東京編 第9話「もうすぐ、の先に」
いつも読んでくださりありがとうございます。
第9話では、四人が「もうすぐ」という
言葉を追って北へ向かいます。
奈々のスマートフォンの電池が切れる場面——
この話で、一番書きたかった瞬間です。
ゆっくり楽しんでいただければ嬉しいです。
矢印の横に書かれた「もうすぐだ」という文字が、四人の足を速めていた。
無意識のうちに、歩くペースが上がっていた。奈々だけじゃなく、ガルドも、シアも。ケンは小走りになりかけて、奈々に手を引かれてペースを落とした。
「焦るな」とガルドが言った。「急いで足音を立てれば、気づかれる」
「……分かってる」とケンは言った。でも、目が輝いていた。
もうすぐ。
その言葉が、ケンの中で何かを灯していた。奈々にはそれが分かった。消えかけていた火が、少しだけ大きくなっている。
それが嬉しくて——同時に、怖かった。
もし、辿り着いた先に何もなかったら。
奈々はその考えを、頭の奥に押し込んだ。
北へ向かうにつれて、街の様子が変わり始めた。
廃墟は同じだ。でも——何かが違う。
壊れた建物の中に、人が使った形跡がある。最近のものだ。踏み固められた地面。整理されたゴミ。誰かが住んでいた——あるいは通り過ぎた——痕跡。
「人がいた」とシアが低い声で言った。
「感染した人間じゃない」とガルドが答えた。「意図的に整理している。生き残った人間だ」
奈々は周囲を見渡した。
確かに。感染した人間は整理なんてしない。これは——生き残った誰かが、ここを使っていた証拠だ。
「北へ向かった人たちが通った道かもしれない」と奈々は言った。「矢印を見て、ここを通って——」
「安全な場所へ向かった」とガルドが続けた。
四人は顔を見合わせた。
本当に、ある。
北に、何かが。
昼を過ぎた頃、小さな戦闘があった。
路地の角から、変異した個体が三体現れた。でも今回は、慌てなかった。
ガルドが前に出た。剣を抜く。
シアが影を伸ばした。一体の足を縛る。
ガルドが二体を薙ぎ払い、縛られた一体を仕留めた。
時間にして、十秒も経っていなかった。
奈々はケンを庇いながら、その様子を見ていた。
先週と、全然違う。
まだぎこちない部分はある。でも——ガルドとシアの動きが、少しだけ噛み合い始めていた。声を掛け合わなくても、互いの動きを見て判断している。
これが、チームというものか。
奈々は静かに思った。
午後の半ば、奈々はスマートフォンを取り出した。
電池残量を確認する。
一パーセント。
奈々は立ち止まった。
「どうした」とガルドが振り返った。
「スマートフォンの電池が——もう終わる」
ガルドには「スマートフォン」という言葉の意味は分からないだろう。でも、奈々の表情で理解したらしく、黙って待った。
奈々はメモアプリを開いた。
最後のメモを打ち込む。
―――――――――――――――
9日目。北へ向かっている。
街に生き残った人たちの形跡。
チームの連携が少しずつ噛み合ってきた。
ケンはまだ、前を向いている。
シアは、少しずつ笑うようになった。
ガルドは——まだ、多くを語らない。
でも、いる。それだけで十分だ。
もうすぐ、何かに辿り着く。
―――――――――――――――
打ち終えた瞬間、スマートフォンの画面が暗くなった。
電池が、切れた。
奈々はしばらく、暗くなった画面を見つめていた。
これまで記録してきた全部が、この中にある。でも今は取り出せない。
記録の道具がなくなった。
じゃあ、自分はどうする。
奈々はスマートフォンをバッグにしまった。
頭に刻む。見たものを、聞いたことを、感じたことを。文字にできなくても、忘れない。
それでいい。
「行こう」と奈々は言った。
夕方が近づいた頃、ガルドが足を止めた。
突然だった。
先頭を歩いていたガルドが、何の前触れもなく立ち止まって——周囲を見渡した。剣に手をかけている。でも抜いていない。
「ガルド?」
「……気配がある」とガルドは低く言った。
「感染した人間?」
「違う」
ガルドは、廃ビルの方を見ていた。四階建ての、窓がほとんど割れた建物。その三階あたりを、じっと見ている。
「人間だ」とガルドは言った。「生きている人間の気配がする」
奈々は廃ビルを見上げた。
何も見えない。でも——ガルドがそう言うなら。
「矢印を残した人?」とケンが言った。
「……分からない」
ガルドはしばらく廃ビルを見ていた。それから、ゆっくりと剣から手を離した。
「敵意はない」とガルドは言った。「ただ——見ている」
誰かが、この四人を見ている。
奈々は廃ビルの三階を見上げた。
窓の陰に——何かが動いた気がした。
人影のような、何か。でも、すぐに消えた。
「どうする」とシアが静かに聞いた。
奈々は少しの間、考えた。
「……行こう。北へ」と奈々は言った。「向こうが話したければ、向こうから来るはず」
ガルドは頷いた。
四人は歩き出した。
廃ビルの前を通り過ぎる時、奈々はもう一度だけ三階を見上げた。
今度は、何も見えなかった。
でも——確かに、誰かがいた。
その夜、廃ビルに避難して眠りについた後。
奈々は夢を見た。
真っ暗な場所に、白い影が立っていた。性別も、顔も、年齢も分からない。ただ白い何かが、遠くから奈々を見ていた。
夢の中で奈々は聞いた。
「誰?」
白い影は答えなかった。
ただ——微かに、笑ったような気がした。
そこで、目が覚めた。
窓の外は、まだ赤かった。
夜明け前の、一番暗い時間。
奈々は身を起こして、周囲を確認した。ガルドは入口で目を閉じていた。ケンはシアの隣で眠っていた。シアは——目が覚めていて、奈々を見ていた。
「眠れなかった?」と奈々は小声で聞いた。
「……少しだけ」とシアは答えた。「でも、いい」
「夢、見た?」
シアは少し考えてから、首を横に振った。
「……夢を見られるようになった。施設にいた時は、見られなかった」
奈々はその言葉の意味を、ゆっくりと理解した。
眠ることが怖かった。夢を見るほど深く眠れなかった。
でも今は——眠れている。
「良かった」と奈々は言った。
シアは何も言わなかった。でも、かすかに頷いた。
夜が明けた。
廃ビルを出ると、また矢印があった。
そして今日の矢印の横には、昨日とは違う
文字が書かれていた。
「これが最後の印だ。」
奈々は、その文字を見つめた。
最後。
ケンが、奈々の手を強く握った。
「最後の印だって」とケンは言った。
声が、少し震えていた。
「ああ」とガルドは静かに言った。
四人は、矢印の先を見た。
北の空は、相変わらず赤かった。
でも——今日、何かが変わる。
そんな予感が、奈々の胸の中にあった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
記録の道具を失った奈々が
「頭に刻む」と決める場面——
道具がなくても、
記録することを諦めない人間の話です。
「今日、着く。」
次話をお楽しみに。
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