第55話 魔王の悪だくみ
同盟成立という新たな風に、皆の心が明るく沸く王城。
正午の鐘が鳴ると同時に幕を開けた同盟を記念する祝賀会は、キフェール国王と、レオドニル国代表のレナートの挨拶から始まり、問題が起きることもなく粛々と、穏やかに進んでいった。
精緻な天井画が美しい大ホールは、いつの間にか夜を迎えたことに誰も気が付かない程シャンデリアの光が明るく反射し、正装を纏う貴族達の華やいだ会話がそこかしこから聞こえてくる。
各国の来賓達との歓談の合間。
ルルーシャとフィオグラウスの所へ抜け出てきたエドガーが、二人を見るなり笑いを噛み殺しながら声を掛けた。
「おい、フィオ。ちょっとは手加減してやってくれ。ルルーシャがそろそろ爆発しそうだぞ」
言われたフィオグラウスは、金ボタンと飾り刺繍が光る詰め襟の黒の典礼服に身を包み、斜めにかかる厚手の朱色のサッシュには、レオドニル国とキフェール国の両方で賜った数々の勲章が輝いている。
軽く流した真っ白な髪は艶やかで、ぴんと立つ狼の耳と、美しい毛並みの尻尾が服に映え目立つ。
隣に立つルルーシャは、緩やかに編んだサイドの髪を後ろで花のように丸くまとめたハーフアップで、肩に下ろしたふわふわの髪が可愛らしい。
纏っているのは、繊細な花模様を描く総レースの、濃い紫色のドレス。
すとんと上品に落ちるレースの裾は、動くたび微かに表面に光を透かし、ふんだんに糸に通された極小のガラスビーズとパールが、まるで夜空に星が瞬くように煌めいている。
そして指には、フィオグラウスに贈られた天蓋石の指輪が、幻想的に花を添えていた。
並ぶ二人は夜を司る妖精が舞い降りたかのような可憐さで、エドガーの目論み通りに貴族達の注目を浴び、周囲から好意的な視線を集めている。
いるの、だが。
「手加減と言われましても。最初に仲睦まじくしろと仰ったのは、エドガー様では?」
幸せそうな顔で反論したフィオグラウスは、エドガーに目もくれない。
その瞳は、宴が始まってからもうずっとルルーシャしか映しておらず、片手で腰を抱きぴたりと寄り添う彼は、エスコートというよりもほぼ抱きすくめる形で彼女を自分に向けていた。
「はあ……ルルーシャ、可愛い」
エドガーが次の言葉を口にするより先に、熱に浮かされたように呟くフィオグラウスが、抱き寄せるルルーシャの額に軽く口付けを贈る。
「フィ……フィオ……」
絞り出されたルルーシャの声は、羞恥心がありありと滲み狼狽えている。
普段よりもめかし込んだ美麗の騎士に、間近でうっとりと愛でられ続けること、数刻。
かわいそうなルルーシャは、茹でられたように肩まで赤くなり、彼の腕の中、公の場で浴びせられる熱烈な愛情表現に涙目で縮こまっていた。
一目見ただけで、妹の心臓が限界を迎えそうな状態にあることがわかり、エドガーは片手で口を押さえて吹き出した。
「ぶ、くく……言ったのは俺だが、まさかここまでになるとは思わないだろう」
半年前。
確かにエドガーは、婚約を結んだ妹と未来の義弟にこう言った。
──見ていて恥ずかしくなるほど仲睦まじく、熱烈に愛し合っている二人だということを、貴族どもに見せつけて貰わねばならん。
ルルーシャの恐怖心を克服させるための高い目標だったのだが、その言葉を完全に体現するが如く、フィオグラウスは長年閉じ込めていた想いが溢れるままに、ルルーシャを誰の目にもわかるよう独占していた。
「フィオ、ルルーシャがこのまま恥ずかし過ぎて泣いたら、化粧が崩れてクロエに怒られるぞ」
笑いながら「もう少し加減しろ」とエドガーに言われ、フィオグラウスはしゅんと耳を下げ回した腕はそのままに僅かに体を離すと、ルルーシャの顔を覗き込んだ。
「ルルーシャは……嫌? 私と離れたい?」
ルルーシャの記憶が戻り、想いが通じ合って以来タガが外れている彼は、意図的にあざとく首まで傾げ、悩まし気な瞳で縋るように尋ねた。
フィオグラウスは、自分の外見の利用価値をわかっている。
ただただ赤面し、はくはくと言葉に詰まるルルーシャが太刀打ちできるはずもない。
「ぁ……う……嫌じゃ、ないし……離れたい訳じゃない、け、ど」
「そうだよね。私も離れたくない」
満足そうにパッと笑んだフィオグラウスは、もう一度ルルーシャを抱き寄せ、すり、とつむじに頬を合わせに来る。
「お、お兄様」
「お前じゃ勝てん。俺から言ってもこうなら、もう今日は諦めろ」
ルルーシャの瞳は兄に助けを求めているが、機嫌よく揺れている尻尾を見て、エドガーは苦笑し肩をすくめた。
その様子を眺め、少し離れて何杯目かわからないグラスを空にしたユーリスが言う。
「まーまー、お嬢。激甘な二人のおかげで、面倒な輩のやる気も削がれていい感じじゃん」
「ええ。流石に反獣派の貴族も、この空気に近付いてわざわざ嫌味を吐く勇気はないでしょう」
きっちりと正装したメルトも隣で頷き、エドガーも続いた。
「そうだな。同盟は無事に成立したし、両国の関係が良好なことも、我が家がレナート殿下の後ろ盾になることも広く周知できた。反獣派もかなり大人しくなったし、不安要素もこの機会に一掃できたのは、二人のおかげだ。素晴らしい妹を持って……俺は本当に嬉しいよ」
そう言ってにっこりと美しく笑った兄に、フィオグラウスの愛を受けるだけで精一杯だったルルーシャは、急に嫌な予感に襲われた。
(あれ……? この笑顔……)
僅かに眉根を寄せてしまうのは、無理もない。
エドガーが見せるこの笑みは、彼が魔王の如くルルーシャに無茶振りをする時と決まっているからだ。
ルルーシャが警戒する子猫のように身構えたのを無視し、エドガーがわざとらしく言う。
「陛下も大変喜んでおられて……それでつい、話が弾んでな。今回、王家に返還された侯爵領をはじめ、関連で処罰された反獣派貴族の領地がいくつか出ただろう? あらかた整理は終わったんだが、どの家門に託すかまだ手付かずのところもあってな。それがなんと、ちょうど我が侯爵領の隣の領地らしいんだ」
隣の領地は、小さいが豊かに栄え、シャルトレ侯爵領の領民達が他領との交易で必ず通る場所だ。
これまでの無茶振りの中で兄の仕事を手伝ったことがあるルルーシャは、エドガーがそこを欲しがっていたことを知っている。
「ま、まあ。そうなんですか。陛下はどのようになさるか、気になりますね」
話の意図が見えず、ひとまず社交辞令的に言葉を返すと、エドガーの笑みが深まった。
「そうだろう? 領地の運営は、国に根付き、忠誠心厚く、繁栄させてくれる貴族が担うべき。──そうお考えの陛下は、誰に託されるか悩んでいらっしゃるんだ」
腕を組み、トントンと人差し指で自身のこめかみを叩きながら、含みのある表情でじっとルルーシャを見る。
「それはそうと……二人の結婚は、あと半年後という話だっただろう?」
「え? は……はい」
突然話の方向が変わり、声が強張ってしまう。
「俺はな、早めてもいいんじゃないか、と思っているんだ」
願ってもないその言葉に、フィオグラウスがすぐさま反応した。
「早める? いいのですか? どれくらい──」
「明日」
「「明日!?」」
目を見開きそっくり同じ顔で問い返して来た二人に、メルトが口端を上げ、ユーリスが吹き出し、エドガーは声をあげて笑った。
「ああ。『フィオグラウスが結婚し、正式にキフェール国民と縁付いたら、領地を与えられる』と、さっきやっと陛下から言質をとった。他の貴族に横槍を入れられる前に、俺が結婚祝いに領地をもぎ取ってきてやる。後日改めて盛大に祝ってやるから、とりあえず明日、神殿で誓って来い」
胸元から金の装飾が美しい紙を取り出し、フィオグラウスに手渡す。
「え」
「これは──」
二人して驚愕の表情で覗き込んだそれは、王都で一番歴史が古い大神殿の申し込み用紙。
確かに、そこには明日の午前とはっきり明記され、「さっき書いてもらった」とご丁寧に神殿長の立ち合い受諾のサインまで書かれている。
目の前で不敵に笑う魔王の無茶振りが、もはや決定事項であることを理解するが早いか、フィオグラウスがルルーシャの膝を掬い上げ、勢い良く抱きかかえた。
「──きゃぁ!」
急に視界が三角の耳よりも高くなり、驚くルルーシャが声を上げる。
安心させるように抱えたその背を撫でながら、焦った表情のフィオグラウスはエドガーに抗議した。
「絶対、前々から計画してた言い方じゃないですか!! 明日だなんて……どうしてもっと早く教えて下さらないのですか!!」
そう叫ぶや、楽しげに微笑むエドガーの言葉も待たず「失礼します」とだけ言うと、フィオグラウスはルルーシャを抱えたまま、だっとホールの外へ向かって駆け出した。
「え、ちょ、ちょっとフィオ!?」
何事かと目を丸くする貴族達の間を、フィオグラウスは物凄い速さですり抜けていく。
振り落とされないようにギュッと彼にしがみ付くルルーシャの視界の端に、遠のいて行くエドガー達が映った。
兄は笑っていて、メルトは上機嫌だし、姿が見えなくなるまでユーリスは笑顔で「若、がんばれー!」と手を振っている。
あまりにも速くぐんぐんと景色が流れ、ようやく立ち止まった彼にそっと下ろされたのは、秋薔薇が美しく咲き乱れる、王城の庭園だった。




