第四章 道を示す者(5)
「余計なおせっかいでしたわね、殿下」
「本当に余計なおせっかいです。……ですが、ありがとうございます」
二人だけで密談をしていたロミルダとセレーナは、そんな和やかな会話をしながら出てきた。
浦野の心配は杞憂になった、と見ていい、かな?
「ここは危険に晒されるかもしれません。すぐに離れてください、伯爵」
「ご高配痛み入ります。管理デッキに船をつけておりますので、ファレンの大使館へでも避難しておりますわ」
セレーナはそれを聞いて頷き、優雅に一礼した。ロミルダはそれに返礼を返し、そして、すっ、とこちらに視線を向ける。
「――さて、ボディガードを雇いましょう。そこの殿下の筆頭騎士。オオサキ・ジュンイチ殿。エスコートをお願いしますわ」
突然の指名に、僕はびくりと体を震わせる。
向こうで、浦野の心配そうな視線が僕を刺すのが見えた。
……浦野の心配は、まだ継続中、ということだ。
ラウリと同じ。だとすれば、ロミルダが僕の心を折りに来るのかもしれない。
セレーナに目配せする。
けれどセレーナは、落ち着いた微笑みを浮かべて、行きなさい、というように、かるく顎を引いた。
「……お供します」
僕が言うと、ロミルダはにっこりと笑って、促すように歩き出した。
どのくらい歩いただろう。通路はしんと静まり返り、無機質な灰色の廊下が続くだけの光景。セレーナたちは遥か後方で、正真正銘、僕とロミルダの二人きりだ。
「ここまで、ご苦労様でした」
ロミルダがそんなことを言うが、職員用の管理デッキまではまだ遠い。
僕が戸惑って返事をし兼ねていると、
「よくぞ、殿下をここまで導いてくれました。敵味方という立場を超え、あなたを尊敬し賞賛いたします」
それは僕の想像とは全く別の言葉だった。
「僕は――」
――セレーナに従っていただけ。
そう言いそうになって、その言葉をひっこめた。
ともに歩んだ。
ともに歩もう。
あの時の決意を、嘘にしない。
「――はい、そうですね、セレーナを導きました。僕と、ジーニー・ルカが」
僕が言うと、ロミルダの横顔が微笑んで頷いた。
「立場と年齢が許せば、あなたの仲間にいたことでしょう」
「本当にそうお思いですか?」
「その程度の夢想は、まだできましてよ」
そう言って、品よく笑う。
「――さて。今からあなたが怒るようなことを申し上げます」
そう言って、彼女は表情を正す。
「トライジュエル共和国に、殿下とあなたのことを密告したのは、私です」
……すっかり記憶から零れ落ちそうになっていたが、そう、最初の危機。セレーナがロックウェルに虜にされ、祖国へ攻め入る駒にされようとしたあのきっかけは、トライジュエル共和国でなぜか彼女の来訪が完全に予測され待ち伏せされていたことだった。
「惑星オウミで殿下とあなたを襲ったスパイを送ったのは、私です」
エミリアの誰かがそれをやったということはわかっていた。
……それも?
「あなたのもたらしたマジック爆弾のアイデアがロックウェルが研究していたものに酷似しているという印象操作をしたのも私ですし、あなた方の行く先にタイミングよくロックウェルの艦隊が現れたのも私の仕業ですし、あなた方の弱点であるマジックフラッシュボムを撃つように印象付けたのも、私です」
……もしかして。
「あなたは、ロックウェルの、スパイ、なんですか?」
セレーナは言っていた。エミリアの貴族なら、盗聴なんていつでもやっている、と。だから、僕は、本当のスパイは、貴族に紛れ込んで根を下ろし、貴族の特権を使って諜報をしているだろうと言った。セレーナはそれを否定しなかった。
とすれば、エミリアの体制を打倒するようなセレーナの行動を肯定することもおかしくない。
そのためにセレーナをからめとるための様々な事件を起こしたことも、腑に落ちる。
「……ふふ、なるほど、そのような考え方もございますわね」
しかし、ロミルダは僕の予想を遠回しに否定した。
「私がしたことは、真実への最短経路を示すことだけですわ」
そう口にする彼女の表情には、瞳には、ようやくほころび始めた大輪の花を愛でるような気配が漂っている。
「……真実、ですか」
「ええ、真実の愛への最短経路です」
は、はぁ!?
「ばっ、ふざっ、たわっ、お、お戯れはおやめください」
「無理に敬語を使わなくてよろしいですわ。なにせあなたは、我らが陛下に並ぶ国家の主権者でしょう? 私などよりよほど上の立場にあると言ってもよいのですから」
瞬時にフラッシュバックする。
”見くびらないでくれ。僕は新連合国の主権者だ、君のお父さんと同じにね。国家に対する責任と権利で言うなら君よりよっぽど上の立場だと言ってもいい”
なぜ! なぜ!?
どうして僕があの時、セレーナに放った言葉を知っている?
偶然?
だけど、ロミルダがあえてそんな言い方をしたことは、彼女の小悪魔的な笑みが証明している。
「ふふ、冗談が過ぎました。ですが、『真実』への道を示したかったということは、本当です」
冗談だって?
何が?
どの部分が?
度が過ぎてる。
何が何だかわからない。
あんな他愛もない言葉まで知っている?
あり得ない。
「混乱させてしまいましたわね。おそらくジュンイチ殿は、こう思っておいででしょう? この人は一体どこまで知っているのか。それでしたら、どなたかだったかの言葉を借りて、こう申し上げましょう。『すべてを知っているつもりだ』と」
……それはラウリの言葉だ。
そして、すべてを知っているなんて言葉に何も意味がないと考えたことも思い出した。
すべて、なんて、誰にも決められない。
動揺して何も言葉を紡げない。
「もう一つ、教えておきましょう。ジーニー・ポリティクスに、ジーニー・ルカ攻略のヒントを与えたこと」
「……ジーニー・ポリティクスに?」
ジーニー・ルカ攻略のヒント?
まるで意味が分からない。
あの時ジーニー・ルカは、ジーニー・ポリティクスの圧倒的な力にねじ伏せられただけで。
逆なら分かるけど。
「あれは不完全なジーニーです。ジュンイチ殿とジーニー・ルカにかなうようなものではありませんわ。でも、ジュンイチ殿に深淵に触れていただき恐怖を味わっていただくために、あえて、あなた方が負けるよう仕掛けを施しました」
確かにあの恐怖の経験が無ければ、ジーニーがそんな恐るべきものだとは、たとえヒントがあってもたどり着けなかっただろう。
けれど、あれを『不完全なジーニー』と呼ぶ彼女は――。
「すべて、あなたが真実にたどり着く最短経路だったから、そのようにいたしました。ふふ、誰かがアルカスの名を指さしたのも、ペンギン爺さんの噂をばらまいたのも、ひょっとすると私の仕業かもしれませんわよ?」
僕は一体、何の前にいるのか。
これでは、これではまるで――。
「私はあなた方に試練を与えました。しかし、それを乗り越えることで確実に真実に近づく、試練を」
「……真実とは、なんですか」
それはきっと誰もが追い求めながら決してたどり着けない究極の問い。
「私にも分かりません。ただ、知ってほしかった。あなたとジーニー・ルカに。私にも、あなた方がどこにたどり着くのか分かりません。ですが、共にあってほしい。あなた方が共にあることが一番近いと……私がそう信じているだけですわ。そして、知ってほしいのです。愛しい人とともにあり信頼する友と語り合える幸せを」
何を言いたいのか全く分からない。けれど、僕は答えなきゃならない気がした。
「大丈夫です。僕は、それを手に入れました。愛しい人、というのはまだ分かりませんが、何もかも曝け出して語り合える友達は、得られました」
そして、僕は、自然と言葉を継ぐ。
「もしあなたがそれを助けてくれていたのだとしたら、ありがとうございます」
彼女は小さくうなずいたが、
「ですが、私にはまだ気がかりがございますわ」
「……それは?」
僕の問いに、彼女からの声が一瞬途切れる。
コツ、コツ、と廊下を靴が叩く音だけが響く。
やがて。
「単刀直入に申しましょう。あなたは、セレーナをどうするつもりですか」
……!
何か、彼女の中の何かが、切り替わった。
低く鋭い声。
セレーナを敬称無しで呼ぶことに、背筋がぞっとした。
「どうにもしない。僕は、セレーナが自由に生きることを望んでいます」
答える僕の声は、それでも震えている。
「自由とは」
そこで、ふっと息を吐き、ロミルダは僕を見つめた。
「誰かに与えられるものではありません。自らつかみ取るものです」
「分かってます。分かってるから僕は」
と言いかけて、僕は、今、宇宙の秘密を洩らしそうになったことに気づく。
彼女の自由意思がジーニーの支配下にあったかもしれないということ。
そして、それに耐えられない僕は、ジーニー・ルカと、一つの約束をしたこと。
「……そう。きっと、セレーナとの決別を、決意していますわ」
まさか。
ロミルダは。
ロミルダとは。
「間違いです。誤りです。それは、自由ではありません。あなたが与えてはいけません。決してあなたから与えてはいけません。分かりますか。誰かの犠牲の上で得る自由など、束縛に等しい。あなたは、セレーナに試練を与えねばなりません」
突然、彼女はまくしたてる。
それは、まるであの時のキアラのような表情で。
「セレーナは戦い、そして自ら得なければなりません」
もし僕が、優しくセレーナに自由を与えれば、きっと僕は、第二のキアラを生むのだ、と。
「……この宇宙でそれができるのは、あなただけなのですわ、ジュンイチ殿」
思い出したように表情を和らげ、また、凛々しさと華やかさの二重奏のような、貴族らしい微笑みを浮かべる。
「……分かりました。きっと、あなたの言いたいことは、分かったと思います」
「それは重畳」
そうして、またロミルダは前を向いた。
もう、管理デッキへの扉が見えている。
「セレーナの意思を。僕の目で。耳で。確かめます」
その言葉には、もうロミルダは何も反応しなかった。
「魔人とは、なんだと思いますか?」
扉まであと数歩というところで彼女は立ち止まり、無視できない問いを発した。
「幾何ニューロン式知能機械(GEometrically Neuronized Intelligence Equipment)、論理知能と直感知能を併せ持つ、人類究極の知能マシン……では、なさそうですね」
僕は、思わずそんな答え方をしてしまう。
「もともと、魔人はたった二人しかいませんでしたわ」
「……どういう意味です?」
問い返すが、ロミルダは答えなかった。そして扉に手をかけながら、改めて僕の方に振り向いた。
「あなたはこれからも成長する。そのそばに、できたらセレーナとジーニー・ルカにいてほしいと思っていますわ。ですが、どのような決断をしようとも、それこそが、あなたの自由意思。そして、セレーナの自由意思です。私ごときに及びもつかぬものもありましょう。私は、人の心までは覗き見できませんから」
カチャリ、と扉が開く。
「もしあなたが、そのそばに誰を置いていたとしても、歴史の真実を今後も追い続けるのであれば、少しだけヒントを差し上げますわ。マリアナという荒廃し忘れられた惑星のことを覚えておきなさい。それと、エミリアのクイーン・リーザ」
そして、一礼して向こうに消えていこうとする。僕ははっとして最後の疑問を口にする。
「あなたは一体、何者なんです」
後ろ姿から、なにか張り詰めた空気が洩れ、そして、弛緩し――
「あなたと同じですわ、ジュンイチ殿」
ふわりと懐かしい香りがしたような錯覚――気が付くと、扉はぱたりと閉まり、永遠に開くことはなかった。
***




