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夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


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18/25

第18話:帳面は、枯らした庭を数えていました

 ドレーゼ夫人が灰坂へいらしたのは九月の十日でございました。馬車ではなく、荷馬車でお見えになりました。麻の荷を積んだままです。


「エルシャさん。中庭のこと、断ってしまってごめんなさいね」


「お気になさらず」


「気にします」


 ドレーゼ夫人は荷台から帳面を二冊、出されました。


「あなたが置いていった鉢、七つ。うちの若い庭師が引き継いで、三つ枯らしました」


「三つでございますか」


「帯の外に動かしたんですよ。あなたが砂を敷いた帯を、見た目が悪いと言って崩して、芝を戻して」


 わたくしは、少し目を閉じました。水路の上でございます。


「それで、思ったんです」


 ドレーゼ夫人は帳面を叩かれました。


「うちには三代ぶんの名簿があります。誰が何を頼んだか。あれをね、逆から読んでみたんですよ」


「逆から」


「頼んだ家ではなく、受けた庭師の側から」


 名簿は麻の商いのものでございます。王都の家々がいつ、誰に、何を頼んだか。麻布の納めの記録の余白に、三代の当主が書き足してこられたものだそうです。ドレーゼ夫人がそれを庭師の名で並べ直されました。


「バルド・クレンツ。二十二年で、四十一軒」


「多うございますね」


「多いんです。ただね」


 ドレーゼ夫人は指で行をたどられました。


「四十一軒のうち、十四軒が三年以内に別の庭師に替わっています」


「十四」


「そのうち十軒が替わった理由に『庭が駄目になった』と書いてあります」


 わたくしは、その行を見ました。名前と、年と、短い書き込みだけの帳面でございます。


「三分の一でございますね」


「そうです。それで、わたくし、ほかの組合員も並べてみたんですよ」


 ドレーゼ夫人は二冊目を開かれました。


「三十八人のうち、十軒以上を任された者は九人。そのうち八人は駄目にした家が二軒か三軒です」


「バルド様は」


「十軒です」


 わたくしは、その数を長く見ておりました。


「ドレーゼ様」


「はい」


「バルド様は腕がございます」


「そうでしょうね」


「堆肥に手を入れて、生か使えるかを、指で潰して当てられました。あれができる庭師は三十八人のうち何人もおりません」


「ではなぜ十軒枯らしたの」


 わたくしは、少し考えました。


「掘っておられないのだと思います」


「掘る」


「地上の見立ては確かでございます。土を触って、枝を見て、肥料の過不足を当てられます。ただ、地面の下を掘っておられません」


 わたくしはドレーゼ商会の中庭のことを申し上げました。十年、四人の庭師が通いました。誰も鉄棒を刺しませんでした。刺せば一尺で止まったのです。


「四人目がバルド様でしたか」


「四人目はうちの若い者です。バルドさんは若い者を割り振った側です」


 ドレーゼ夫人は帳面を閉じられました。


「この帳面、写しを取っていいですよ」


「なぜ、わたくしに」


「わたくし、麻の商いを四十年やっております」


 ドレーゼ夫人は荷台に手を掛けられました。


「品物が悪いときは売り手を替えます。ただ、替える前に、なぜ悪いのかを聞きます。聞いて答えられる売り手は次に良くなります。答えられない売り手は次も同じです」


「はい」


「あなたはなぜ枯れるのかを言いました。うちの若い庭師は見た目が悪いと言いました」


 わたくしは写しを取りませんでした。取らなかったのは使い道を思いつかなかったからでございます。組合に持ち込めば、バルド様が困ります。困らせたところで、灰坂の依頼は戻りません。王都の家々に見せて回れば、それは商いの邪魔をすることになります。わたくしは庭師でございます。


 わたくしは鉢に水を打っておりました。九月の十六日でございます。依頼が一件参りました。ドレーゼ商会でございました。中庭の帯を作り直してほしいと。九月の十九日。宿屋から、二件目。九月の二十二日。乾物屋。それから、坂の下の鍛冶。九月の二十六日に、王都の東からでございました。


 名を伺うと、ドレーゼ夫人のお知り合いだと仰いました。十月の初めに、バルド様が灰坂へ上がってこられました。荷馬車ではなく、歩いてでございました。


「エルシャさん」


「バルド様」


「組合の返事、まだ聞いていない」


「十日を、だいぶ過ぎました」


「過ぎたな」


 バルド様は鉢の列を見られました。八十鉢のうち、いま咲いているのは四十三でございます。九月三日に寄せきれなかった株が順に開いております。


「ドレーゼの奥さんが、帳面を持って歩いてる」


「伺いました」


「あんたが言わせたのか」


「わたくしは、写しを取っておりません」


 バルド様は、鉢の一つに手を伸ばされました。枝ではなく、鉢の土でございました。指で押して、それから、鉢を持ち上げられました。重さを見ておられます。


「――軽いな」


「二日、打っておりません」


「それでいいのか」


「表が乾いてから、二日置きます」


 バルド様は、鉢を戻されました。


「うちの若いのは、毎日打つ」


「はい」


「毎日打てと、俺が教えた」


 バルド様は、そこで一度、言葉を切られました。


「二十二年、そう教えてきた」


 わたくしは、組合に入りませんでした。断ったのではございません。バルド様が、返事を求められなくなりました。


「エルシャさん」


「はい」


「あんた、灰坂の十四軒と、東の通りをやれ。うちは触らん」


「よろしいのですか」


「よくはない」


 バルド様は、坂を下りかけて、止まられました。


「ドレーゼの中庭、下に何があった」


「暗渠でございます。百年ものです」


「深さは」


「二尺で平石。中を水が流れております」


 バルド様は、うなずかれました。それから、こう仰いました。


「鉄棒は、何寸のを使う」

【今日の花暦】


鉢の水は、持ち上げて重さで見ます。表を触るより確かです。乾いた鉢は、湿った鉢より三割ほど軽くなります。指で覚えるより、腕で覚えるほうが早いのです。


 バルドさんは二十二年、毎日水を打てと教えてきました。それで四十一軒のうち十軒が駄目になりました。悪意ではなく、一つ間違ったことを二十二年繰り返しただけです。最後に鉄棒の寸を聞いたので、この人はまだ庭師です。


 次回、王城から呼び出しが来ます。ただ、その前に、うちの弟子が勝手なことをいたします。


 ブックマークと評価は、苗の土代に充てさせていただきます。

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