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夫が浮気しましたので、庭ごと出てまいります  作者: 桜井花恋


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13/25

第13話:壊された鋤

 ロンバル侯爵家の中庭には薔薇が十二株ございました。どれも立派な株です。五年から八年もの。剪定はきれいに入っております。組合の仕事でございます。腕は確かです。ただ、咲いておりませんでした。葉はございます。枝も伸びております。蕾だけがつかないのです。わたくしは枝の先を見ました。


 新しい枝がまっすぐ上に伸びております。太く、青々として、節の間が長うございます。これは肥料が多い枝でございます。


「侯爵様」


 ロンバル侯爵様は六十過ぎの方です。去年の園遊会で、白い薔薇の名をお尋ねになりました。あのとき夫は答えられませんでした。


「なんだ」


「肥料を、多く入れておられますか」


「庭師が入れている。よく育つようにと」


「窒素の多いものでございますね」


「わからん」


 わたくしは土を少し掘りました。黒く、湿っております。よい土でございます。よすぎる土でございます。


「薔薇は、少し困らせないと花をつけません」


「困らせる」


「肥料と水が足りていると、株は枝を伸ばします。伸ばせば来年もっと伸ばせますから、そちらを選びます。花は、株が『来年は難しいかもしれない』と思ったときにつきます」


 ロンバル侯爵様はしばらく黙っておられました。


「わしの庭は、幸せすぎるということか」


「そうなります」


 処方は、二つでございました。一つ、八月の残りは水を絞ります。土の表が乾いてから、二日置いて打ちます。二つ、枝の先を切ります。伸びている先を止めると、株は横の芽に力を回します。横の芽から出た短い枝に、蕾がつきます。


「今年、間に合うか」


「九月の末になります」


「建国祭には」


 わたくしは、手を止めました。


「建国祭でございますか」


「毎年、レーンフェルトが納めておった。今年はどうなるのか、誰も知らんのだ」


 ロンバル侯爵様は、枝を一本、指で弾かれました。


「王城から名簿の照会が来た。八月中に返事をせねばならん。うちの十二株が咲くなら、出そうと思っておった」


「九月三日には、間に合いません」


「そうか」


 ロンバル侯爵様は、うなずかれました。


「では、来年だな」


 三日、通いました。枝の先を切り、水を絞り、土の表を掻いて風を入れました。四日目の朝でございます。灰坂の納屋に着いたとき、鋤が三本、地面に置いてありました。柄が、折れておりました。三本とも、根元から。鋤の刃は、そのままです。柄だけが折られておりました。


 折り口が新しく、白うございます。鉄棒は、曲がっておりました。母の鋤でございました。四十年、母が使っていたものです。柄は三度替えております。刃は一度も替えておりません。わたくしは、しばらく立っておりました。


「奥様」


 ノラが、走ってこられました。


「奥様、これ」


「はい」


「これ、あいつらですよ」


「わかりません」


「わかりますよ!」


 ノラの声が、初めて大きくなりました。


「柄だけ折るなんて、刃を売る気もないってことです。嫌がらせです。組合ですよ」


 わたくしは、刃を一つ拾いました。土が乾いてついております。昨日の土です。


「ノラ」


「はい」


「柄は、荷馬車屋で買えます。三本で一リル半でございます」


「そういう話じゃないです」


「鉄棒は、鍛冶で伸ばせます」


「奥様!」


 ノラが、わたくしの前に回られました。


「なんで怒らないんですか」


 わたくしは、刃を布で拭きました。


「怒っております」


「そうは見えません」


「そうですね」


 その日の午後、ロンバル侯爵家へ参りました。門で、止められました。執事の方が出てこられて、頭を下げられました。


「申し訳ございません。中庭の件は、組合へお願いすることになりました」


「侯爵様は」


「侯爵様のご指示ではございません。ご家令の判断でございます」


「理由を、伺えますか」


 執事の方は、少し言いにくそうにされました。


「――組合を通さない庭師を入れると、今後うちの他所の庭が回らなくなると」


 わたくしは、頭を下げました。


「かしこまりました」


「あの、代金は」


「三日ぶんでございます。四リル半でございます」


 執事の方は、袋から硬貨を出されました。それから、こう仰いました。


「奥様。侯爵様は、去年の園遊会で白い薔薇の名を伺ったそうです」


「はい」


「あのときのご当主は、答えられなかったと」


「はい」


「今年、名を伺えますか」


 わたくしは、少し黙りました。


「アメリーでございます」


 執事の方は、それを紙に書き留められました。灰坂へ戻りました。柄は、まだ買っておりません。ノラは、納屋の前で膝を抱えて座っておられました。


「奥様」


「はい」


「あたし、あの人の顔、二度と思い出したくないんですけど」


「バルド様でしょうか」


「伯爵です」


 わたくしは、少し驚きました。


「奥様は、平気なんですか」


 わたくしは、折れた柄を拾いました。三本とも、同じ折り方でございます。膝で折ったのでしょう。丁寧な仕事ではございません。


「平気ではございません」


「じゃあ」


「ただ、今日、株には水を打たなければなりません」


 わたくしは、桶を取りました。二百十四株ございます。柄が折れていても、水は桶で運べます。


「ノラ」


「はい」


「今日は、二人で四百歩を、何度か往復いたします」

【今日の花暦】


薔薇が咲かない理由で一番多いのは、肥料と水が足りていることです。株は「来年もっと伸ばせる」と思っているうちは枝を選びます。花は、少し困ったときにつきます。


 今日は何も解決しませんでした。鋤が三本折れて、依頼が一件消えて、それだけです。こういう日は、水を打つしかありません。往復四百歩を、何度か。


 次回、灰坂の門を叩く方がいらっしゃいます。白い花束を三日ごとに買っておられた方です。

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