第47話 目隠し鬼 1
(駄目だ……匂いが追えない)
部屋を出た瞬間、フィオグラウスの脚は急激に速度を落とした。
自我を失う可能性と表裏一体ではあるが、本来であれば、自らの意思で獣化する場合、獣が持つ本来のそれのように身体能力は劇的に上がり、感覚が研ぎ澄まされる。
そのため、嗅覚を頼りにレナートの足跡がすぐにわかるはずだった。
だが己の思いに関係なく無理やり獣化している副作用なのか、鼻も耳も半獣化の時とさほど変わりはなく、薄暗い廊下の先、レナートが先へ行ったのか下へ行ったのか、扉のどれかに入ったのかすらわからない。
ざっと視界に映る範囲ですら、奥へ向かってずらりと部屋が並び、その間には階下と繋がる階段がいくつか見えている。
どの道へ行くかによっては、追うはずのレナートから遠く離れ、最悪の結果になりかねない。
(獣化に呑まれたレナート様は、一番弱い者を獲物として排除しようとしている。さっきの声を……アメリアを探さなければ……!!)
焦りを抱えるフィオグラウスは、泣いているだろうアメリアを探しながら、暗い廊下をできるだけ早く、それでいて慎重に進むしかなかった。
時は僅かに遡り、フィオグラウスが自室で異変を感じレナートの部屋へ向かった少し後。
彼の訪れを待っていたルルーシャは、ふわふわとした心地のまま、意味もなく部屋の中をうろうろと歩き回っていた。
(フィオグラウス様、まだかしら)
パーティーの余韻から冷めぬ彼女の意識はどうしても扉の方へ向かってしまい、そこから現れるフィオグラウスの姿を想像するだけで頬がゆるむ。
今か今かと心待ちにしていると、扉を叩く音がした。
(あら?)
その音は想像していたよりも小さく、さらに低い位置を叩いているように聞こえ、ルルーシャは思わず首を傾る。
「──はい」
訝しみながら返事をしてゆっくり扉を開けると、ルルーシャのために灯りが灯されたままの廊下に立っていたのは、アメリアだった。
「ルルねえちゃま……」
強張った顔で見上げてきた彼女はふりふりのネグリジェ姿で、大きな虎のぬいぐるみを縋るようにぎゅっと抱き抱えている。
ルルーシャの顔を見るなり安心したのか、アメリアの垂れた大きな瞳にはみるみるうちに涙がたまり、べしょべしょと泣き始めてしまった。
「あらあら、どうしたの。もしかして一人でここまで来たの?」
ぬいぐるみごとアメリアを抱き上げ、部屋の中に入れてやる。
抱きしめたまま寝台に腰掛け膝に座らせると、嗚咽を堪えながら事情を説明してくれた。
「ア、アメリア……レナートちゃまと一緒に寝たくて……だっておうちにいるの、はじめてだし……でも廊下が暗くて……それで……」
辿々しい内容を繋ぎ合わせると、どうしてもレナートと一緒に眠りたくなったアメリアは、こっそり部屋を抜け出し一人でここまでやって来たと言う。
だが皆が寝静まる時間、どの廊下も灯りが落とされており、暗闇が怖くなりとうとう進めなくなった彼女は、ルルーシャのために明るいままだった廊下に吸い寄せられ、何とか助けを求めるに至ったらしかった。
「そうだったの。どうしましょう……そうね、レナート様も、もう眠っているんじゃないかしら。今日は残念だけれど、お部屋に一緒に戻りましょうか?」
諭すように促すが、そもそもが眠いアメリアは普段の聞き分けの良さも薄れ、泣きながら首を横に振り駄々をこねた。
「やだ! この前お城で、虎ちゃんと寝てるって話したら、レナートちゃまがいつか一緒に寝てくれるって約束したもん……夜はおそくまで起きてるって言ってたもん」
「でも、私が殿下のお部屋に行くわけにもいかないわ。それじゃあ……ここで狼さんと一緒に寝るのはどう?」
「おおかみちゃんじゃダメなの……レナートちゃまがいいの」
ぐずるアメリアの涙を拭いてやりながら、ルルーシャは悩んだ。
(どうしましょう……まだ小さいから、アメリアは早く眠らせてあげたいし、かと言って殿下を煩わせてしまうのも……。ここで待っていてと言われたけれど、今からお部屋を訪ねてフィオグラウス様に相談しようかしら。アメリアを部屋に送るにしても、東側までは暗いから、着いてきて頂かないと私も怖くて不安だわ)
きっとフィオグラウスは、事情を察してやんわり王子への訪問を断ってくれるだろう。
そう結論付け、眉を下げたルルーシャはアメリアの頭を撫でた。
「アメリア、レナート様の所へ行く前に、どうしたらいいかフィオグラウス様に相談してみましょう? レナート様のお部屋に行けるか聞いてみるの。でもフィオグラウス様はレナート様を守る騎士様だから、彼がダメだと言ったら、今日は我慢して自分のお部屋で眠りましょう? 立派な淑女なら、お約束できるわね?」
優しく語りかけると、虎のぬいぐるみを抱きしめ小さく頷く。
一緒に隣の部屋へ行こうとしたが、アメリアはそれを拒否した。
「お、おねがい……ルルねえちゃま行ってきて。アメリア怖くて……もう廊下に出られない。レナートちゃまがお迎えにきてくれるまでここにいる。待ってる」
泣きながらお願いされ、ルルーシャは仕方なく了承した。
寝台に寝かせて布団でくるんでやり、ガラス容器に入った涙光石を半分、アメリアのため枕元に広げたハンカチの上に置く。
「それじゃあ、隣のフィオグラウス様のお部屋に行ってくるから、ここでいい子で待っているのよ? 一人で廊下に出ないこと。わかった?」
「うん……わかった。ありがとう、ルルねえちゃま。待ってる……」
グスグスと鼻を鳴らしているアメリアの額にキスをして、ランタンのような涙光石の入った容器を手に、ルルーシャは「すぐ戻るわね」と微笑んで部屋を出た。




