第46話:削られた、跡
九月十七日に、ユアン様が来られました。四度目でございます。
九月の灰坂は、片づけの月でございます。建国祭に使った三十鉢を戻して、鉢の土を入れ替えます。二度咲かせた株は疲れておりますので、来年の春まで休ませます。休ませるというのは、置いておくことではございません。切って、土を替えて、根の先を見ることでございます。
三十鉢の土替えは、六日かかりました。一日に五鉢でございます。鉢から抜いて、外側の土を落として、根の先を一本ずつ見ます。白ければよろしいのです。茶色ければ、そこで切ります。三十鉢で、切ったのは十一本でございました。
ユアン様が来られたのは、その五日目でございます。
朝から北から来る風がございました。九月の風は乾いております。ユアン様は、前掛けの上に上着を着ておられました。手には筒がございます。
「エルシャさん」
「いらっしゃいませ」
「頁を、写しました」
わたくしは、鉢を置きました。
「形ではなく、でございますか」
「中身です」
ユアン様は、筒から紙を抜かれました。二枚ございます。
一枚目は、字の写しでございました。第百七号。名は入っておりません。年の欄は二十四年前。同じ年の追記として、下賜先の欄に、アメリー・レーンフェルト、三株、奉納の返礼。備考は空。
母株の欄は、空でございました。
「もう一枚が、こちらです」
二枚目は、字ではございませんでした。
薄い紙でございます。灰色に汚れております。細かい線が浮いておりました。
「擦りました」
「擦る」
「紙を当てて、炭の粉を薄く乗せて、指で押しました。凹んでいるところに粉が入ります」
わたくしは、それを窓の光に近づけました。
母株の欄の中でございます。
凹んでおりました。
四角の中に、上下二段。一段目に六文字ぶん、二段目に四文字ぶん。字の形までは出ておりません。ただ、そこに何かが書いてあって、削られていることは分かります。
「紙を、削ったのでございますね」
「削ったんです。刃物です。薄く。三度か四度。表が毛羽立っています」
ユアン様は、指で自分の頁の写しを叩かれました。
「二百三十号まで見ました。削った跡があるのは、第百七号だけです」
「ほかは」
「書き間違えたところは、線を引いて消してあります。二十七箇所ありました。全部、線です。削ってあるのは、ここだけです」
わたくしは、二枚を並べて置きました。
線を引いて消せば、消した字は読めます。削れば、読めません。読めなくするために削ったのでございます。
「ユアン様」
「はい」
「これは、いつ削られたものでございましょう」
「分かりません。ただ、紙の毛羽が寝ています。古い傷です」
「二十年より前でございますか」
「たぶん」
ユアン様は、そのあと二時間ほど、鉢の土替えを手伝っていかれました。根の先を見る手つきは、五日前のわたくしより速うございます。三棟目で三年やっておられます。見るだけなら、もう慣れておられるのだと思います。
三十鉢のうち、二十五鉢目で、ユアン様が手を止められました。
「この株、瘤が二つあります」
「二度接いでおります。七年前と、四年前でございます」
「二度接ぐんですか」
「上を折られましたので、その上にもう一度」
「折られた」
「風でございます。灰坂は西から入ります」
ユアン様は、その瘤を指で撫でておられました。
「王城には、瘤のある株が一つもありません」
「折れる前に切っておられるのだと思います」
わたくしは、そのとき、もう一つのことを思い出しておりました。
十九年前でございます。伯爵家が建国祭の献花を始めた年でございます。三株の下賜は二十四年前。返礼が五年先にございました。
順が逆でございます。
返礼と書いた者は、そのとき、返礼の元になる奉納がないことを知っていたはずでございます。
その日の夕方、北からの手紙が届きました。八月の船で行った問い合わせの返事でございます。
――サンティエの言い回しである。畑を借りて返すときに、借り主が地主へ言う。土は、貸すものです。返すときに、良くしておきなさい。向こうでは、借地の証文の末尾に必ず入るそうだ。決まり文句だ。
もう一行、ございました。
――ただし、証文以外で使う者はまずない、とのこと。
わたくしは、その手紙を二度読みました。
証文の決まり文句を、花暦の一枚目に書いた方がいらっしゃいます。証文ではございません。ただの紙でございます。
その紙を、義母様がわたくしに渡されました。十五年前でございます。
「ノラ」
「はい」
「南の言い回しだそうでございます」
「じゃあ、南の人が書いたんですね」
「南の人か、南で暮らしたことのある方でございます」
ノラは、二枚の写しを見ておられました。
「奥様。あたし、この字なら読めます」
ノラが指されたのは、下賜先の欄でございます。
「これ、アメリーですよね」
「アメリー・レーンフェルトでございます」
「じゃあ、六月に書いたやつです」
「同じ四文字でございます」
ノラは、しばらくその四文字を見ておられました。
「奥様」
「はい」
「この上の四角、誰が削ったんですか」
わたくしは、擦った紙の凹みを見ておりました。六文字と、四文字でございます。
「存じません」
「四回目です」
「四回目でございますか」
「今年、四回目です」
【今日の花暦】
鉢の土を替えるときは、根の先を一本ずつ見ます。白ければ生きております。茶色ければ、そこから先はもう水を吸いません。切る位置は、白と茶色の境から半寸だけ白いほうでございます。境で切ると、切り口からまた茶色くなります。
消し方には二つございます。線を引くのと、削るのと。線を引いた字は読めます。削った字は読めません。二百三十頁のうち、削ってあるのは一頁だけでした。
次回、その頁を書いた人の名前が出ます。二十四年前の監督官でございます。




