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夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


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第3話:掘り上げの朝

 三日目の朝、勝手口に鋤が十一本ありました。わたくしは数を二度数えました。マルタ。ギー。厩の四人。洗い場の三人。料理番のヨナスさんまで、袖をまくって立っておられました。ヨナスさんは六十二です。腰を悪くして、去年から重い鍋を持たれません。


「ヨナスさん」


「奥様、麻布を巻くだけなら座ってできます」


「腰が」


「座ってできます」


 わたくしは、それ以上申し上げませんでした。母株は三株ございます。庭の一番奥、北の壁際です。日が半分しか当たりません。薔薇には向かない場所ですが、義母様がそこに植えられたので、そのまま動かしておりません。根は十八年ぶんです。


「奥様、これは無理です」


 ギーが穴を覗いて仰いました。


「根が壁の下に入ってます。掘ったら壁が落ちます」


「壁は落ちません。基礎が二尺下にあります」


「どうしてご存知なんです」


「十年前に、水の抜け道を作るときに掘りました」


 わたくしは鋤を置いて、手を入れました。道具では無理です。指で土を落とします。太い根が三本、細いのが数え切れません。細いのは切ってよいのです。切っても春に出ます。太いのを一本でも失えば、この株は二年、花をつけません。


「ノラ」


「はい」


「そちらの根を、押さえていてください。引いてはいけません」


「押さえるだけですね」


「押さえるだけです」


 二時間かかりました。三株のうち、二株は無事に上げました。三株目は、太い根の一本が壁の目地に入り込んでおりました。指では抜けません。わたくしは鑿を持ってこさせました。目地を削って、根を出しました。壁の石が一つ、少し傾きました。


「奥様、壁が」


「石一つです。積み直せます」


 わたくしは根の先まで土を落としました。十八年です。義母様が植えられて、わたくしが十三で桶を運び、十六で剪定を任され、それからずっと同じ株の枝を見てまいりました。麻布を巻いて、水を打ちました。それで、終わりでございます。庭に、二百十四の穴が残りました。


 夫がいらしたのは、そのあとです。今度は着替えておられました。夕方から王都でお約束があるのだそうです。


「もう終わったのか」


「はい」


「……壁が」


「石一つ、傾きました。積み直させます。費用はわたくしが持ちます」


「そんなことは言っていない」


 夫は穴を見ておられました。二百十四の穴です。均さなければ、雨が降れば水が溜まります。溜まった水は、三日で腐ります。


「エルシャ。ひとつ聞いていいか」


「はい」


「あの白いのは、なんという名だ」


 わたくしは、しばらく夫の顔を見ました。ロンバル侯爵様に聞かれた、あの株のことでございます。


「アメリーでございます」


 夫はまばたきをなさいました。


「……母の名だ」


「はい」


「なぜ母の名を」


「わたくしが接ぎました。義母様の母株から穂を採って、七年かかりました。白の縁に薄紅が入ります。義母様がお持ちだった株には、その縁がございませんでした」


「母は、それを知っていたのか」


「ご存命のうちには、咲きませんでした」


 夫は麻布の山を見ました。どれも同じ形をしております。


「どれだ」


「四つ目の列の、右から二番目です」


 夫はそちらへ二歩、歩きかけました。それから、止まりました。


「……いや、いい」


 そして、こう仰いました。


「土は買える。株も買える。庭師も雇える。何も困らない」


「はい」


「困らないんだ」


「はい」


 夫は上着の裾を直して、屋敷へ戻られました。荷馬車が三台になりました。最後の一台に母株を三つ載せて、麻布の上から水を打ちました。灰坂までは荷馬車で二時間です。根が乾かなければ、それで足ります。マルタが、桶を持って立っておられました。十五年前の朝と同じでございます。あの日、わたくしは十三で、この人が桶を渡してくれました。


「マルタ」


「奥様」


「今年の献花のことですが」


「はい」


「わたくしから何も申し上げるつもりはございません。ただ、八十株の仕込みは七月から始めなければ、九月三日には間に合いません」


「今日は、七月の十一日でございます」


「はい」


 マルタは桶をわたくしに渡されました。


「奥様。旦那様はそのことをご存知でしょうか」


「十九年、伯爵家が納めてまいりました」


「納めていたのは、この庭でございます」


 わたくしは桶を受け取りました。空でございました。


「洗い場のを、一つ持って行っておくれ。もう要らないものだから」


 荷馬車が門を出るとき、ノラが荷台に飛び乗りました。風呂敷を一つ、抱えておりました。


「奥様。灰坂って、どのくらい荒れてるんですか」


「井戸が埋まっております」


「掘るんですね」


「掘ります」


「あたし、掘るのは得意です」


 ノラは荷台の麻布に手を置いて、それから聞きました。


「――で、それ、いつ咲くんですか」


 わたくしは母株の枝を見ました。剪り込んであるので、蕾はございません。灰坂に植えて、根が土に馴染むのに三十日。それから枝を伸ばして、蕾がつくまでに四十日。


「九月の初めでございます」


「ずいぶん先ですね」


「そうですね」


 荷馬車が坂を下り始めました。振り返れば、丘の上の庭は、まだ穴のままでございました。

【今日の花暦】


太い根と細い根の区別は、切ってよいかどうかで決まります。細いのは水を吸う根で、春に出ます。太いのは株を立たせる根で、出るのに二年かかります。指で掘る理由は、指なら切れないからです。


 鋤が三本のはずが十一本になった話です。奥様が頼んだのはマルタひとりで、あとは全員が勝手に来ました。庭を作ったのが誰なのかを、屋敷の中で一番よく知っていたのは、屋敷で働く人たちでした。


 次回、灰坂に着きます。井戸が埋まっており、水がありません。株は二百十四あり、水を打たなければ三日で全部枯れます。


 ブックマークと評価は、苗の土代に充てさせていただきます。

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