第49話 晴れた視界
咆哮と共に焦点の合わない金眼を光らせ闇から飛び出してきた捕食者に、ダッと駆け出しルルーシャを飛び越え跳躍したフィオグラウスが全力で衝突し、猛襲の勢いを交差した宙で殺す。
ぶつかった衝撃がみしと骨を鳴らし、二頭が落ちた床はどしんと鈍く揺れ、弾かれたレナートが再び闇の中へ消える。
痛みを無視してすぐさま起き上がったフィオグラウスは、床にへたり込むルルーシャを守る様に、毛を逆立てたまま、低い唸り声だけが聞こえてくる廊下の奥をじっと見据えた。
(守らなければ)
床を掴む爪に、力が籠る。
(絶対に守る。ルルーシャ、君を──絶対に傷つけさせない)
迎え打つために姿勢を低くし構えた瞬間、挑むように滑り出てきたレナートの巨体が牙を剥いてフィオグラウスに迫ってきた。
互いの唸り声が混ざり、太い爪が、鋭い牙が食い込み白い毛が赤く染まる。
勢い良く己の肉を裂きながらレナートを振り払い、首に噛みつこうとすれば、それを身を翻して避けた虎の尾がしなりながらフィオグラウスの身を打ち、追加で前脚の重い打撃が振り下ろされた。
「──っ!!」
衝撃が身を貫き、情けない高い鳴き声と共に、牙の覗く裂けた口端から血が溢れる。
のし掛かられそうになり、すんでの所で逃れ体勢を整えたその瞬間、レナートが大きく跳躍し、フィオグラウスとルルーシャを軽々と飛び越え反対側へと回り込んだ。
(──ルルーシャ!! ルルーシャ逃げてくれ!!)
腹の底から喉が焼き切れるほど叫んだ言葉は、獣の荒い咆哮にしかならない。
「ひっ──」
フィオグラウスの大きな鳴き声でビクリと肩を揺らしハッとしたルルーシャは、虎と狼の間、恐怖に必死で抗い近くの部屋へ転がるように駆け込んだ。
追いかけるレナートとの間に身を滑らせたフィオグラウスは、どんと体当たりされ二頭で絡まりながら扉を破壊し部屋に雪崩れ込む。
自分たちに用意されたのと殆ど同じ来客用の広い部屋。
レナートともみくちゃになり攻防を続けるフィオグラウスは、その最中で、月明かりの下、壁の隅で自分達を見つめながら震えているルルーシャと──目が合った。
(ルルーシャ……泣かないで。怖がらせてごめん。苦しませて……本当にごめん。泣かないで。私が守るから……絶対に君を、守るから)
張り裂けそうな胸で祈るように語り掛けながら、フィオグラウスは牙を剥き唸るレナートに向かって勢い良く床を蹴った。
自分の見ている光景が、夢なのか現実なのかわからない。
鼓膜を破るように身体全体で激しく鳴る鼓動に貫かれながら、ルルーシャは目の前の光景をただただ見つめ続けていた。
壁にぴたりと背を付け、呼吸が上手くできていないのか、肺が苦しく肩は何度も浅く上下を繰り返す。
二頭の嵐のように激しい攻防から視線を逸らすことができないルルーシャは、恐怖で染まる中、突然驚きで息を呑んだ。
(──え?)
無我夢中で逃げていた時は、気付かなかった。
だが転がり込んだ部屋の中で、ルルーシャと目が合った美しい紫の瞳は、驚く程に優しかった。
(私……知ってる。あの瞳を……見たことがある)
恐ろしいだけだった光景に、なぜか心が千切れるような焦燥と、夢の中、闇に閉じ込められ見た景色が重なり、脳を揺さぶられたように視界が歪む。
──ルルーシャ。絶対……君を守るから。
頭の中で、見知らぬ少年の声がこだまする。
途端に、霧が晴れるような、世界が急に明るくなるような不思議な感覚が広がり、叫びたくなる懐かしさと共に涙が溢れ出た。
(どうして……こんなに苦しいの……? どうして涙が溢れてくるの? 怖いわけじゃない。この気持ちは……何?)
混じり合う猛獣の唸り声を遠くに感じながら、ギュッと胸の前で手を握り込む。
(私を……守ろうとしてくれているの?)
目の前の美しい白い獣は、その毛並みに血を滴らせ、何度虎からの攻撃を受けて傷を負っても、必ずルルーシャを背にして立ち上がっている。
(どうして……)
ふわりと解けた両手の隙間から、天蓋石から反射した小さな星空の淡い光が漏れ出て、ルルーシャの瞳を照らす。
──あなたのことが大好きです。……出会った時から、ずっと。
柔らかい光に溶けるように、優しいフィオグラウスの声が浮かぶと同時、彼女の心には、いつかのエドガーの言葉が蘇った。
──ちゃんと見ろ。
(私、見たことがある。この背中を……見たことがあるわ)
大きな背と揺れる真っ白な尾をじっと見つめていたルルーシャは、やがて息すら止め、ゆっくり目を見開き呟いていた。
「……フィオ……?」
ぼろ、と大粒の涙がこぼれ、目を離したくないのに、視界が滲む。
(わかった)
カッと全身の血が沸騰し、焼けそうに痛み出した喉の奥に、必死に嗚咽を飲み込んだ。
(わかった……ちゃんと見えた。ちゃんと……全部思い出した!!)
ルルーシャは思うより先に勢いよく立ち上がると、なおも彼女を背に守り続け、血を流し今にも崩れ落ちそうな愛しい人に向かって駆け出していた。




