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夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


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第20話:王城花壇の、系統帳

 王城花壇は城の西の一角にございました。二百歩四方ほど。塀の中に温室が三棟。庭師が十四人。花壇に入るには身分を書いた札が要ります。わたくしには札がございませんので、使いの方の後ろについて歩きました。監督官の部屋は温室の裏でございました。セリアン・ヴェルニエ様と申されます。


 四十を少し過ぎたお年でしょう。手が白うございました。土を触られない方の手でございます。卓の上に、鉢が一つ置いてございました。ノラが通用門に置いてきた鉢でございます。


「これはそなたのものか」


「わたくしの株でございます」


「門番に置いていったのは」


「わたくしの弟子でございます。わたくしは知りませんでした」


「知らずに置かせたのか」


「知らずに置かれました」


 セリアン様は、少し眉を寄せられました。


「奇妙な言い方をする」


「はい」


 卓の脇に、帳面がございました。革の表紙で、厚さは三寸ほど。金の箔で番号が押してございます。


「系統帳である」


「拝見してよろしいですか」


「ならぬ」


 セリアン様は帳面をご自分の側へ引かれました。


「第百七号を、そなたの弟子が申したそうだ」


「はい」


「なぜ、その番号を知っている」


「弁護士より伺いました。二十四年前、王城花壇より三株が下賜されております。レーンフェルト伯爵家でございます。名目は奉納の返礼と」


 セリアン様は帳面を開かれました。三枚ほど、めくられました。


「――ある」


「はい」


「二十四年前。アメリー・レーンフェルトへ、第百七号を三株」


 セリアン様はそこで指を止められました。


「その株はいまどこにある」


「わたくしが持っております」


「伯爵家ではなく」


「持参財でございます」


「持参財」


「婚姻の目録に、そう書いてございます」


 セリアン様は帳面から顔を上げられました。わたくしの手をご覧になりました。爪の間に土が入っております。今朝も鉢を触りました。


「そなたは平民か」


「園丁の娘でございます」


「園丁の娘が王城下賜の系統を持っているのか」


「持っております」


 セリアン様は卓の上の鉢をご覧になりました。白の縁に、薄紅が入っております。


「この縁の色は第百七号にはない」


「はい」


「ではこれは第百七号ではない」


「第百七号を親にして、わたくしが接いだものでございます。七年かかりました」


「名は」


「アメリーでございます」


 セリアン様の指が帳面の上で止まりました。


「先代伯爵夫人の名を、勝手につけたのか」


「勝手につけました」


「届けは」


「出しておりません」


 セリアン様は帳面を閉じられました。


「系統帳に載らぬ株は王城の階段には並べられぬ」


「はい」


「載せるには、届けと審査が要る。審査には、親株の系統を三代さかのぼって示す必要がある」


「三代でございますね」


「第百七号の親は、帳面にある。その前は、南の国から来たものだ。記録がない」


「では、二代でございます」


 セリアン様は、わたくしをご覧になりました。


「二代では通らぬ」


 わたくしは、頭を下げました。


「かしこまりました」


「帰るのか」


「はい」


「そなた、入札に出す気があるのか」


 わたくしは、少し考えました。


「ございません」


「なぜ」


「灰坂の庭師でございます。家の格を書く欄に、書くものがございません」


 セリアン様は、卓を指で二度、叩かれました。


「では、なぜ弟子は株を置いていった」


「わかりません」


「わからぬのか」


「弟子に伺っておりません」


 部屋を出ようとしたときでございました。扉が開きました。入ってこられたのは、年配のご婦人でございました。侍女が二人ついておられます。セリアン様が、立たれました。深く、頭を下げられました。わたくしも、頭を下げました。


「セリアン。あの鉢は、これですか」


「殿下」


 わたくしは、床を見ておりました。王妃殿下でございました。


「ロンバル侯爵から、名を聞きました」


 王妃殿下は、鉢の前に立たれました。


「アメリー、と」


「はい」


「あの子が、名を残したのですね」


 わたくしは、顔を上げられませんでした。


「わたくしが、勝手につけました」


「そなたが」


「はい」


「なぜ」


 わたくしは、少し黙りました。


「義母様の株から、七年かけて接ぎました。縁に色が出たのは、義母様が亡くなられた翌年でございます。ご存命のうちには咲きませんでした」


 王妃殿下は、鉢の縁に指を触れられました。触れ方が、慣れておられました。花に触る手つきではなく、葉の裏を見る手つきでございました。


「セリアン」


「はい」


「系統帳を、お借りします」


「殿下、審査が」


「わたくしが二十四年前に三株を下賜した相手の株です。系統は、わたくしが覚えています」


 王妃殿下は、帳面を取られました。それから、わたくしに向かって仰いました。


「そなた、名は」


「エルシャでございます」


「家は」


「灰坂でございます」


「灰坂のエルシャ」


 王妃殿下は、うなずかれました。


「十一月十日に、三十鉢。用意できますか」


 わたくしは、頭を下げたまま、日を数えました。今日は十一月四日でございます。六日でございます。咲いているのが五十六鉢。それから、ノラが日に当てた七鉢が、十一月八日に開きます。六十三でございます。三十鉢は、選べます。


「用意できます」


「では、頼みます」


 王妃殿下が出ていかれたあと、セリアン様が長く立っておられました。それから、こう仰いました。


「灰坂のエルシャ」


「はい」


「そなたの株は、系統帳に載る」


「ありがとうございます」


「載るが、覚えておけ」


 セリアン様は、卓の上の鉢を、ご自分の側へ引かれました。


「王城の花壇は、系統で回っている。血筋のわからぬ株を階段に並べれば、次の年から、誰でも並べられると言い出す」


「はい」


「そなたは、そのはじまりになる」

【今日の花暦】


花に触る手つきと、葉の裏を見る手つきは違います。前者は花を見ています。後者は虫を見ています。土を触る人は、たいてい後者から入ります。


 セリアンさんが言ったことは、意地悪ですが正確です。系統のわからない株が一度階段に並ぶと、翌年から「うちも」と言い出す家が出ます。この方の仕事は、それを止めることです。


 次回、六日で三十鉢を揃えます。咲いているのは五十六。日に当てた七鉢が八日に開きます。選ぶのは、咲いている株ではありません。


 ブックマークと評価は、苗の土代に充てさせていただきます。

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