東京編 第10話「白い影」
いつも読んでくださりありがとうございます。
第10話で、ついに新しい仲間が登場します。
矢印を残していた人物——
想像していた人と、違ったでしょうか。
ゆっくり楽しんでいただければ嬉しいです。
「これが最後の印だ。」という文字を見てから、四人の空気が変わった。
会話が減った。
誰もが、前を見ていた。矢印の先を。北の空を。
ケンだけが時々、奈々の手を強く握った。その度に奈々も握り返した。言葉はいらなかった。
矢印は、住宅街の跡を抜けて、小さな公園の前で途切れた。
ブランコが二つ、錆びたまま残っている。砂場は枯れた葉で埋まっていた。赤い空の下で、誰もいない公園だけが、不思議と静かだった。
矢印は——公園の向こうの、古いマンションを指していた。
六階建て。外壁が薄汚れているが、窓は割れていない。入口のドアも、きちんと閉まっている。他の建物とは明らかに違う、手入れされた形跡があった。
「ここだ」と奈々は言った。
近づこうとした瞬間、声がした。
「止まれ」
低く、静かな声だった。
四人が足を止めた。
ガルドが即座に剣に手をかけた。声の方を見る。
マンションの入口の脇——影の中に、人が立っていた。
いつからいたのか、分からなかった。さっきまで、確かに誰もいなかったはずだ。でも今、そこにいる。壁に背中をつけて、腕を組んで、こちらを見ている。
白い髪。年齢が分からない。黒いロングコート。手袋をしている。
その目が——奈々を見ていた。
感情が、なかった。怒りでも、警戒でも、好奇心でもない。ただ、観察している目。チェス盤を見る目。
「武器を下げろ」とその人物は言った。ガルドに向かって。「俺が敵なら、お前たちはもうここにいない」
ガルドはしばらく、その人物を見ていた。
それから、ゆっくりと剣から手を離した。
「矢印を残したのは、あなた?」と奈々は聞いた。
「そうだ」
「なぜ」
その人物は少し間を置いた。
「生存者を集める必要があった。戦力として。一人より複数の方が生存確率が上がる。感情的な理由ではない」
奈々は、その答えをしばらく頭の中で転がした。
感情的な理由ではない。
人を助けるために、ではなく。生存確率を上げるために。
「……名前は?」と奈々は聞いた。
「アル」
「私は秋乃奈々。こっちがガルド、シア、ケン」
アルは四人を順番に見た。ガルド、シア、ケン、そして奈々。まるで品定めをするように。
ケンがアルを見上げた。
「……この人、笑わないね」とケンは奈々に小声で言った。
アルはケンを見た。
「笑う必要がある状況ではない」
ケンはぴたりと黙った。
奈々は少しだけ、笑いそうになった。
シアが、アルを見ていた。
じっと、動かずに。
アルもシアを見ていた。二人の視線が交わって——アルの目が、わずかに変わった。ほんの一瞬だけ。すぐに元の無表情に戻った。
奈々はそれに気づいた。
何かが、あった。アルがシアを見た時に。
でも今は聞けなかった。
「中に入れ」とアルは言った。「外は安全ではない」
マンションの中は、奈々が想像していたより遥かに整っていた。
一階のロビーに、複数の人間が生活していた形跡がある。毛布、食料の残り、水の備蓄。そして——他にも、人がいた。
三人。
一人は中年の女性。一人は若い男性。一人は——老人だった。足が悪いらしく、壁にもたれて座っている。
奈々はその光景を見て、胸の中で何かが緩むのを感じた。
他にも、生き残っている人がいる。
「全員、俺が集めた」とアルは言った。「矢印を見て来た者たちだ」
「何人いるの?」
「今日お前たちが来る前は、三人。今は七人だ」
奈々は計算した。三人プラス四人で七人。確かにそうだ。
「なぜここに?」とガルドがアルに聞いた。「お前は何者だ」
「別の世界から来た」とアルは答えた。「お前と同じように」
ガルドの目が、わずかに変わった。
「召喚されたのか」
「そうだ。東京に降りた瞬間、状況を把握した。混乱した都市。感染した人間。そして——生き残ろうとしている人間たち。駒を集めて、盤面を整える。それが最初にやるべきことだった」
駒を集めて、盤面を整える。
奈々はその言葉を聞いて——少しだけ、引っかかりを感じた。
この人は、人間を「駒」と呼んだ。
でも今は、それを指摘する場面じゃない。
「RAについて、知っていることはあるか」と奈々は聞いた。
アルは奈々を見た。今度は、さっきとは少し違う目で。
「お前は、情報を集めていたのか」
「できる限り」
「スマートフォンが電池切れになるまで、記録していた」
奈々は少し驚いた。なぜ知っているのか——それよりも、この人はずっと、四人を観察していたのだと気づいた。
「RAについては、知っている」とアルは続けた。「だが——今夜は休め。話は明日だ。お前たちは消耗している」
「でも——」
「情報は逃げない」アルは静かに言った。「お前たちが倒れたら、情報を活かせない。順番がある」
奈々は、その言葉の合理性を認めた。
感情がない。でも、間違っていない。
「……分かった」
その夜、四人は久しぶりにまともな場所で眠った。
毛布があった。屋根があった。他に人がいた。
ケンはあっという間に眠った。シアは毛布に包まって、初めて見る天井を静かに眺めていた。ガルドは相変わらず入口の近くに陣取っていたが、今夜は少しだけ肩の力が抜けていた。
奈々はなかなか眠れなかった。
アルのことを考えていた。
――――――――――――――
あの人は何者なのか。何を知っているのか。何を考えているのか。
そして——シアを見た時の、あの一瞬の表情の変化は何だったのか。
――――――――――――――
頭の中で、言葉にならないメモを取り続けた。
スマートフォンがなくても。文字にできなくても。
記録することを、やめない。
眠りにつく直前、アルが部屋の入口に立っているのに気づいた。
見張りをしているのか、それとも——ただ、立っているのか。
「眠れないのか」とアルは言った。
「……少し考えていた」
「考えすぎは判断を鈍らせる」
「あなたは考えすぎないの?」
アルは少しの間、黙った。
「俺は——必要なことしか考えない」
それだけ言って、アルは入口から離れた。
奈々はその言葉を聞きながら、目を閉じた。
必要なことしか考えない。
それは——強さなのか、それとも何かを失った結果なのか。
奈々には、まだ分からなかった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
アルというキャラクターは
「必要なことしか考えない」人間です。
でも——本当にそうなのか。
これから少しずつ、見えてくると思います。
次話も読んでいただけると嬉しいです。
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よろしくお願いします。




