最終話 そして二人はいつまでも
キフェール国で最も古く、荘厳で美しい、白い石造りの大神殿。
ステンドグラスから差し込む朝日が、神殿の奥、数段上がった半円形の祭壇をキラキラと神秘的に照らしている。
街の人々に営みの始まりを告げる鐘がカランカランと鳴る中、朗らかに微笑む老齢の神殿長の声が高い天井に反響し、降ってくる言葉はまるで天からの祝福のようだった。
(本当に……結婚するんだ)
ドキドキと胸を高鳴らせ壇上に立つルルーシャは、神へ二人の結婚を報告する神殿長の背中を見守る途中、手を繋ぎ隣に立つフィオグラウスをチラと横目で盗み見た。
背筋を伸ばしまっすぐに前を向くフィオグラウスは、金糸で縁取られた白の騎士服を纏い、雪のような髪が光を弾いて、ピンと立つ三角の耳の輪郭が明るく輝いている。
真紅のマントが背を彩り、その腰に飾り布はもうない。
緊張しているのか尻尾は僅かにぶわと毛が広がり、まっすぐに垂れて静かだった。
(夢みたい)
凛とした麗しい横顔に見惚れ、そう心で呟いた瞬間、フィオグラウスがほんの少しルルーシャに顔を寄せ、幸せそうに囁いた。
「夢みたいだ」
驚いて顔を向けると、澄んだ紫の瞳に、頬を染めたルルーシャが映っている。
彼女が着ているのは、両親が結婚した時の母のドレスだ。
精緻な刺繍が施され、肌にぴたりと沿い手首まで伸びた袖は、小柄なルルーシャの可憐さを引き立たせ、チュール生地がふわりと重なる裾は軽やかで、まるで一輪の百合のようだった。
白い花を散りばめ編み込んだ髪はまとめて片側に下ろしているため、すっきりとしているフィオグラウスの方からは、照れたルルーシャの横顔も、彼の言葉で朱に色付いた首筋も、隠せず全てが見えている。
「ルルーシャ、可愛い」
満足そうにさらに追加で囁かれ、彼女の肌はさらに赤みを増し、じわりと目元が熱くなった。
静かに。
厳かに。
二人きりで誓う細やかな時間になる──と思っていたの、だが。
緊張と恥ずかしさでルルーシャが息を詰まらせた瞬間、二人の背後、入り口へ向かって整然と並ぶ礼拝用の長椅子の方から、ヒソヒソと音量を抑えた楽しげな声が聞こえてきた。
「え、若、今絶対お嬢に可愛いって言ったぞ」
「言いましたね。恐らくその前は夢みたいだって言いましたね」
「あー、お願いです、お嬢様がまんして! 最後まで泣かないで! お化粧が滲んじゃいます!」
ルルーシャの後ろで囁き合っているのは、席に座る見守り隊の三人だ。
だが、声はそれだけではなかった。
「ちょっと、あなた泣きすぎよ。ほら、私のハンカチと交換して」
「うう……ごめん、止まらなくて……」
見守り隊の少し前の席で、啜り泣く声を押し殺しているのはルルーシャの父と母だ。
それに続いて、フィオグラウスの後ろからもアメリア達の声がした。
「ねぇねぇ、レナートちゃま、ルルねえちゃまってこの後ちゅーするの?」
「するとも。夫婦になると誓うからな」
「レナート殿下、もう少し声落として下さい。フィオたん多分聞こえてますよ」
アメリアはレナートの膝に座っているらしい。
質問をすぐに肯定され「ひゃー」と可愛い興奮の声が響き、「アメリア、しー」というエドガーとイレーネの声が続く。
突然だったため二人きりだと思っていた誓いの時間は、朝になってみれば全員がいそいそと正装に着替えており、「え、来るの?」とルルーシャとフィオグラウスが問えば、皆が口を揃えてこう言った。
「「「「「もちろん、行きますけど?」」」」」
そうして今に至っているのだが、神殿の天井は円形になっており、小さな声も意外に反響して大きく響く。
身内しかいないとは言え想像していたよりも背後は賑やかで、注目されていることがはっきりとわかり、どうしても体が強張ってしまう。
(み……見られてる)
集まってくれたことは嬉しくもあるが、ルルーシャの緊張には大いに拍車が掛かった。
(集中……集中しなくちゃ)
儀式はその間も続き、震える声で神殿長の言葉を繰り返し、誓いの言葉をなんとか唱える。
(よかった。間違えずに言えたわ)
ほっとしたルルーシャがフィオグラウスに安堵の滲む視線を向けると、優しい笑みが返ってきて、胸があたたかくなった。
(あとは目を閉じて、フィオが口付けして、それで終わり。うん、大丈夫。私は目を閉じるだけ。目を閉じてれば終わる……!!)
唇を引き結んだルルーシャが、己を鼓舞しながらフィオグラウスと向かい合い、瞼を閉じようとした──その時。
祭壇の脇に移動した神殿長が、思わぬ言葉を口にした。
「それでは、ルルーシャ・シャルトレ様からフィオグラウス・ルノワ様へ、祝福の口付けを」
「──へ?」
全く理解が追いつかず、意識の外で、間の抜けた声が出た。
大きく目を見開いて固まるルルーシャを見て、神殿長が困ったように優しく笑った。
「ああ、そのお顔は……ご存知なかったようですね。キフェール国内の二人が婚姻する場合は男性から口付けを行いますが、出身国が違う場合は、キフェール国の大地の祝福を分けるため、この国で生まれた者から口付けをするんですよ。『説明しておく』とエドガー様が仰っていたんですけど……」
「な……!! え……!?」
耳を疑い狼狽えながらエドガーにサッと視線を向けると、片手で口を押さえ、笑いを噛み殺して肩を震わせている兄と目が合う。
どっと心臓が嫌な音を立て、縋るようにフィオグラウスを見ると、恐らく彼も今知ったのだろうことがありありと伝わる程、その瞳には緊張と動揺が浮かび、顔が赤くなっていた。
(ちょ……え、わ……ほんとに!?)
石のように固まっていると、期待で弾むアメリアの囁きが響いた。
「今から、ちゅー?」
瞬間、理解が追いついたルルーシャは、一気に顔に熱が集まり、ぼっと真っ赤になる。
瞳を揺らしながら席を見渡すと、アメリアの瞳はキラキラと輝いており、じっと集まる他の者達の視線も大差はない。
神聖な口付けを行うだけのはずが、一度流れを止めてしまったことで変な冷静さが生まれ、衆人環視のもと自分がとんでもなく恥ずかしいことをするような気がしてきた。
鼓動が速くなり、繋ぐ手にはじわりと汗が滲み始める。
(ちゅ……ちゅー? フィオに……私から!?)
ルルーシャはこれまで、自分からフィオグラウスにちゃんと口付けをしたことはない。
記憶を取り戻したあの夜にしたのは額へのそれで、しかも狼の姿だった。
人に戻って重ねた唇は彼からだったし、それ以降だっていつも彼からだ。
さらに今は皆の視線が集まっていて、ルルーシャの羞恥心は急激に限界を迎えようとしていた。
(どどどどうしよう……心臓が……心臓が爆発しそう)
震えて見つめ合ったまま動かないルルーシャに、見守り隊から小さな声援が飛んでくる。
「お嬢、がんばって!」
「一瞬ですから、深呼吸して」
「お嬢様、一歩近寄るだけ! 近づくだけですから!」
応援が余計に恥ずかしく、ルルーシャは「無理!!」と叫んで逃げ出したかった。
だが、目の前の大好きなフィオグラウスを、今こんな大事な場面で置いて行くわけにはいかない。
(や……やるしかない……!)
泣きそうなルルーシャが勇気を振り絞り、一歩前に出て口付けのため大きく背伸びをした。
その瞬間。
(──え?)
ギュッと目を瞑ったルルーシャの唇に、柔らかな熱が触れたのと同時、耳の横でバサリと大きな音がした。
顔が離れ、驚いたルルーシャが目を開けると、視界の端で周囲と隔てるように高く翻された赤いマントが、彼の背へ向かってひらりと落ちていく。
間近で顔を真っ赤にしたフィオグラウスが、ルルーシャにしか聞こえない声で言った。
「──私以外に、見せたくなくて」
「え──」
そのままフィオグラウスは耐えられないとばかりに彼女を抱きしめると、自身の背でルルーシャを隠し、今度は彼から、深く溶けるような口付けを贈った。
「大好き、ルルーシャ」
唇を離し、そう言って幸福そうに幼く笑った彼が、狼というよりも可愛らしい大きな犬にしか見えなくて。
「私も、大好き」
フィオグラウスの腕の中で、ルルーシャは涙を滲ませ破顔した。
ルルーシャ・シャルトレ改め、皆に祝われルルーシャ・ルノワになった彼女には、大好きなものが三つある。
一つは、互いの幸せを誓った夜の星空。
一つは、いつもルルーシャを振り回すが、優しく頼りになる兄。
そして最後の一つは──狼。
いつも「なでて」とねだってくる、優しい紫の瞳を持つ白い狼を、彼女は心から愛している。
『白狼の騎士は愛のためにしっぽを隠す』
───了───
最後までお読み頂き、ありがとうございました(*´꒳`*)
四苦八苦しながらなんとか最後まで辿りつくことができた今作、いかがでしたでしょうか?
よければポイント評価、ご感想などを頂けると大変嬉しいです。
よければまた、新たな物語でお会いしましょう。
お付き合い頂き、本当にありがとうございました!




