第18話:帳面は、枯らした庭を数えていました
ドレーゼ夫人が灰坂へいらしたのは九月の十日でございました。馬車ではなく、荷馬車でお見えになりました。麻の荷を積んだままです。
「エルシャさん。中庭のこと、断ってしまってごめんなさいね」
「お気になさらず」
「気にします」
ドレーゼ夫人は荷台から帳面を二冊、出されました。
「あなたが置いていった鉢、七つ。うちの若い庭師が引き継いで、三つ枯らしました」
「三つでございますか」
「帯の外に動かしたんですよ。あなたが砂を敷いた帯を、見た目が悪いと言って崩して、芝を戻して」
わたくしは、少し目を閉じました。水路の上でございます。
「それで、思ったんです」
ドレーゼ夫人は帳面を叩かれました。
「うちには三代ぶんの名簿があります。誰が何を頼んだか。あれをね、逆から読んでみたんですよ」
「逆から」
「頼んだ家ではなく、受けた庭師の側から」
名簿は麻の商いのものでございます。王都の家々がいつ、誰に、何を頼んだか。麻布の納めの記録の余白に、三代の当主が書き足してこられたものだそうです。ドレーゼ夫人がそれを庭師の名で並べ直されました。
「バルド・クレンツ。二十二年で、四十一軒」
「多うございますね」
「多いんです。ただね」
ドレーゼ夫人は指で行をたどられました。
「四十一軒のうち、十四軒が三年以内に別の庭師に替わっています」
「十四」
「そのうち十軒が替わった理由に『庭が駄目になった』と書いてあります」
わたくしは、その行を見ました。名前と、年と、短い書き込みだけの帳面でございます。
「三分の一でございますね」
「そうです。それで、わたくし、ほかの組合員も並べてみたんですよ」
ドレーゼ夫人は二冊目を開かれました。
「三十八人のうち、十軒以上を任された者は九人。そのうち八人は駄目にした家が二軒か三軒です」
「バルド様は」
「十軒です」
わたくしは、その数を長く見ておりました。
「ドレーゼ様」
「はい」
「バルド様は腕がございます」
「そうでしょうね」
「堆肥に手を入れて、生か使えるかを、指で潰して当てられました。あれができる庭師は三十八人のうち何人もおりません」
「ではなぜ十軒枯らしたの」
わたくしは、少し考えました。
「掘っておられないのだと思います」
「掘る」
「地上の見立ては確かでございます。土を触って、枝を見て、肥料の過不足を当てられます。ただ、地面の下を掘っておられません」
わたくしはドレーゼ商会の中庭のことを申し上げました。十年、四人の庭師が通いました。誰も鉄棒を刺しませんでした。刺せば一尺で止まったのです。
「四人目がバルド様でしたか」
「四人目はうちの若い者です。バルドさんは若い者を割り振った側です」
ドレーゼ夫人は帳面を閉じられました。
「この帳面、写しを取っていいですよ」
「なぜ、わたくしに」
「わたくし、麻の商いを四十年やっております」
ドレーゼ夫人は荷台に手を掛けられました。
「品物が悪いときは売り手を替えます。ただ、替える前に、なぜ悪いのかを聞きます。聞いて答えられる売り手は次に良くなります。答えられない売り手は次も同じです」
「はい」
「あなたはなぜ枯れるのかを言いました。うちの若い庭師は見た目が悪いと言いました」
わたくしは写しを取りませんでした。取らなかったのは使い道を思いつかなかったからでございます。組合に持ち込めば、バルド様が困ります。困らせたところで、灰坂の依頼は戻りません。王都の家々に見せて回れば、それは商いの邪魔をすることになります。わたくしは庭師でございます。
わたくしは鉢に水を打っておりました。九月の十六日でございます。依頼が一件参りました。ドレーゼ商会でございました。中庭の帯を作り直してほしいと。九月の十九日。宿屋から、二件目。九月の二十二日。乾物屋。それから、坂の下の鍛冶。九月の二十六日に、王都の東からでございました。
名を伺うと、ドレーゼ夫人のお知り合いだと仰いました。十月の初めに、バルド様が灰坂へ上がってこられました。荷馬車ではなく、歩いてでございました。
「エルシャさん」
「バルド様」
「組合の返事、まだ聞いていない」
「十日を、だいぶ過ぎました」
「過ぎたな」
バルド様は鉢の列を見られました。八十鉢のうち、いま咲いているのは四十三でございます。九月三日に寄せきれなかった株が順に開いております。
「ドレーゼの奥さんが、帳面を持って歩いてる」
「伺いました」
「あんたが言わせたのか」
「わたくしは、写しを取っておりません」
バルド様は、鉢の一つに手を伸ばされました。枝ではなく、鉢の土でございました。指で押して、それから、鉢を持ち上げられました。重さを見ておられます。
「――軽いな」
「二日、打っておりません」
「それでいいのか」
「表が乾いてから、二日置きます」
バルド様は、鉢を戻されました。
「うちの若いのは、毎日打つ」
「はい」
「毎日打てと、俺が教えた」
バルド様は、そこで一度、言葉を切られました。
「二十二年、そう教えてきた」
わたくしは、組合に入りませんでした。断ったのではございません。バルド様が、返事を求められなくなりました。
「エルシャさん」
「はい」
「あんた、灰坂の十四軒と、東の通りをやれ。うちは触らん」
「よろしいのですか」
「よくはない」
バルド様は、坂を下りかけて、止まられました。
「ドレーゼの中庭、下に何があった」
「暗渠でございます。百年ものです」
「深さは」
「二尺で平石。中を水が流れております」
バルド様は、うなずかれました。それから、こう仰いました。
「鉄棒は、何寸のを使う」
【今日の花暦】
鉢の水は、持ち上げて重さで見ます。表を触るより確かです。乾いた鉢は、湿った鉢より三割ほど軽くなります。指で覚えるより、腕で覚えるほうが早いのです。
バルドさんは二十二年、毎日水を打てと教えてきました。それで四十一軒のうち十軒が駄目になりました。悪意ではなく、一つ間違ったことを二十二年繰り返しただけです。最後に鉄棒の寸を聞いたので、この人はまだ庭師です。
次回、王城から呼び出しが来ます。ただ、その前に、うちの弟子が勝手なことをいたします。
ブックマークと評価は、苗の土代に充てさせていただきます。




