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終末の証人  作者: GrayAmber
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東京編 第5話「すごかった」

いつも読んでくださりありがとうございます。


第5話では、4人の初めての朝から始まります。


まだ他人同士。でも、一緒に生き延びようとしている。

その小さな一歩を描いた話です。


ゆっくり楽しんでいただければ嬉しいです。


 朝が来るたびに、世界が少しずつ現実になっていく。


 奈々は廃ビルの窓から外を見ながら、そう思った。最初の夜は夢だと思っていた。でも二日目の朝も、三日目の朝も——赤い空は消えなかった。紋章は消えなかった。


 これが現実だ。


 受け入れるしかない。


 四人は、昨夜から廃ビルの三階に身を潜めていた。


 コンビニで集めた食料を広げて、四人分に分ける。水のペットボトルが三本。パンが四つ。缶詰が二つ。ケンが「少ない」と言いかけて、奈々の顔を見て黙った。


「均等に分けるよ」と奈々は言った。「ケンくんは成長期だから少し多めでもいいんだけど」


「いい」とケンは首を振った。「みんなと同じがいい」


 ガルドは黙って自分の分を受け取った。


 シアは——少し離れたところに座っていた。壁に背中をつけて、膝を抱えて。奈々が食料を差し出すと、小さな声で「……ありがとう」と言った。


 それだけだった。


 昨夜、奈々の手を握ってくれた。でも今朝はまた、遠い場所に戻っている。一夜で心を開くほど、シアの傷は浅くない。奈々にはそれが分かった。


 焦らなくていい。


 時間をかければいい。


 ガルドがシアの方を見た。視線に気づいたシアが顔を上げる。二人の目が合った。


 ガルドは何も言わなかった。


 ただ、缶詰を一つ、シアの方に静かに押した。


「……私の分は」


「もらっておけ」


 それだけだった。


 シアは缶詰を見つめた。それから、ガルドを見た。ガルドはもう窓の方を向いていた。シアは静かに缶詰を手に取った。


 ケンがその様子を見ていた。


「ガルドって、優しいよね」とケンは奈々に小声で言った。


「……うん、そうだね」


「怖そうなのに」


「怖そうな人が優しい時って、もっと優しく感じるんだよ」


 ケンは少し考えてから、「そっか」と言った。


 食事を終えた後、奈々は昨日から気になっていたことを口にした。


「今日、少し街を見て回りたい。情報が必要だよ。今どこが安全で、どこが危ないのか。それと——」


 奈々は少し躊躇してから続けた。


「昨日、移動している途中で変なものを見た。廃ビルの壁に、同じ印が何度も描かれてた。スプレーで。黒くて、丸の中に矢印みたいな——」


「どういう印だ」とガルドが聞いた。


「道案内みたいだった。迷わないように誰かが残した——そんな感じ。感染した人間が描いたものじゃない。意図的に、誰かが」


 シアは黙って聞いていた。


 ガルドが少し考えてから言った。「追う価値はある。誰かが意図して残したなら、その先に何かある」


「見に行こう」と奈々は言った。「そのマークを追えば、何かが分かるかもしれない」


 四人は廃ビルを出た。


 奈々が先頭に立って、昨日見た印の場所へ向かう。ガルドが後衛。シアとケンは中央。


 五分ほど歩いたところで——奈々は足を止めた。


 路地の曲がり角の壁に、黒い印があった。丸の中に、斜め下を向いた矢印。まるで何かを示しているように。


「これ」と奈々は言った。


 ガルドが近づいて観察した。「最近描かれたものだ。まだ滲んでいない」


「誰かが今もここにいる、ってこと?」


「そう考えた方がいい」


 奈々は矢印が指す方向を見た。北だった。


「行こう」


 矢印は、北を指し続けていた。


 百メートルごとに、必ず同じ印が現れる。電柱の根元。ビルの角。車のドア。丁寧に、確実に——誰かが残した道しるべ。


「計画的だ」と奈々は呟いた。


「この印を描いた人間は」とガルドが静かに言った。「この街を熟知している」


 ケンが奈々の手を握ったまま、きょろきょろと周囲を見ていた。


「ねえ奈々ちゃん」


「なに?」


「この印、描いた人は今もいるの?」


「分からない。でも——最近描いた人がいる。それは確かだよ」


「会えるかな」


「……会えるといいね」


 奈々は正直そう思っていた。この印を残した人間が敵とは思えなかった。敵なら、わざわざ道案内はしない。


 その時——音が聞こえた。


 最初は一つだった。


 かさ、という小さな音。どこかのゴミ袋が動いたような、それだけの音。


 でも奈々の首の後ろが、ざわりと粟立った。


 ガルドが剣を抜いた。


「数が多い」と低い声で言った。「囲まれる前に——」


 間に合わなかった。


 路地の両端から、変異した人間が溢れ出してきた。


 一体じゃない。二体でも、三体でもない。


 十体。二十体。いや——もっと。


 群れだった。


 互いにぶつかり合いながら、でも同じ方向に向かってくる。一つの意思を持った波のように。バラバラに動いているのに、全体として一つの生き物みたいに——


「ケン、離れるな!」奈々は叫んだ。


 ケンが奈々の腕を掴んだ。小さな指が、きつく食い込んでいる。


 ガルドが前に出た。剣を構えて、最前列の三体を一振りで薙ぎ払う。でも後ろからまた押し寄せてくる。倒しても倒しても、次が来る。


「キリがない」とガルドが低く言った。


 シアが立ち上がった。手の甲が熱くなっているのが、奈々には見えた。呪紋が、微かに黒く光っている。


「……できる」とシアは呟いた。「少しだけ、できる」


 シアが地面に手をついた。足元から影が広がった。路地を覆うように、黒い影が流れていく。


 影が、群れの足に絡みついた。


 十体。十五体。動きが止まる。


 でも——シアの顔が歪んだ。


「……多い。限界が」


「どのくらい保つ」とガルドが言った。


「……三十秒」


「十分だ」


 ガルドが動いた。


 止まった群れの中を、最短距離で走る。一体、二体、三体——無駄のない動きで、確実に倒していく。


 奈々はケンを連れて後退した。逃げ道を確認する。路地の右側——あちらなら出口がある。


「シア! 右に抜けられる!」


 シアが頷いた。でも顔が青白い。影を維持するのに、全力を使っている。


 二十秒。


 ガルドが群れの密度を下げていく。でも端から端から新しい個体が押し寄せてくる。


 三十秒。


 シアの影が——消えた。


「ガルド!」


 ガルドは既に動いていた。


 シアを抱えて、一気に走る。奈々とケンが先に走り出している。右の路地へ。出口へ。


 群れが動き出した。音と気配を追って、一斉に向かってくる。


 走る。走る。角を曲がる。また曲がる。


 出口が見えた。路地の先に、広い通りがある。


 四人は、通りへ飛び出した。


 群れが路地の奥で止まった。広い場所には出てこない。光を嫌うのか、空間が広すぎるのか——とにかく、追ってこなかった。


 全員で、肩で息をした。


 しばらく誰も何も言えなかった。


 ケンが先に口を開いた。


「……多かったね」


「多かった」と奈々は言った。笑うつもりじゃなかったのに、少しだけ笑ってしまった。


 ガルドがシアを地面に下ろした。シアは膝をついて、荒い息をしていた。手の甲の呪紋が、まだ微かに熱を持っている。


「大丈夫か」とガルドが言った。


「……迷惑を、かけた」


「かけてない」


「でも——」


「お前が時間を作ったから、全員助かった」


 シアは黙った。


 何かを言おうとして、言葉が見つからなかったようだった。


 ケンがシアの隣に座った。


「シアちゃんの魔法、すごかった」


「……魔法じゃない。力だ。おかしな、呪われた——」


「すごかった」


 ケンは繰り返した。理屈じゃなく、ただそれだけを言った。


 シアは、ケンを見た。


 十歳の子供の、真っ直ぐな目を。


 シアの表情が——ほんの少しだけ、緩んだ。


 通りに出てから、奈々は改めて周囲を確認した。


 そして——気づいた。


 通りの向こうのビルの壁に、また同じ矢印があった。


 矢印は、北を指していた。


 奈々はそれを見つめた。


 何かが、北にある。


 まだ分からない。でも——これを追えば、何かが見えてくる。


「行こう」と奈々は言った。「北に、何かある」


 ガルドが頷いた。シアが立ち上がった。ケンが奈々の手を握った。


 四人は、歩き出した。


 まだ何も解決していない。世界は壊れたままだ。


 でも——一人より、二人より、四人の方が、確かに前に進める。


 赤い空の下を、四人は北へ向かった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


ケンの「すごかった」という一言——

子供の言葉は、理屈がない分だけ

まっすぐ届くことがある、と思いながら書きました。


シアに届いているといいんですが。


次話も読んでいただけると嬉しいです。

感想・評価いただけると励みになります。

よろしくお願いします。


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