
背が高く、青い瞳をしたその王子は自分より3つ年上の愛想の良い人だった。
ただ言われなくともわかるくらい、リオンのことを随分と気に入ってるのはこれまで何度か会って知っていた。
だからと言って何かされる訳でもなく、リオンとしては良くも悪くもない印象の人だ。
その時までは。
「酒は飲むか?」
「いえ、まだ18の誕生日がきていないので、遠慮しておきますね」
そうたおやかな笑みを浮かべて断り、アルコールの入っていない飲み物を用意してもらった。
「誕生日を迎えたら、一番に一緒に乾杯しよう」
「ふふ、お祝いしてくださるんですか?よろしくお願いしますね」
そう言うと王子はリオンに一歩近づき手を伸ばしてきた。
「あなたは本当に美しい」
そう言ってそっとリオンの髪を撫でた。
「お上手で。何にもお返しできるものはございませんよ」
その程度なら、よくあることだ。もう流石にかわし方の一つや二つ、覚えている。そう思っていた。
笑いかけて、キュッと目に力を入れ相手を見ればだいたいの男はリオンのその様子にたじろいで引き下がる。
何ならこの人相手にもやったことがある。だから今日もそうした。
けれど王子は思っていた行動と真逆の行動をとったのだ。
髪を触れていた手はリオンの首の後ろに回され、いつの間にか持っていたグラスを近くに置いた反対側の手で腰のあたりを抑えられ身動きが取れない。
そう思っていると王子の顔が近づいてきた。
(やめろ)
心の中で、思わず悪態をついた。
無理矢理キスをされそうになったその瞬間、2人の間に人差し指一本が入り込んだ。
「こういう秘密も、いつか未来の誕生日プレゼントにしてくださいませんか?」
リオンが立てた人差し指に口を取められ、王子は少し驚いているようだった。
心中を察せられないよう、笑顔を顔に貼り付け、リオンは王子を見つめた。
「……あなたには、敵わないな。余計に欲しくなった」
「光栄です。ただ私の意思だけでは、決められないことも、貴方様は十分ご存知でしょう?」
そう微笑みかけると、王子は観念したようにリオンの体から手を離したはずだった。
ぞわりとした嫌な感覚が体を走った。
「また、今度」
そう言って、リオンの首元にキスをしたのだ。
そしてそのままリオンの耳元で王子が言った。
「そういえば…最近少し魔術に興味があって…今度はそういう話でもしようか」
なんのことかと思うのと、されたことに腹を立てたがリオンはその気持ちをぐっと飲み込んだ。
「あら、魔術ですか?私、そういうことには疎いのですが、貴方様のためであれば次にお会いするまでに少し学んでおきますね」
そうリオンが言うと王子は意味ありげな笑顔をした後、バルコニーから部屋の中に入っていった。
その後ろ姿が部屋からいなくなるのを確認した後、リオンは外の方へと顔を向けた。
思わず舌打ちの一つでもしたくなるような気分だ。
相手の許可もなく体に触れることなど、本来王族間で許されるはずがない。礼儀や付き合いとしてならあるが、彼は何も言わずにリオンに触れてきた。
もちろん、許可なくリオンに触れてきた人間など沢山いる。
そんなこと慣れていたはずなのに、今日はどうも許し難かった。
(こんなこと、今までもあったのにな……なんか今日は耐えられない)
泣きそうになりながら、城で泣くなどありえないことだからと涙がこぼれ落ちないようにグッと顔に力を入れた。
無作法だと思いつつも、バルコニーの欄干に腕をつき少し顔を埋めると、サラがくれたクリームの香りがほんの少しだけ、残っていた。
(早く、寮に帰りたい)
夜風がまだ少しだけ涼しく感じる夜に、リオンは自分の腕をぎゅっと抱いた。




