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夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


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第29話:土は、返せません

 十二月二十六日でございます。鉢を一つ、荷車に積みました。八十九のうちの一つでございます。番号は二十七番。四年前に接いだ株で、丈は二尺二寸、幹は親指ほど。冬囲いはいたしません。運ぶ日に外すからでございます。


 ノラが、荷車の後ろを押されました。灰坂から王城の西門まで、一時間半かかりました。荷車では坂が二つございます。


 門番の方は、書付を見ずに通されました。前の週の顔を覚えておられたのだと思います。


「奉納か」


「返還でございます」


「返す?」


「はい」


 監督官の部屋は温室の裏でございます。セリアン様は、卓の前に立っておられました。窓が北向きでございますので、部屋は暗うございました。


「一株か」


「一株でございます」


「八十九ではないのか」


 わたくしは、書付を出しました。四日かけて作った八十九行の写しでございます。セリアン様は、受け取って、上から三行ほどご覧になりました。


「三月一日と申したはずだ」


「三月一日にお渡しいたします。今日お持ちしたのは、そのうちの一株でございます」


「なぜ分けた」


「先にお渡ししたほうが、よろしいと存じました」


 セリアン様は、書付を卓に置かれました。


「理由を述べよ」


「三月一日に八十九株が一度に参りますと、置く場所と、水と、日の当て方を、その日にお決めになることになります。一株でしたら、二か月ございます」


 セリアン様は、荷車のほうをご覧になりました。庭師の方が二人来て、鉢を下ろされました。土がこぼれました。わたくしは、こぼれた土を見ました。黒うございます。灰坂の土でございます。焼け土に、堆肥を三年ぶん入れてございます。


「鉢のままお使いになりますか。地に下ろされますか」


「花壇へ下ろす」


「どちらの花壇でございましょう」


「南の列だ」


 わたくしは、南の列を見てまいりました。門から入ったところでございます。土を、指で掘らせていただきました。三寸で指が止まりました。下は硬うございます。砂が多く、上の三寸だけが黒うございました。運んできた土でございます。肥料の粒が見えました。白い粒でございます。まだ溶けておりません。


「監督官様」


「なんだ」


「南の列は、上から三寸だけが土でございます」


「客土をしてある」


「はい。その下は、砂でございます」


「花壇とはそういうものだ」


「はい」


 わたくしは、土を戻しました。手を払いました。


「株は、お返しできます」


「当然だ」


「土は、返せません」


 セリアン様は、こちらをご覧になりました。


「なにを言っている」


「二十七番は、四年、灰坂の土におりました。その前の三年は伯爵家の丘でございます。合わせて七年、根が同じ深さで水を取っております。深さ一尺のところに水が来る土でございました。ここは、三寸でございます」


「水はやる」


「はい」


「毎日やらせる」


「毎日やりますと、上の三寸だけが湿ります。根は下へ行きません。行かない根は、二年で細くなります」


 セリアン様は、少しのあいだ黙っておられました。


「そなたは、返したくないのだな」


「返します」


「では、何を言いに来た」


「二十七番の水は、七日に一度、一鉢に四杯でございます。今日から三月までは、それで足ります。四月からは五日に一度でございます」


「覚えておく」


 わたくしは、書き付けたものをお渡ししようとしました。紙を一枚、折って持ってきておりました。セリアン様は、受け取られませんでした。


「庭師が十四人おる」


「はい」


「水のやり方を、外の者から教わることはない」


 わたくしは、紙を懐に戻しました。


 庭師の方が二人、二十七番を運んでいかれました。南の列でございます。穴を掘る音が聞こえました。三度で止まりました。浅うございます。鉢から抜いた根を、そのまま置いたのだと思います。ほぐしておりません。ほぐさない根は、鉢の形のまま冬を越します。春になっても外へ出ません。


 わたくしは、そちらへ行きませんでした。頼まれておりませんので。


 帰りに、温室の前を通りました。三棟目の硝子が、前の週より曇っておりました。中の葉は、やはり薄うございます。落ちた葉が、通路に溜まっておりました。掃いていないのではございません。落ちる数が多いのでございます。


「監督官様」


「まだ何かあるか」


「三棟目は、いつからでございますか」


 セリアン様は、答えられませんでした。


「そなたは、階段の株のことだけを考えておればよい」


「かしこまりました」


 灰坂に戻りましたのは、暗くなってからでございます。ノラが、荷車を納屋へ入れながら、聞かれました。


「受け取りました?」


「受け取られました」


「紙は」


「受け取られませんでした」


「じゃあ、あの株、枯れますよ」


 わたくしは、鉢の列を見ました。五十八になっております。一つ、空いております。


「ノラ」


「はい」


「二十七番が春に芽を出すかどうかで、あとの八十八をどうお渡しするか決めます」


「芽が出なかったら?」


「出なかったら、同じでございます。八十八もお渡しいたします」


「じゃあ、決めるって何をですか」


「わたくしが、何を書いて添えるかでございます」

【今日の花暦】


客土は上に三寸だけ入れても効きません。根は水の来る深さに合わせて伸びますので、三寸で止まる土では根も三寸で止まります。三寸の根は、夏の三日晴れると乾きます。土を替えるなら、掘って、混ぜて、一尺までを一続きにいたします。手間は三十倍かかります。


 奥様は返しに行って、水のやり方を書いた紙を渡そうとしました。断られました。それでも三月にはまた何かを書いて添えるつもりでいます。相手が読むかどうかは、奥様の仕事ではないからです。


 次回、王城の温室でございます。三棟並んで、一棟だけ葉が薄い。原因は日でも水でも肥料でもございません。

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