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夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


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第31話:母株の欄が、ございません

 一月十五日、ユアン様が、来られました。昼の少し前でございます。外套を着ておられませんでした。歩いてこられて、途中で暑くなったのだそうです。腕に抱えておられました。


 ノラが、門のところで止められました。


「どちら様ですか」


「ユアンです。王城花壇の」


「王城の人は、うちの株を持っていく人ですけど」


「僕は、持っていきません」


「まだ持っていってないだけですよね」


 わたくしが出てまいりまして、中へ入っていただきました。ノラは、三歩後ろをついてこられました。


 ユアン様は、まず鉢の列をご覧になりました。それから、地に下ろした列を端まで歩かれました。歩きながら、二度しゃがまれました。


「支柱が、竹ですね」


「竹でございます」


「王城は鉄です」


「鉄は冷えます。根に近いところで冷えますと、春の動きが遅れます」


「……知りませんでした」


 ユアン様は、麻紐を見ておられました。八十八本ございます。


「これが、返す株ですか」


「はい」


「半分じゃないですか」


「百八十三のうち、八十九でございます」


 ユアン様は、しばらく紐を見ておられました。それから、懐から紙を出されました。折り目が四つついております。


「これを、見せに来ました」


 紙には、線が引いてございました。四角が並んでおります。字は書いてございません。線だけでございます。


「系統帳の頁の、形です」


「形」


「中身は写せません。持ち出したら、僕は明日から居ません。だから、形だけです」


 わたくしは、卓に紙を広げました。


 欄が七つございました。上から、番号。名。年。下賜先。本数。備考。それと、いちばん上に、番号よりさらに上の欄が一つ。


「この、いちばん上は」


「母株です。どの株から出たか、を書く欄です」


「すべての頁にございますか」


「あります。二百三十号まで、全部あります。空いている頁は、ありません」


 ユアン様は、そこで指を止められました。


「一つだけ、空いています」


「どの頁でございましょう」


「第百七号です」


 わたくしは、その四角を見ました。線だけの四角でございます。中に何も入っておりません。


「古い頁だからではございませんか」


「第百七号より古い頁は、百六あります。全部、埋まっています。第一号から第百六号まで、母株の名か、番号か、どちらかが入っています」


「第百八号は」


「入っています。第百七号の子だと書いてあります」


 わたくしは、紙を見たまま、しばらく黙っておりました。


「ユアン様」


「はい」


「第百七号の頁は、いつのものでございますか」


「二十四年前です。年の欄に、そう入っています」


「では、下賜の記載は」


「下賜先の欄に、追記の形で入っています。レーンフェルト伯爵家、三株、奉納の返礼と。……それだけです」


 ノラが、卓の横から覗き込まれました。


「その四角、なんですか」


「母株の欄でございます」


「なんにも書いてないですね」


「はい」


「じゃあ、この株、どこから来たんですか」


 ユアン様は、答えられませんでした。わたくしも、答えられませんでした。


 わたくしは、紙を裏返しました。裏にも線がございます。折ったときの写りでございました。ユアン様は、同じ形を何度も引いておられます。三度か四度は引いたのだと思います。線の太さがそろっておりました。


 欄の並びを、上から読み直しました。母株。番号。名。年。下賜先。本数。備考。この順でございます。母株がいちばん上でございました。番号より上でございます。帳面をお作りになった方は、番号より先に出どころを置いたのでございます。


 昼を出しました。麦の粥と、漬けた根菜でございます。ユアン様は、二杯召し上がりました。ノラは、向かいに座って、ずっとユアン様の手を見ておられました。


「あなた、爪に土が入ってますね」


「入ります」


「王城の人でも入るんですね」


「入ります」


「監督官は入ってませんでした」


「監督官は、掘りませんから」


 ノラは、それで少し態度を変えられました。皿をもう一枚お出しになりました。


 夕方、門までお送りいたしました。


「ユアン様」


「はい」


「なぜ、これを見せに来られましたか」


 ユアン様は、坂の下をご覧になりました。


「三棟目のことです。あなたが二分で言い当てたことを、僕は三年わかりませんでした。それで、こう思いました」


「はい」


「帳面に書いてあることが正しいなら、三棟目は元気なはずです」


 わたくしは、頭を下げました。


 坂を下りていかれる背中を、しばらく見ておりました。ユアン様は、途中で一度立ち止まって、灰坂のほうを振り返られました。株の列をご覧になったのだと思います。それから、また歩き出されました。


 ノラが、横に来られました。


「奥様」


「はい」


「あの人、また来ますよ」


「そうでございますか」


「粥、二杯食べました。二杯食べる人は、また来ます」


 その夜、花暦を開きました。第百七号のところを探しました。義母様から伺ったのは、王城から三株、という一行だけでございます。その三株がどこから来たのかは、書いてございません。義母様も、ご存じなかったのだと思います。


 紙をもう一度見ました。空の四角でございます。


 この四角は、書かなかったのでございましょうか。それとも、書けなかったのでございましょうか。

【今日の花暦】


支柱を鉄にすると、冬に根の近くが冷えます。冷えた土は春の動き出しが十日ほど遅れます。竹は毎年替える手間がかかりますが、土の温度を奪いません。手間の少ないほうが正しいとはかぎらないのが、道具でございます。


 ユアンは正義感で来たのではありません。三年わからなかったことを二分で言い当てられたので、帳面のほうを疑い始めただけです。この人は最後まで、そういう順番で動きます。


 次回、花暦の写しの話でございます。八十六枚を二冊にいたします。ノラが数を読み上げて、奥様が書く。この分担には、理由がございました。

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