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夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


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第44話:八十九のうち、五十一

 七月十日、九時でございました。


 馬車が坂の下で止まりました。灰坂の道は荷車までしか上がれません。セリアン様は、そこから歩いて上がってこられました。庭師の方はお連れになっておりません。お一人でございます。


 門のところで、止まられました。


 灰坂の門は、柱が二本と横木が一本でございます。扉はございません。前の年の七月に、マイエル様が余りの材で組んでくださいました。ここから内が借地でございます。


 セリアン様は、その横木の手前で止まられました。それ以上は入ってこられません。


 わたくしは、そこまで出ました。歩いて十二歩でございます。


 外套は着ておられません。七月でございます。上着は薄い灰でございました。靴は革でございます。底が薄うございました。灰坂の道は乾くと砂が浮きます。歩きにくい靴でございます。


 わたくしとノラは、鉢の列の脇に立っておりました。七月は、花が終わって、切り戻しの時期でございます。手には鋏がございました。


「監督官様」


「……ここか」


「灰坂でございます」


 セリアン様は、列をご覧になりました。地に下ろした株が七十三、鉢が二十一。支柱の竹が抜いたところにそのまま立っております。五十一本でございます。


「竹が、余っておるな」


「株がございませんので」


 セリアン様は、それには何も仰いませんでした。


 納屋の前まで来られました。ノラが桶を退けて、腰掛けを出しました。セリアン様は、お座りになりませんでした。


「八十九のうち」


 そう仰って、一度お止まりになりました。


「五十一が、枯れた」


 わたくしは、鋏を置きました。


「五十一でございますか」


「六月末で四十八。七月に入って三つ増えた」


「残りは、三十八でございますね」


「三十八だ」


 セリアン様は、そこで初めてこちらをご覧になりました。


「そなたは、驚かぬのか」


「驚いております」


「顔が動いておらぬ」


「三十八残ったのが、意外でございました」


 セリアン様は、しばらく黙っておられました。


「もっと枯れると思っていたか」


「三十ほどと存じておりました」


 わたくしは、そこで一つ伺いました。


「三十八のうち、台の上に置いてあったものは、何株でございますか」


 セリアン様は、答えられませんでした。


 答えないまま、少し目を細められました。


「……三十一だ」


 台の上に置かれていたのが三十一。床に置かれていたのが五十七。台のほうは三十一が全部生きております。床のほうは、五十七のうち七つでございます。


 合わせて三十八。八十九のうち、残る一株は三棟目にはございません。十二月にお持ちした二十七番でございます。あれは南の列へ下ろされました。数を引きますと、二十七番も枯れております。


 わたくしは、何も申しませんでした。


「そなたは、なぜそれを聞いた」


「置き場を、二月に拝見しておりましたので」


「台と床で、違うと言ったな」


「三度違う、と申し上げました」


「三度で、五十一枯れるか」


「三度と、水でございます」


 セリアン様は、腰掛けの背に手を置かれました。


「水は、毎日やらせた」


「はい」


「足りぬということはない」


「足りております」


「では、なぜだ」


 わたくしは、鉢の列のほうを見ました。


「監督官様。二月に、掘り方をお尋ねになりましたか」


「聞いておらぬ」


「わたくしは、根を締めて掘りました。鉢でお使いになるからでございます。締めた根は、水を早く吸って、早く乾きます。乾いてから、次を待ちます。待つあいだに、根は下へ伸びます。毎日水がございますと、待つ時間がございません」


「伸びぬ、ということか」


「伸びません。伸びない根は、三月から七月のあいだに、鉢の中で腐ります」


 セリアン様は、しばらく手を置いたままでおられました。


「輸送と、天候である」


「はい」


 わたくしは、そう申し上げました。


 セリアン様が、こちらをご覧になりました。


「否まぬのか」


「輸送で株が疲れることも、春が遅い年があることも、どちらも本当のことでございます」


「では、そのとおりだ」


「はい」


 ノラが、後ろで鋏を持ち直された音がいたしました。わたくしは、振り返りませんでした。


 セリアン様は、それから列のほうへ歩かれました。三列目の端まで行かれて、そこで止まられました。


「そなたのところでは、何株枯れた」


「九十四株、一株も枯れておりません」


「一株も」


「六月に、四百十一輪咲いております」


 セリアン様は、地面をご覧になっておりました。


 それから、しゃがまれました。


 手袋を外されました。白い手でございます。指が長うございます。爪に土はございません。


 その手で、土を掴まれました。


 三列目の株の根元でございます。深さは一寸ほど。掴んで指のあいだで転がされました。それから握って、開かれました。


 土は握った形のまま崩れませんでした。開いて、指で押すと崩れます。そういう土でございます。


 セリアン様は、その土を、しばらくご覧になっておりました。


 それから、掌の土を懐紙に包まれました。


「これは、持ち帰る」


「どうぞ」


「よいのか」


「一掴みでございます」


 セリアン様は、立たれました。手袋を嵌め直されました。


「エルシャ」


 名を呼ばれたのは、初めてでございます。


「はい」


「九月三日の献花は、そなたが納めよ」


「かしこまりました」


「三十鉢だ」


「三十鉢でございます」


 セリアン様は坂を下りていかれました。門のところで一度、振り返られました。


 ご覧になったのはわたくしどもではございませんでした。五十一本の、株のない支柱でございます。

【今日の花暦】


良い土は、握ると形が残り、指で押すと崩れます。形が残らないのは砂が多すぎ、押しても崩れないのは粘土が多すぎでございます。この見分けは、道具が要りません。手が濡れていても、乾いていても、同じように分かります。


 監督官は「輸送と天候である」と仰いました。奥様は「はい」と答えました。否みませんでした。否まなかったのは、そのほうが効くからではありません。どちらも本当のことだからです。


 次回、九月三日でございます。建国祭の階段に、三十鉢を並べます。殿下が、母株の欄のお話をなさいます。

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