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夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


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第14話:薔薇の育て方を、教えてくださらない

 リリベット様が灰坂へいらしたのは八月の十一日でございました。馬車は坂の下に置いて、歩いて上がってこられました。靴が白い土で汚れておりました。


「まあ」


 開口一番、そう仰いました。


「ここ、本当に何もないのね」


「はい」


「井戸は」


「掘りました」


「屋根は」


「半分ございます」


 リリベット様は日傘を畳まれました。


「わたくし、あなたに用があるの」


「はい」


「薔薇の育て方を、教えてくださらない?」


 理由は伺いませんでした。伺わなくてもわかります。切り花はひと月で三十リルでございます。三か月で九十リル。伯爵家の庭には萎れた株が二百二十ございます。


「かしこまりました」


 リリベット様が眉を上げられました。


「教えてくださるの」


「はい」


「……条件は」


「ございません」


「なぜ」


 わたくしは鋤の柄を持ち直しました。新しい柄でございます。荷馬車屋で一リル半で買ってまいりました。


「教えて減るものではございません」


 最初に教えたのは水の量でございます。仮伏せの列の端の株を一つ選んで、鉢に上げました。


「これに、明日から水を打ってください」


「どれくらい」


「土の表を触って、乾いていたら打ちます。乾いていなければ打ちません」


「毎日ではないの」


「毎日ではございません」


「じゃあ、どうやって覚えるの」


「覚えません。毎日触ります」


 リリベット様は土に指を当てられました。


「湿ってるわ」


「では今日は打ちません」


「それだけ?」


「それだけでございます」


 二日目に、剪定を教えました。その前に、鋏の研ぎ方から教えました。リリベット様がお持ちになった鋏は、刃の合わせが甘うございました。合わせが甘い鋏で切ると、枝が潰れます。潰れた切り口は乾かず、そこから病が入ります。


「これは、切れないわ」


「合わせを、直します」


 わたくしは、砥石で刃の内側を撫でました。


「鋏は、道具の話ではございません。切り口の話でございます」


「同じことじゃないの」


「切り口が良ければ、株は三日で乾きます。悪ければ、十日腐ります」


 鋏を持たせて、枝の切る場所を示しました。外向きの芽の五分上、斜めに。リリベット様は三本切って、四本目で手を止められました。


「これ、どっちが外なの」


「株の中心から見て、外でございます」


「中心って、どこ」


 わたくしは株の根元を指しました。


「ここでございます。ここから見て、外を向いている芽です」


「芽がどこにあるのかわからないわ」


「節の、この膨らみでございます」


「これ全部、膨らんでるように見えるけど」


 わたくしは鋏を受け取って、一本切りました。それから、返しました。リリベット様は四本目を切られました。内向きでございました。わたくしはそれを申し上げました。


「逆でございます」


「じゃあ、あなたが切ればいいじゃない」


「はい」


 わたくしは切りました。リリベット様は鋏を持ったまま立っておられました。三日目、リリベット様は来られませんでした。


 四日目も。五日目に、馬車が坂の下に止まりました。従僕が一人、上がってこられて、鉢を置いていかれました。貸した鉢でございます。株は、枯れておりました。根を見ました。腐っておりました。三日で三度、水を打たれたのでしょう。土の表を触っておられません。


「奥様」


 ノラが、鉢を覗かれました。


「これ、殺しましたね」


「はい」


「三日で」


「三日でございます」


 ノラは、鉢を持ち上げられました。


「あたし、ちょっと嬉しいです」


 わたくしは、それに答えませんでした。答えませんでしたが、否定もいたしませんでした。


 同じ日の夕方、マルタの手紙が届きました。


 ――奥様。三十七日目でございます。

 ――リリベット様が、旦那様と言い合いをなさいました。庭のことでございます。リリベット様は、薔薇は三日で死ぬものだから庭など無駄だと仰いました。旦那様は、庭は十九年、家の名だと仰いました。

 ――旦那様は、東の垣根の下の石を、抜かれました。


 わたくしは、手紙を膝に置きました。三本目の抜け道でございます。


 ――バルド様が、あの石は前の庭師の細工で、水が抜けすぎて根が乾く原因だと申されました。旦那様は、それを信じられました。

 ――昨日、雨が降りました。

 ――東側の三十株ほどが、根元まで水に浸かっております。


 わたくしは、花暦を開きました。挟んであった紙を出しました。ひと月前に書きかけて、出さなかった手紙でございます。


 ――旦那様。東の垣根の下の石は、水の抜け道でございます。抜かないでください。


 わたくしは、それを二度読みました。それから、火にくべました。


「奥様」


 ノラが、灰を見ておられました。


「出せばよかったんじゃないですか」


「一月前でしたら、届きました」


「今は」


「石は、もう抜かれております」


 わたくしは、灰を鋤で寄せました。


「戻せますか」


「戻せます」


「じゃあ、教えてあげたら」


「聞かれておりません」


 ノラは、しばらく黙っておられました。


「奥様。それ、意地悪じゃないですか」


 わたくしは、手を止めました。その言葉を、少し考えました。


「そうかもしれません」


「え」


「わたくしは、あの庭を十五年作りました。作った人間が抜けたあとに、抜け道の場所を書いて送るのは、たぶん親切ではございません」


「じゃあ何ですか」


「まだ、あの庭がわたくしのものだと思っている、ということでございます」


 わたくしは、桶を取りました。


「もう、わたくしの庭ではございません」

【今日の花暦】


水は「毎日いくら」では覚えられません。土の表を触って、乾いていたら打つ。それだけです。ただしこれは、毎日触るという意味です。覚えられない代わりに、毎日触るのです。


 三日で株を一つ殺した話です。教えても身につかないのは、リリベット様が愚かだからではありません。三日しかやらなかったからです。十五年のものは、三日では縮まりません。


 次回、王城から名簿の照会が来ます。建国祭は九月三日です。伯爵家の返事は、八月中に出さなければなりません。


 ブックマークと評価は、苗の土代に充てさせていただきます。

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