第2話:二百十四株の、掘る順番
四時に、鋤が四本、勝手口に立てかけてありました。マルタと、庭番のギー、それに厩の若い者が二人。誰も何も言いませんでした。ギーは麻布の束を抱えておりました。根を巻くのに使うものです。誰も持ってこいと言っておりません。
「奥様」
マルタが袖をまくりながら仰いました。
「どこから」
「西の斜面から」
「あちらは若い株ばかりですが」
「二年目の株が一番根が浅いのです。掘るのが早く済みます。手が慣れないうちは、軽いものから」
夜が明ける前に、二十三株を上げました。鋤を根から三十センチ離して、円を描くように差します。株の真下を掘るのではなく、周りの土を落として根の形を先に見ます。根がどちらに伸びているかは、地上の枝を見ればおおよそわかります。日の当たる側に枝が伸びれば、根は反対側に張ります。
「奥様、これ、東に三本行ってます」
声がしたので、振り向きました。下働きの娘でございました。十六になったばかりの、たしかノラという名の子です。厨房の水汲みで見た顔でした。庭にいる子ではございません。
「そちらから掘らないと、切れます」
わたくしは、しばらくその子を見ました。
「どうしてわかりましたか」
「見ればわかりますけど」
「株の名は」
「知りません」
「知らないのですか」
「白いの、です」
ノラは鋤を持っておりました。自分の背丈に合わない大きさのものです。
「あたし、根を切らずに掘れます」
「そうですか」
「雇ってもらえますか」
「賃金を払えません」
「今も払われてません。あの家、水汲みには何も出さないんです」
わたくしは東側から鋤を入れました。根が三本、確かに東へ伸びておりました。
「では、そこの列をお願いします」
「はい」
朝の八時に、夫が庭へ出てまいりました。寝間着の上に上着だけを着ておられました。二百十四株の三分の一が、麻布に巻かれて荷馬車の脇に積まれておりました。
「エルシャ」
「おはようございます」
「……本当にやっているのか」
「三日で終わらせると申し上げました」
夫は株の山を見ました。それから、掘り返された跡を見ました。庭というのは、株を抜くと穴が残ります。二百十四の穴が並ぶと、庭には見えません。畑にも見えません。
「待ちなさい。弁護士を呼ぶ」
「どうぞ」
弁護士は昼前に参りました。王都のアルベール・ソレル先生です。夫の父の代からのお付き合いだと聞いております。先生は目録の写しを二度読み、それから原本を出させて、もう一度読みました。
「伯爵様」
「どうだ」
「第四項でございます」
「持参財だろう。返すと言っている」
「返す、ではございません」
先生は眼鏡を上げました。
「持参財は、婚姻中も妻の所有です。返還の対象ではなく、もともと妻の物でございます。加えて、この条項は『母より受け継ぎたる薔薇の株』と書いてございますが、数も品種も限定しておりません。」
「では、どこまでだ」
「先代の奥様から受け継いだ株、及びその株から増やした株の全て、と読めます」
「二百十四本もか」
「接ぎ木の穂は、どこから採られましたか」
先生がわたくしをご覧になりました。
「一番古い母株が三株ございます。義母様が残されたものです。二百十四株はすべて、その三株から穂を採って増やしました」
「――伯爵様。全部でございます」
夫は口を開いて、閉じました。
「土は」
「土地に付属いたします。伯爵家のものです」
「土は残るのか」
「残ります」
夫は少し安堵なさったようでした。
「では、いい。土があるなら、また植えられる」
わたくしは鋤を持ち直しました。土は残ります。ただ、この庭の土は、この庭の株のために十五年かけて作ったものです。粘りを砂で切り、堆肥で微塵を足し、水の抜け道を三本、作りました。買った株を植えれば、その株はこの土に合うかどうかを、根で確かめることから始めます。それを申し上げようかと思って、やめました。聞かれておりません。
午後、リリベット様が庭へ出てこられました。白い花束は、書斎の卓に置いたままだそうです。二日目でございました。
「ずいぶん派手なことをなさるのね」
「はい」
「二百も持って行って、どうなさるの。ご自分でお売りになるの?」
「植えます」
「植えて、それから?」
「咲きます」
リリベット様は掘り返された穴の一つに靴の先を入れられました。
「ねえ。二百も要らないでしょう。半分置いていってくださらない? わたくし、この庭が気に入っているの」
「かしこまりました」
わたくしはそう申し上げてから、続けました。
「どの半分がよろしいですか」
「え?」
「二百十四株のうち、今年の秋に咲くのは八十株です。来年の春に咲くのが六十。残りは花をつけるまでにあと二年かかります。どれをお残しになりますか」
リリベット様は株の山を見られました。麻布に巻かれた株は、どれも同じ形をしております。枝を短く剪ってあるので、白いのも薄紅のも見分けがつきません。
「……見てもわからないわ」
「はい」
「あなた、わかるの」
「わかります」
リリベット様は、少し黙っておられました。それから、こう仰いました。
「じゃあ、いいわ。買います。切り花のほうが手間がないもの」
わたくしは頭を下げました。
「そのほうが、よろしいと思います」
二日目の夜、荷馬車が二台になりました。ギーが轅に寄りかかって、汗を拭いておりました。
「奥様」
「はい」
「その手帳、持って行かれるんですね」
わたくしは袖を押さえました。花暦でございます。十五年、この丘の花の開いた日と、その前に何をしたかを書いてまいりました。紙は八十枚を超えて、綴じ糸を三度替えております。
「これは、持参財ではございません」
「じゃあ」
「わたくしの字でございます」
ギーは笑いました。
「そりゃ、誰も持って行けませんな」
わたくしは母株の三株を最後に残しておりました。明日、それを掘ります。
【今日の花暦】
掘り上げは根を切らずに済むかで八割決まります。株の真下ではなく、少し離して円を描くように。焦って真下から差すと、太い根を一本失います。太い根を一本失った株は、その年は咲きません。
弁護士のソレル先生はこの物語で一番いい仕事をする人です。たった一度の登場で、二百十四株の行き先を決めてしまいました。書類というのは、書いたときには誰も読まないのに、後になって効きます。
次回、母株を掘ります。三日目の朝でございます。鋤を持ってくる人が、二人ばかり増えているようです。




