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夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


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第8話:球根を数える子

 朝、ノラに袋を渡しました。


「これを、植えていただけますか」


「なんですか」


「昨夜、納屋に並べておられたものです」


 ノラの手が止まりました。


「……見てたんですか」


「灯りが見えました」


 ノラは袋の口を握りました。


「名前、わからないんです」


「わたくしもわかりません」


「え」


「掘り上げのときに、まとめて袋に入れました。水仙か、鈴蘭か、あるいは両方でしょう。花が咲くまではわたくしにも見分けがつきません」


 ノラは袋を覗き込まれました。


「奥様でもわからないんですか」


「球根は上から見ても似ております」


 わたくしは鋤の柄を渡しました。


「ただ、数はわかりますね」


「……はい」


「いくつございますか」


「百四十二です」


 わたくしは袋の重さを持ち直しました。


「数えられたのですか」


「一度、並べたら、覚えます」


 ノラは、少し言いにくそうにされました。


「名前は入らないんです。何度聞いても、次の日に出てこないんです。厨房でも、香草の名を覚えられなくて、三度叩かれました」


「叩かれましたか」


「でも、いくつあったかは忘れないんですよ」


 ノラは球根を三つの列に分けられました。


「これ、皮が茶色いのが八十九。白っぽいのが四十一。それと、変な形のが十二です」


 わたくしはその三つを見ました。茶色いのは水仙でございます。白っぽいのは鈴蘭。変な形のは球根ではございません。芋でございました。誰かが昔、庭の隅で食べるものを育てたのでしょう。


「よく分けられました」


「形で分けただけです」


「形で分けられれば、それで足ります」


 わたくしは水仙の列を指しました。


「これは秋に植えて春に咲きます。深さは球根の三倍。間は五寸」


「はい」


「こちらは日陰でよろしいです。納屋の裏に」


「はい」


「――ノラ」


「はい」


「名は、わたくしが覚えます。数は、あなたが覚えてください」


 ノラは球根を持った手のまま、少し動かなくなられました。


「それでいいんですか」


「二人おりますので」


 母のことを、少し話しました。母も園丁でございました。この灰坂の借地で、苗を作って王都の家々に売っておりました。字が書けませんでした。花暦の一番古い頁は、母のものではございません。わたくしが十四のときに、義母様に言われて始めたものです。


 ――書いておきなさい。あなたの頭は、あなたが死ぬときに一緒に死ぬから。


 義母様は、そういう言い方をなさる方でございました。


「奥様」


「はい」


「その、義母様って、いい人だったんですか」


 わたくしは、少し考えました。


「一度も、褒められたことがございません」


「じゃあ、嫌な人ですね」


「そうかもしれません」


 わたくしは水仙の植え穴を掘りました。


「ただ、あの方が仰ったことは、十五年たっても一つも間違っておりませんでした」


 その日の午後、老婦人がお見えになりました。灰坂の上の、古い家からでございます。ベルタ様と申されました。八十を超えておられるとお見受けしました。杖をついて、坂を上がってこられたのです。


「あんた、庭の人だってね」


「庭師でございます」


「木を、見てほしいんだよ」


 ベルタ様のお宅の裏に、薔薇が一株ございました。いえ、薔薇でございました。幹は太く、根元で三寸ほどございます。五十年は経っております。ただ、幹は灰色に乾いて、皮が縦に割れておりました。枝は一本もございません。葉も、蕾も。


「去年の秋までは、咲いてたんだよ」


「今年の春は」


「何も出なかった」


 わたくしは幹に爪を立てました。皮の下が、乾いております。根元の周りを、指で掘りました。主根は、生きておりません。触ると崩れます。二本目も、三本目も。四本目でございました。細い根が一本、白い先を出しておりました。わたくしは、しばらくその根を見ておりました。


「ベルタ様」


「駄目かい」


「一本、生きております」


 ベルタ様が、杖を持ち替えられました。


「じゃあ、咲くのかい」


「咲きません」


「……」


「今年も、来年も咲きません」


 わたくしは土をかけ直しました。


「生きている根は一本でございます。この根が太くなって、そこから芽が出て、その芽が枝になって、枝に花芽がつくまでに、二年かかります」


「二年」


「早くて二年でございます。三年になることもございます」


 ベルタ様は幹に手を置かれました。


「あたし、八十三だよ」


「はい」


「二年待って、見られるかね」


 わたくしは答えを持っておりませんでした。持っていないことを、申し上げました。


「わかりません」


「あんた、正直だね」


「はい」


「じゃあ、頼むよ」


「二年、通わせていただきます」


「金は」


「一年に一リルでございます」


「安すぎるよ」


「二年かかる仕事は、二年かけて頂きます」


 その夜、花暦に書きました。


 ――七月二十二日。ベルタ邸。老株。主根三本枯死、細根一本生存。皮下乾燥。掘り起こさず、根元に三年堆肥を薄く。水は週二。芽の出るのを待つ。二年。


 書いてから、少し手を止めました。二年、と書ける仕事は、久しぶりでございました。


 伯爵家の庭では、いつも来年の話をしておりました。来年の園遊会、来年の献花。二年先の話をしたことがございません。次の朝、街道の乗合が止まりました。乗合の御者が、手紙を一通、置いていかれました。マルタの字ではございませんでした。封に、印が押してございました。


 三本の枝を組んだ形の印でございます。王都の家のものではございません。封を切りました。


 ――北のアシュフォード領より。庭のことで、お尋ねしたいことがございます。近日、灰坂へ参ります。


 ――ジェラルド・アシュフォード


 署名の下に、もう一行ございました。


 ――先日、街道で株の積み方を拝見した者です。

【今日の花暦】


死んだように見える株の見分けかたは、根を四本掘ることです。三本崩れても、四本目が白ければ生きています。ただし、生きているのと咲くのは別の話で、そのあいだに二年あります。


 ノラは名前が入らないかわりに、数が忘れられません。この二つは同じ頭の中に住んでいるのだと思います。片方が入らないから、もう片方が入る場所があるのでしょう。


 次回、二年かかる仕事に手をつけます。それと、北から人が来ます。街道で株の積み方だけを褒めて去った、あの方です。

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