第56話 誓い
人々のさざめきを抜け、ルルーシャが連れて来られたのは、ホールから離れた小さな庭園だった。
周囲から世界を分けるように、咲き乱れる秋薔薇の垣根に囲まれたそこは、中心にある円形の噴水の水音と、優雅な祝宴の音楽が遠く微かに聞こえるだけ。
空には数多の星が瞬いて、上からは月明かりが差し、石畳は幾何学模様の一部に埋め込まれた大きな涙光石達が、柔らかく発光して点々と道を作っている。
噴水の底にも埋められたそれが、ゆらめく水面を幻想的に照らしていた。
「ごめん、ルルーシャ……驚かせて」
二人きりになり、そっと降ろしたルルーシャが目を丸くして辺りを見回す姿を見て、我に返ったフィオグラウスはしゅんと耳を垂れさせる。
向かい合ったルルーシャは両手を出し、彼を元気づけるように優しくそれぞれの手を繋ぐと、申し訳なさそうに揺れる紫の瞳を見つめ眉を下げた。
「フィオ、急にどうしたの? あの……もしかして、お兄様のせい? 無茶振りはいつものことだけど……やっぱり明日すぐ結婚だなんて、いやだった……? それなら、私お兄様に──」
「嫌なわけない!!」
空に響いた大声に、ルルーシャはパチパチと瞬きをし、ふるりと肩を震わせた。
「嫌なわけ、ない。むしろ、ずっと待ち望んでいたから……凄く……凄く嬉しい。夢みたいだ! でも……」
真剣な瞳で見つめ返し言い淀むフィオグラウスの顔は、月明かりの下でもはっきりとわかる程、赤い。
「でも、その前に……ルルーシャにどうしても、ちゃんと言いたくて……。私が機会を窺ってばかりいて遅くなったのが悪いんだけど……でもいざ言おうと思うと、もっと良い場所とか、もっと良い日があるんじゃと思って先送りにしてしまって……その……」
「……? フィオ……?」
普段と違い、フィオグラウスの物言いはもごもごと要領を得ない。
繋いだ彼の手は熱があるのかと思うくらいに熱く、微かに震えていた。
唇を引き結び一度だけ視線を彷徨わせた後、「はあ……」と大きく深呼吸をしたフィオグラウスが、ルルーシャをまっすぐに見据えた。
「神に誓う前に……ルルーシャ、私は君に誓いたい」
両手を離し、指輪の光る手をするりと取り直すと、フィオグラウスはその場に跪いた。
「ルルーシャ、私と結婚して下さい」
耳に飛び込んできたのは、はっきりとした、澄んだ声。
どっと心臓が跳ね、喉の奥がじんと痺れて顔が一気に熱くなる。
震えそうになる手を、フィオグラウスが包み込むように強く握った。
「これからは……ルルーシャを一人で泣かせたりなんてしない。ずっと傍にいて、君を笑顔にすると誓う。ルルーシャを幸せにすると、誓う。だから……私と、結婚して下さい。私を選んで、受け入れてくれるなら……どうか、私に触れて」
(あ──)
気付いたと同時に、視界が滲む。
(半年前と……同じだわ)
目の前で跪き待つ彼を見て、ルルーシャはわかった。
重なり蘇るのは、侯爵家で再会した日の記憶。
恐怖で怯えて失敗し、フィオグラウスだけができていなかった、触れ合いによって結ばれる──獣人の誓い。
それが彼にとって、どれだけ大切なことなのか。
どれだけ、心待ちにしていたのか。
今になってようやく気付き、胸が甘く締め付けられた。
(ずっと……私を待ってくれてたんだ)
ボロ、と涙が溢れた瞬間。
緊張と期待が混じる熱の籠もった美しい紫の瞳が、ふっと優しく細められた。
「ルルーシャ、大好き。どうか……私をなでて」
穏やかな声に吸い寄せられ伸ばしたルルーシャの手が、フィオグラウスの頭の上、彼の耳に触れた。
滑らかで。
温かくて。
手から伝う春の微睡みのような愛しさが、フィオグラウスの心そのものに思えた。
溢れる涙もそのままに、グシャリと無理やり笑ったルルーシャは、明るい声で言った。
「フィオ、大好き。待たせてごめんね。私も……あなたを幸せにしたい」
その途端、繋いでいた手が勢い良く引かれ、体が大きく前に傾く。
「──!」
小さく悲鳴を上げる間も無く、ルルーシャはフィオグラウスに掻き抱かれ、彼はそのまま柔らかく光る石畳を背に倒れ込んだ。
彼女の重さを受け止めきつく抱きしめる厚い胸が、大きく吐かれた息と共に深く沈む。
「はあ……こんな幸せなことってない」
絞り出された低い声は、喜びに震えていた。
「うん……私もそう思う」
仰向けになったフィオグラウスの上、ルルーシャは嗚咽まじりの笑みをこぼす。
頬を寄せた彼の胸の内からどくどくと脈打ち響く心音が、自分のそれと混ざり心地良い。
星空の下、抱き合う二人を包むように、優しい風がザアと吹いて、秋薔薇の垣根がさわと揺れた。
運ばれた香りは、目眩がする程に甘かった。




