表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/25

第4話:灰坂に、百の鉢を並べる

 灰坂は王都の南の外れでございます。昔は瓦を焼いていた土地で、地名もそこから来ております。窯を潰したあとの土は焼けて白く、草も膝までしか伸びません。母が四十年前に借りて、死ぬまで返さなかった土地です。荷馬車を止めたとき、ノラが荷台から降りて、あたりを見回しました。


「奥様」


「はい」


「家がないですね」


「小屋がございます」


「あれ、屋根が半分ないですけど」


「半分ございます」


 井戸は埋まっておりました。石を落として塞いだのではなく、風で運ばれた土が三十年かけて埋めたものです。掘れば出ます。ただ、今日は出ません。株は二百十四ございます。麻布に巻いた根はあと二日で乾きます。


「ノラ、水はどこから来ますか」


「井戸が埋まってるなら、川ですかね」


「川は四百歩ございます」


「往復ですか」


「往復です」


 ノラは桶を二つ持ちました。


「あたし、一度に四つ持てます」


「四つは無理です」


「持てます」


「持てても、こぼします」


 ノラは桶を二つに戻しました。夕方までに、株を仮植えいたしました。鉢がございませんので、地面に浅い溝を掘って、根を並べて土をかけるだけです。仮伏せと申します。根が乾かなければ、それで一月は持ちます。列は十四本になりました。西から東へ、花期の早いものから順に。


 日が落ちる少し前に、荷馬車が一台、街道を通りました。止まりました。降りてこられたのは、背の高い男の方でございました。外套の裾に泥が跳ねております。北から来られたのだとわかりました。この時季にあの色の泥がつくのは、王都より北の道だけです。


 その方は街道から仮伏せの列を見ておられました。それから、荷馬車の荷台をご覧になりました。麻布に巻いた株が、まだ二十ばかり積んであります。根を上に、枝を下に向けて重ねてございました。


「根を上に向けて積んでいる」


 声は低くて、聞き取りにくいものでした。


「……賢い」


 わたくしは頭を下げました。


「枝は折れても春に出ますが、根は折れると出ません」


 その方はそれに答えられませんでした。代わりに、こう仰いました。


「北は、霜が早い」


「はい」


 それだけ仰って、荷馬車に戻られました。名も、行き先も、伺っておりません。井戸のことも、決めておかなければなりません。わたくしは、埋まった跡の中心に縄を張りました。母の代の井戸は、石組みが深さ三間ほどございます。埋めたのは風で運ばれた砂ですから、掘れば戻ります。ただ、三間を一人で掘るのは、ひと月仕事でございます。


「奥様、水はどうするんですか」


「明日から、川を往復いたします」


「井戸は」


「掘ります。ただ、急ぎません」


 ノラは、縄の張られた円を見ておられました。


「急がないんですか」


「急いで底まで掘ると、壁の砂が崩れます。一日に一尺ずつ、崩れを均しながら掘ります」


「それだと、いつ水が出るんですか」


「早くて四日目でございます」


 ノラは、少し驚かれた顔をされました。


「四日で、間に合うんですか」


「間に合わせます。それまでは、川を往復いたします」


 わたくしは、縄の内側に鋤を入れました。夜、小屋の残った半分に麻布を張って寝床にいたしました。ノラは屋根のある側で丸くなって、すぐに寝てしまわれました。手のひらに桶の縄の跡が、四本ついておりました。わたくしは花暦を開きました。七月十一日の頁に、こう書きました。


 ――灰坂へ移す。二百十四。仮伏せ。井戸なし。土は焼け土。砂は足りている。堆肥がない。


 堆肥がございません。これが一番の問題でございます。焼けた土は水を持ちません。水を持たない土では、根が伸びる前に乾きます。堆肥を積むには、落ち葉と、藁と、家畜の糞と、三か月の時間が要ります。


 三か月あれば、十月です。九月三日には、間に合いません。翌朝、戸を叩く音がありました。娘が一人、立っておられました。十七か十八でしょう。灰坂の下の、荷馬車屋の娘さんだそうです。名はハンナと申されました。


「あの、ここ、庭師さんが入ったって聞いて」


「庭師でございます」


「うち、藤があるんです」


「藤」


「三日後に、姉の婚礼で。藤の下で誓いを立てるって、去年から決めてて」


 ハンナ様はそこで言葉を切られました。


「まだ、一つも咲いてないんです」


 わたくしは手を拭きました。


「見せていただけますか」


 藤棚は、荷馬車屋の裏にございました。棚は古いものです。竹を組んで、上に藤を這わせております。蔓は太く、二十年は経っております。わたくしは蔓の先を一本、指で挟みました。花芽が、ございました。固く締まった、灰色の芽です。ちゃんとついております。


「ハンナ様」


「はい」


「去年の夏に、この棚を剪られましたか」


「え、あの、父が。伸びすぎて屋根に届くって」


「いつごろ」


「たしか……秋の、終わりごろだったと」


「では大丈夫です」


 ハンナ様が、顔を上げられました。


「咲きますか」


「藤は、花芽を前の年の夏に作ります。今年の芽は、去年の夏にできております。もう中にございます」


「じゃあ、なんで咲かないんですか」


「開く合図が来ていないのです」


 わたくしは棚の下の土を見ました。固く踏まれております。荷馬車屋ですから、人と馬が毎日通ります。水が入っておりません。


「三日後の何時でございますか」


「朝の、十時です」


 わたくしは空を見ました。今日は曇りです。明日は晴れると思います。風は南から来ております。


「間に合わせます」


「ほんとうに」


「ただし、条件が二つございます」


「はい」


「一つ、明日から三日、この棚の下に馬を通さないでください」


「わかりました」


「二つ、堆肥をお持ちでしたら、少し分けてください」


 ハンナ様はきょとんとされました。


「馬糞なら、山になってますけど」


「では、荷馬車を一台、お借りできますか」

【今日の花暦】


藤は花芽を前の年の夏に作ります。だから冬に剪ると咲きません。逆に言えば、芽がついているなら、咲かせるのは開く合図を作るだけの話です。合図は、水と温度と、あと一つあります。


 荒れ地に着いた奥様が最初に困ったのは、井戸でも屋根でもなく堆肥でした。地味な話ですが、堆肥がないと三か月が消えます。三か月消えると、九月三日に届きません。ここは覚えておいていただくと、あとで少し効きます。


 次回、三日後の朝でございます。婚礼は十時です。藤が開くのは、何時になるでしょうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ