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終末の証人  作者: GrayAmber
19/20

東京編第19話「届かない」

いつも読んでくださりありがとうございます。


第19話、東京で最初の「壁」と出会います。


これまで積み上げてきた緊張が、

ここで一度、爆発します。


そして同時に——

勝てない相手が、いる。

その事実とも、出会います。


バトル回です。

ゆっくり楽しんでいただければ嬉しいです。


 中継点は、潰れた総合病院だった。


 施設本体から二駅分ほど離れた市街地。かつて救急の赤い表示が灯っていたであろう建物は、今は窓のほとんどが割れ、外壁に蔦が這っていた。だが正面の自動扉だけが、不自然に新しいチェーンで施錠されていた。RAが後から手を入れた証拠だった。


 行くのは四人。奈々、ガルド、シア、アル。


 マンションを出る前、ガルドは鎧を完全に装着していた。潜入のときのように脱ぐ前提ではない。今日は、戦う前提だった。


 「中継点には被験区画はない、と資料にはあった」とアルが言った。「だが守備兵がいないとは書いていない。警備は薄い——それだけだ。ゼロではない」


 「何人いると思う」とガルドが聞いた。


 「分からない。解析の陣は使い切る前に温存したい。——だが、ここで一枚使う」


 アルは病院の前に膝をつき、残り二枚のうちの一枚を広げた。手袋を外し、中心に手を置く。


 「——解析」


 線が光り、地を這い、建物へ吸い込まれ、消えた。アルは目を閉じた。数秒。


 「熱源、六。一階に四、二階に二。動きは緩慢だ。適合兵ではない——通常戦闘員だ」


 「楽だな」とガルドが言った。油断ではなかった。事実の確認だった。


 「楽だ」とアルも認めた。「だからこそ、嫌な感じがする。これだけの備蓄を、これだけの手薄さで守るか?」


 誰も答えなかった。だが、全員が同じ引っかかりを覚えていた。


 残りの解析の紙は、一枚。


 突入は、静かに速かった。


 ガルドが先頭でチェーンを断ち切り、扉をこじ開けた。一階ロビーに散っていた四人の戦闘員は、侵入に気づいて銃を構えたが、遅かった。


 シアが右手をかざした。


 「影縛り」


 崩れた六芒星の呪紋が光り、戦闘員たちの足元から黒い帯が伸びて、二人の脚に絡みついた。動きが止まる。その隙にガルドが踏み込み、剣の腹で一人の側頭部を強打して昏倒させ、返す動作でもう一人の銃を弾き飛ばした。


 残る二人。シアの影縛りで足を止められた一人に、アルが手をかざす。


 「霧陣」


 戦闘員の眼前に、足元から霧が噴き上がった。視界を奪われた戦闘員が闇雲に発砲する。だが弾は誰にも当たらない。アルは霧の出る位置を、最初から味方のいない方へ設計していた。


 最後の一人へ、奈々が動いた。


 戦えない奈々にできるのは、戦いの邪魔をしないことと——時々、戦いを助けることだ。床に転がっていた点滴スタンドを蹴り、戦闘員の足元へ滑らせた。男がそれに気を取られた一瞬、ガルドの拳が顎を捉えた。


 四人、制圧。十数秒の出来事だった。


 「奈々、今のいい判断だった」とガルドが言った。


 「体が勝手に動いただけ」と奈々は言ったが、嘘だった。ちゃんと見て、ちゃんと選んだ。柔道で覚えた「相手の重心を崩す」感覚は、こんな形でも使えた。


 薬品は、地下の保管庫にあった。


 冷蔵設備が、自家発電でまだ動いていた。棚に、ラベルの貼られた小瓶が整然と並んでいた。「抑制剤」「完全解除剤(軽度用)」——資料の通りだった。


 奈々はザックを開け、瓶を緩衝材で包みながら詰めた。


 「全部は持てないけど」と奈々は言った。「軽度用を優先する。抑制剤も、できるだけ」


 「数えておけ」とアルが言った。「何人ぶんあるか。それが、これから救える人数だ」


 救える人数。


 奈々は手を動かしながら、頭の隅でその言葉を転がした。これは、命の数を数える作業だった。同時に、ここに入りきらない分は「諦める命」を数える作業でもあった。


 二階の二つの熱源は、まだ動いていなかった。眠っているのか、警備の交代待ちか。アルが小さく「二階は触るな。起こすな」と指示した。


 ザックが重くなった。瓶の重さではなかった。


 異変は、外に出た瞬間だった。


 病院の正面。来たときには誰もいなかったその場所に、一人、立っていた。


 大きい。ガルドより、さらに頭半分高い。黒い長外套の下に、見たことのない造りの黒い装甲。腰に、刃の幅が異様に広い長剣。風もないのに、外套の裾が微かに揺れていた。


 顔は若く、笑っていた。心から愉快そうに、笑っていた。


 「やっと、来た」と男は言った。低く、よく通る声だった。「適合兵じゃ、つまらなくてな。誰か、噛みごたえのある奴が来るのを待ってた」


 アルが、すっと半歩前に出た。声を低くした。


 「……熱源に、いなかった」


 「ん? ああ」男は自分の胸を軽く叩いた。「俺の体温、お前らの言う『熱源』ってやつには映らないんだとさ。適合が深すぎて、もう人間の規格じゃない。便利だろ」


 奈々の背筋に、冷たいものが走った。


 解析に映らない。アルの目を、すり抜けてくる存在。今まで一度も、なかったことだった。


 「名乗っておくか」男は笑みを深くした。「ゼノン。RAの——まあ、肩書きはどうでもいい。お前らが覚えるべきは、名前だけだ」


 ガルドが、奈々たちの前に出た。


 「下がってろ」と、振り返りもせずに言った。「あれは——格が違う」


 それは、ガルドが初めて口にする種類の言葉だった。これまでどんな敵にも、ガルドは「下がってろ」とは言っても「格が違う」とは言わなかった。


 ゼノンが、その言葉に反応した。目を細め、嬉しそうに。


 「お前、分かるのか。いいな。久しぶりだ、戦う前から分かってる奴は」


 ゼノンが、腰の大剣を抜いた。


 抜いた、と認識した次の瞬間には、もう間合いが消えていた。


 ガルドが剣を立てて受けた。金属と金属が噛み合う音——ではなかった。それは、鐘を全力で殴りつけたような、内臓を揺らす衝撃音だった。ガルドの足が、コンクリートを削りながら半歩下がった。約二メートルの巨体が、押されていた。


 「おお」とゼノンが笑った。「受けるか。いいぞ。最近の奴は、一撃目で潰れるからな」


 ガルドは答えなかった。受けた剣を滑らせて衝撃を逃がし、半身をずらしてゼノンの懐へ潜り込む。下から斬り上げ——ゼノンは、当たる寸前で、信じられない速さで後ろへ跳んだ。


 ガルドの刃が、ゼノンの外套の裾だけを裂いた。


 「速い」とゼノンが感心したように言った。「だが、届かない」


 奈々は、十メートルほど下がった瓦礫の陰から、戦いを見ていた。


 見ることしかできなかった。だから、必死で見た。


 ゼノンの動きには、無駄が一切なかった。だが、それ以上に異様だったのは——攻撃の「間」だった。ゼノンは、ガルドを仕留められる瞬間が何度かあった。奈々の素人目にも分かるほど、明確な隙が、ガルドに何度も生まれた。防戦に追われ、体勢を崩した瞬間。


 その全てで、ゼノンは、止めを刺さなかった。


 刺さずに、笑って、次の攻撃に移った。


 まるで——長く、遊んでいたいかのように。


 奈々は、その違和感を頭の隅に刻んだ。なぜ、と問う余裕はなかった。ただ、刻んだ。後で考えるために。


 「シア!」とガルドが叫んだ。初めての、助けを求める声だった。


 シアが両手をかざした。


 「影刃!」


 ゼノンの足元の影が、無数の黒い刃となって突き上がった。ゼノンは大剣を振るってその大半を斬り払ったが、一本が肩の装甲を掠めた。火花が散る。


 「ほお」ゼノンが、初めてシアの方を見た。「その紋様——お前、どこかの施設の出来損ないか? いや、違うな。それは——」


 ゼノンの言葉が、途中で止まった。シアの呪紋を見て、何かに気づいたような顔。だが、それを言葉にする前に——


 「霧陣! 爆陣!」


 アルの声が重なった。


 ゼノンの足元と背後に、二つの陣が同時に発動した。霧が視界を奪い、その霧の中で、爆陣が炸裂した。閃光と轟音。市街の窓ガラスが一斉に砕ける。


 爆煙の中心で、ゼノンの巨体が、初めて片膝をついた。


 今だ、と奈々は思った。


 そして、ガルドも同じことを思っていた。


 ガルドが、腰を深く落とした。右腕を、限界まで引き絞る。剣を持つ手の筋肉が、鎧の隙間からでも分かるほど膨れ上がった。


 奈々は息を呑んだ。


 あれは——全部を懸ける構えだ。


 爆煙が晴れる。片膝をついたゼノンが、顔を上げる。その笑みが——初めて、消えていた。


 「——おい」とゼノンが言った。「それは」


 ガルドの右腕が、振り下ろされた。


 空気が裂けた。音より先に、衝撃が来た。ガルドの刃は、ゼノンの大剣ごと——その身体ごと——縦に断ち切る軌道で、地面まで叩きつけられた。


 コンクリートが、爆ぜた。


 病院前の地面に、深い亀裂が走った。土煙が立ち上り、衝撃で奈々は瓦礫の陰で尻もちをついた。


 静寂。


 土煙が晴れていく。


 亀裂の中心。ゼノンは——立っていた。


 大剣を頭上に掲げ、両腕で、ガルドの一撃を受け止めていた。受け止めた両腕の装甲には、深い亀裂が走り、黒い血が流れていた。足元のコンクリートは砕け、ゼノンの膝は半ばまで地面にめり込んでいた。


 受けた。だが——死んでいない。


 「……今のは」ゼノンの声が、低く震えていた。怒りではない。歓喜だった。「効いたぞ。久しぶりに、効いた」


 そして、ガルドの右腕が、だらりと垂れ下がった。


 何が起きたのか、奈々には分からなかった。ただ、あの一撃の後から、ガルドの右腕は——動いていない。


 ゼノンが、ゆっくりと立ち上がった。砕けたコンクリートを踏みしめて。


 その目が、垂れ下がったガルドの右腕を、正確に捉えていた。


 「なるほどな」とゼノンは言った。「一発限りか。撃てば、しばらく使えなくなる。——分かりやすい」


 ガルドは、左手一本で剣を構え直した。だが、誰の目にも明らかだった。あの一撃を防がれ、左手一本では——届かない。


 ゼノンが、大剣を担ぎ直した。今度こそ、止めを刺す動きだった。


 奈々の頭が、真っ白になりかけた。


 いや。違う。白くするな。見ろ。ケンのお母さんが言った。怖いことは、目をつぶると大きくなる。だから見ろ。


 奈々は、見た。


 ゼノンの足。砕けたコンクリートに、半ばめり込んだ膝。あの体勢から、すぐには、踏み込めない。一瞬、動きが鈍る。


 「アル!」と奈々は叫んだ。「ゼノンの足元! 今、踏み込みが遅れる!」


 アルが、即座に反応した。アルは、まだ使っていない陣を、すでに地面に伏せて隠していた。突入前から。「保険」を、ここに。


 「封陣!」


 ゼノンが踏み込もうとした、まさにその足元。青白い光が走り、砕けたコンクリートの瓦礫が固定された。ゼノンの片足が、その中に囚われた。


 ほんの、数秒。


 だが、その数秒で、ガルドはシアとアルを抱えるようにして後退し、奈々のいる瓦礫の陰まで戻ってきた。


 「走れるか」とガルドが奈々に聞いた。


 「走れる」


 「全員、走るぞ。——退く」


 光の檻が砕ける音がした。背後で、ゼノンが足を引き抜いたのだ。


 四人は、廃墟の路地へ走り込んだ。ガルドが殿。アルが角ごとに足を止め、地面に指で素早く線を引いた——もう陣の紙はない。だが、何もない地面に線を引くだけでも、追手は「罠かもしれない」と足を止める。はったりだった。だが、効いた。


 追ってくる足音は——なかった。


 奈々は走りながら、一度だけ振り返った。


 ゼノンは、病院の前から、動いていなかった。追ってこない。ただ、こちらを見ていた。砕けた腕を垂らしたまま、満足そうに、笑っていた。


 その口が、何か動いた。距離があって、声は聞こえなかった。


 だが奈々には、なぜか読めた気がした。


 ——また、来い。


 マンションに戻ったのは、夜だった。


 全員、無事だった。傷はあった。ガルドの右腕はその夜いっぱい上がらなかった。シアは魔力を使い果たして青い顔をしていた。アルは陣の紙を全て失った。


 だが、全員、生きていた。そして、解毒薬を持ち帰った。


 ケンが玄関で待っていた。四人の様子を見て、何も聞かずに、まず奈々のザックを受け取って、そっと床に置いた。中身が割れないように。


 「……重そうだったから」とケンは言った。


 その気遣いが、なぜか、一番こたえた。


 その夜、ガルドは眠らなかった。


 ロビーの隅で、動かない右腕を膝に置いて、壁にもたれていた。奈々が隣に座っても、しばらく何も言わなかった。


 「届かなかった」と、やがてガルドが言った。


 「でも、全員、帰ってこれた」


 「ああ」ガルドは、垂れた自分の右腕を見た。「あの一撃を、受けられた。あんな奴は、初めてだ」少し、間があった。「あいつは——俺と、同じ匂いがした」


 「同じ?」


 「強い奴と、戦いたい。ただ、それだけで生きてる匂いだ」ガルドの声は、苦かった。「俺も、昔はそうだった。お前らに会う前は」


 奈々は、何も言わなかった。ガルドが「昔」の話をするのは、初めてだった。


 「あいつは、止めを刺さなかった」とガルドは続けた。「何度も、刺せた。刺さなかった」


 「……気づいてたの」


 「お前ほど、はっきりとは見えてなかった。だが、感じた」ガルドは目を閉じた。「あいつは、俺たちを——育てる気だ。もっと強くして、それから、喰う気だ。あれは、そういう生き物だ」


 育てて、喰う。


 奈々は、ゼノンの満足そうな笑みを思い出した。あの「また来い」を。


 勝てなかった。それどころか、相手は本気ですらなかったのかもしれない。


 でも——今日、全員生きて帰った。そして、いつか、あの男にもう一度会う。その時は。


 「次は」と奈々は言った。「次は、勝とう」


 ガルドが、薄く笑った。動かない右腕のまま。


 「ああ。次は——あの一撃を、受けさせない」


 消灯後、奈々は手帳を開いた。


 今日のことを、一行で書くのは、難しかった。勝てなかった悔しさ。届かなかった一撃。それでも全員帰れた安堵。育てて喰う、という男の存在。


 迷って、迷って、こう書いた。


―――――――――――――――

 届かない壁の高さは、次に跳ぶための助走になる。

―――――――――――――――


 書いてから、少しだけ、青臭いかなと思った。でも、消さなかった。今日は、これでいい。


 明日、傷を癒す。


 そして、また、歩く。


 あの男に、いつか届くために。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


ガルドの言葉——

「あいつは、俺と、同じ匂いがした」


ゼノンという男は、

ガルドが「お前らに会う前」の姿

かもしれません。


勝てませんでした。

でも、全員で帰ってきた。

この作品にとっては、

それが何より大事なことです。


次話、撤退後の傷と亀裂。

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