第52話 全ての悲しみの始まりは 2
グルベアの声は、静かだった。
ただ淡々と、事実だけを紡いでいった。
「連れて行かれた場所は、保護区でもなんでもない……実験場でした。行われていたのは、獣人の能力を飛躍的に上げるため、獣化した状態で意識を保つ方法を探すための実験でした。彼らはまるで捕まえた野ネズミでも扱うように……私の一族を実験台にした」
大戦中、参戦した多くの国では、勝利を得るために数えきれない程の非人道的な実験や研究が行われていた。
人間の国では捕えられた獣人が。
レオドニル国の中では、捕虜になった人間や、元々虐げられていた鳥人達が実験台にされていた。
そしてそれは、大戦が終わってしばらくするまで、誰の目にも明かされぬ闇だった。
「獣人達は、先祖返りである私に目をつけた。どれくらいの負荷に耐えられるか? 先祖返りの強い精神を他の獣人に移すにはどうすればいいか? そんなもののために、あらゆる拷問を受けた。翼は折られ……何度も焼かれて形を失った。私の目の前で……最悪の方法で……一族の仲間を一人ずつ殺された。友人も、家族も……恋人も。そうして三年が経った頃──実験そのものが……突然終わった」
痛みを隠すように、グルベアはゆっくりと瞬きをし、息を吐いた。
「戦争がね……終わったんですよ。結局何の成果もなく、ただ私を地獄に突き落とし、一族の命を散らしただけで……全てが……全てが無意味な三年でした」
終戦当時、レオドニル国には様々な国から技術者や有識者が集まり、戦後被害の調査や獣人支援を行なっていた。
グルベアがいた実験場にも調査の手が入り、そこに居合わせたのが、キフェール国からやって来ていた、後の彼の養父となる前侯爵だった。
「私は救い出され、人間としてキフェール国へ渡りました。当時の私は、翼は根本から切られ、背中には大きな火傷も負っていた。だから誰も……まさか私が鳥人だとは気付いてもいなかった。あの国を離れ、迫害から逃れるために……私は人化し続け、人間のふりをすることを選びました。もっとも……その数年後に再生した翼も、骨と皮を僅かに残すだけで、羽は一枚も元には戻りませんでしたが──まあ、それはもう妹君から聞いていますよね」
力なく微笑まれ、エドガーが僅かに眉間の皺を深くする。
昨夜、取り戻した記憶でグルベアが犯人だとエドガー達に証言したルルーシャは、幼い頃に見た彼の背中についても話していた。
大きな火傷の痕と、ボロボロの翼がある、と。
戦争も。
鳥人達の問題も。
誘拐事件のことも。
全て知識として理解はしているつもりだった。
だが結びついた真相は、単に悲惨という一言で断じるにはあまりに救いがなかった。
「世界はあの獣どもの所業を、なぜ忘れられる? 被害者面をするだけの愚かな獣どもを……なぜ許せる? 鳥人達は未だ差別や偏見の中暮らしているというのに、世界は獣人を手厚くもてなそうとしている。私は……私は愛する人の墓すら作れず、羽根を贈ることさえできないというのに……!!」
苦しみを深く理解できたユーリスが、俯き呻くように小さく息を吐いた。
押し殺してもなお力の籠るグルベアの声音には、燻り続けた怒りと、荒波のような悲しみが滲む。
鳥人として生まれただけで。
なぜ、こんなにも踏み躙られなければならないのか。
なぜ一人、苦しまなければならないのか。
細められた漆黒の瞳には、全てを燃やし尽くす炎が揺らめいていた。
「侯爵の養子になった後も、私は密かに己で実験を続けました。だって悔しいでしょう? そうしなければ、あの三年が……私の苦痛も、愛する者達の死も、全く価値のないものになってしまう。……そうして気の遠くなる時間をかけて、私はようやく見つけたんですよ。獣人の能力を上げる方法ではなく……獣人を強制的に獣化させる方法を」
グルベアはグシャリと顔を歪め、声を上げて嘲るように笑った。
「ふ……ふふ。獣化させるのはね、簡単なことだった。絶望を移すだけでよかったんです」
「絶望を……移す……?」
思わず問い返していたのは、フィオグラウスだ。
その手は目一杯に剣の柄を握りしめ、血の気が引いている。
尋ねられたグルベアは薄く笑みを浮かべたままだ。
「……キフェール国の成人祝いでは、成人を迎えた者に体温を……願いを移すように、触れ合いながら願掛けを行う。鳥人には愛する者に羽を贈る風習があり、獣人達は他者の幸福を願う時身に付けていたものを大切な人に渡し、精神の安定には触れ合いが重要。……どれも幸せを分かち合い、移す行動だ」
フィオグラウスをじっと見つめた漆黒の瞳は、目の前の彼を通り越し、遠いレオドニル国を見ている。
「私はね……それと同じように、この身に溜め込んだ全ての苦痛を、君達にも分けてあげようと思った。私の感じる不安も、孤独も、怒りも、悲しみも、屈辱も痛みも……全てを移して……そうして無理やり獣化させ身も心も獣に変えてあげて、互いに愛する者を傷つけ喰らい、殺して……殺し合わせて……全ての獣人を消してしまおうと決めた」
昨夜の惨劇を思い出し、紫の瞳に苦痛が浮かぶ。
レナートは結果的に元に戻ることができたが、少しでも何かがズレていれば、誰かの命を──最悪の場合、あの場にいた全員の命を心に反して奪うことになっていたはずだ。
そうなれば、王女が駆け付けたとしても、精神的な負荷の方が勝り、人の形を取り戻すのはもっと困難だっただろう。
グルベアは顔色の悪いフィオグラウスを無視して、同じ先祖返りである彼の反応を観察するように言った。
「獣化させる方法は、至極簡単なことだった。材料は、たった一つでよかった。極限までに精神に苦痛を与えた先祖返りの──私の血があればよかったんですよ」
「先祖返りの……血?」
目を見開き息を呑んだフィオグラウスに、グルベアは満足そうに口端を上げた。
「そうですよ。でも全員が同時に獣化しては、面白くないでしょう? だから、肉食の動物を祖に持つ獣人だけが獣化し、それ以外はただの餌として弱体化するよう調整して、薬にしました。鳥人に全く効果が出ないのは……材料が私だからでしょうね。効果が切れるか、愛する者と触れ合い心が通えば、獣化は解けますけど……それに気づく頃には、もう自分達の手で殺し合った後──獣のまま、のたれ死ぬだけだ」
己は直接手を下さずに、友と、家族と、愛する者と殺し合わせる。
それが、グルベアの望む獣人達の終焉だった。
「君や他の獣人達が死ななかったのは非常に残念ですが……もういいんです。あの鹿が私の背中に触れた時、時間切れだと直感した私は……早急に終わらせることにしたんです。それが……ああ、エドガー君。君とジャルジュ侯爵とで……ここで祝いの水の話をした、あの日ですよ」
この部屋で、三人でルルーシャの祝宴について話をしたのは、一週間前。
ジャルジュが祝いの水を贈ると言い出し、グルベアがそれを肯定した日。
そして、部屋を去るジャルジュに、彼は言った。
──各省から追加の支援物資がありますので、今回は私が最終の輸送手配を行います。
「レオドニル国に送った水や食料の全てに……薬を混ぜました。そろそろ、国民に行き渡り……私の絶望を分かち合っている頃でしょう」
そう言って、グルベアは穏やかに微笑んだ。




