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終末の証人  作者: GrayAmber
14/20

東京編第14話「黄色い目」

いつも読んでくださりありがとうございます。


第14話では、敵が初めて

「形」を持って現れます。


痕跡を追っていた昨日までと、

敵を見てしまった今日からでは、

世界の重さが違う。


そういう話です。


ゆっくり楽しんでいただければ嬉しいです。


 朝、目を覚ますと、アルがすでに起きていた。


 ロビーの隅で、床に広げた紙を畳んでいるところだった。細い線で描かれた幾何学模様——陣だ。昨日一日かけて描いていたものが、三枚。アルはそれを丁寧に筒状に巻いて、コートの内側に収めた。


 「今日、行くんですね」と奈々は言った。


 「予定通りだ」とアルは答えた。「明後日動き出す、と言ったのは一昨日だ」


 律儀な人だ、と奈々は思った。口には出さなかった。


 今日の編成はすぐに決まった。


 行くのは奈々、アル、シアの三人。ガルドはマンションに残る——拠点に戦力を残すためだ。非戦闘員が四人いる場所を空にはできない。


 「いいのか」と奈々は出発前にガルドへ聞いた。「一番危ないかもしれないのに」


 「お前が見つけた場所だ」とガルドは言った。「お前が確かめてこい」


 それだけだった。でも、それで十分だった。


 玄関でケンが待っていた。今日は「帰ってきてね」とは言わなかった。代わりに、小さな手のひらを差し出した。


 乾パンが一枚、のっていた。


 「……分けてくれるの?」


 「腹が減ったら、判断が鈍るんだって。田中さんが言ってた」


 奈々は受け取って、ポケットに入れた。


 「ありがとう。判断、鈍らせないようにする」


 ケンは頷いた。それから、いつものように泣かなかった。


 南へ向かう道は、昨日と同じで、昨日とは違った。


 同じ廃墟。同じ静けさ。違うのは、行き先に「何かがある」と分かっていることだった。分からないまま歩くのと、分かって歩くのとでは、足の重さが違う。


 「奈々」と歩きながらシアが言った。「昨日の三点、あれからずっと考えていたのだけど」


 「うん」


 「収束する先が倉庫街だとして——地上とは限らない、と思う」


 奈々はシアを見た。


 「私が逃げてきた施設は、地下だった」とシアは静かに言った。「入口は地上にある。でも本体は下。RAは、そういう作り方をする」


 シアがRAの施設から脱走してきたことを、奈々は知っていた。でもシアが自分からその話をするのは、初めてだった。


 「……思い出させて、ごめん」


 「いい」とシアは前を向いたまま言った。「使える記憶なら、使った方がいい」


 その横顔に、奈々は何も言えなかった。ただ、この人は強い、と思った。強くなるしかなかった人の強さだ、とも思った。


 倉庫街の手前で、三人は足を止めた。


 昨日の三点が示していた収束点——錆びた大型倉庫が並ぶ一画。その中央に、一棟だけ様子の違う建物があった。


 シャッターが、新しい。


 周囲の建物はすべて錆びて朽ちているのに、その一棟だけ、シャッターに錆がなかった。最近交換されたのだ。


 「ここから先は近づきすぎる」とアルが言った。「ここでやる」


 アルは瓦礫の陰に膝をつくと、コートから巻いた紙を一枚取り出し、地面に広げた。幾何学模様が朝の光の中に現れた。中心に小さな円、そこから放射状に伸びる線、外周を囲む文字のような記号。


 「それ、何をするんですか」と奈々は小声で聞いた。


 「目に見えないものを、見えるようにする」とアルは言った。「私の世界の技術だ。説明は省く。長くなる」


 アルは手袋を外した。素手を見るのは初めてだった。細く、白く、指先にだけ薄い文字のようなものが刻まれていた。


 その手を、陣の中心に置く。


 「一つ、教えておく」とアルは言った。「私の技は、名を宣言しなければ発動しない。私の世界の法則だ。だから——騒がしくなるが、我慢しろ」


 そして、静かに、しかしはっきりと言った。


 「——解析」


 陣の線が、淡く光った。


 光は地面を這うように広がって、倉庫の方向へ流れ、そして——消えた。何も起きていないように見えた。


 でもアルは目を閉じて、動かなかった。一分。二分。


 奈々とシアは息を殺して待った。


 やがてアルは目を開けた。


 「……地下だ」


 シアの肩が、わずかに動いた。


 「地上部は倉庫一棟分。だが下に空洞がある。広い。倉庫の三倍はある。深さは——三層」


 「人は」と奈々は聞いた。


 「熱源が動いている。数えられただけで、二十七」


 二十七。


 数字を聞いた瞬間、奈々の中で何かが固まった。痕跡でも仮説でもない。二十七の、動いている熱源。


 「うち四つは——」アルはそこで一度言葉を切った。「大きい。人間の倍はある」


 誰も何も言わなかった。


 言わなくても、全員が同じものを想像していた。


 帰り際に、それは起きた。


 倉庫街を離れて二つ目の交差点。先頭のシアが、急に手を上げた。


 三人は崩れたバスの陰に滑り込んだ。


 足音。二人分。規則的な——規則的すぎる足音が、交差点を横切っていく。


 奈々はバスの割れた窓の隙間から、それを見た。


 人間だった。少なくとも、輪郭は。黒っぽい戦闘服。肩に銃。歩き方に乱れがない。疲れも、警戒のための緩急もない。機械のように等間隔の歩幅。


 そして、目が——黄色かった。


 白目があるべき場所まで、薄く黄色に染まっていた。瞬きが、少なかった。


 二人組は交差点を渡り、倉庫街の方向へ消えていった。最後まで、一度もこちらを向かなかった。


 足音が完全に消えてから、誰も、しばらく動かなかった。


 「……レベル2」とシアが小さく言った。「適合兵。施設で見た。あれは——元は、普通の人間」


 元は。


 その二文字が、奈々の中に沈んでいった。


 ゾンビは、もう「そういうもの」として受け止められるようになっていた。怖いけれど、嵐や火事と同じ、災害の一種として。


 でもあれは違う。あれは誰かが作ったものだ。普通の人間だった誰かを、誰かが、ああいうものに変えた。


 「行こう」とアルが言った。「日が落ちる前に戻る」


 奈々は頷いて、立ち上がった。膝が少しだけ震えていることに、立ち上がってから気づいた。


 怖いままで行くのが、戦うということだ。


 震えたまま、歩いた。


 マンションに戻ると、ガルドが玄関の内側に立っていた。最初からそこで待っていたような立ち方だった。


 「あったか」


 「あった」と奈々は言った。「地下三層。熱源二十七。うち四つは人間の倍の大きさ。それから——帰り道に、適合兵を二人見た」


 ガルドは順番に全部聞いた。途中で口を挟まなかった。


 聞き終わってから、一度だけ頷いた。


 「なら、次は入り方だな」


 それだけ言って、ガルドは奥へ戻っていった。怖がる時間も、騒ぐ時間も、最初から飛ばしていた。この人のそういうところに、チームの全員が支えられている——奈々はそう思った。


 夜、ロビーの隅で地図を囲んだ。


 アルが解析の結果を書き込んでいく。地下三層の概形。熱源の分布。地上シャッターの位置。


 「入口は正面だけとは限らない」とシアが言った。「私のいた施設には、搬入口と——排気口があった」


 「換気系か」とアルが手を止めた。「……あり得る。地下三層なら、必ず空気を回している」


 地図の上で、計画が形になり始めていた。


 まだ穴だらけの計画だ。でも昨日まではゼロだった。ゼロと穴だらけの間には、大きな差がある。


 ふとケンの方を見ると、毛布にくるまって眠っていた。乾パンの礼を、ちゃんと言えただろうか。言えていなかった気がして、明日言おう、と思った。


  消灯後、奈々は手帳を開いた。


 今日の一行を書くのに、少しだけ時間がかかった。


 迷って、迷って、結局こう書いた。

―――――――――――――――

 誰かが、人間を兵器に変えた。

―――――――――――――――

 ——明日も、目を開けたまま歩く。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


次話は潜入前夜。

それぞれの覚悟の話になります。


感想・評価いただけると励みになります。

よろしくお願いします。


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