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第45話 手遅れ

「エド、また眉間に皺がよってるわよ?」


 侯爵邸の東側。

 エドガーの執務室を訪れたイレーネが、部屋に入るなり、机に頬杖をついて難しい顔をしている夫に向かって眉を下げた。


「はあ……心配事が多くてな。──アメリアは?」


 椅子の背にもたれため息を吐くと、背後に寄ったイレーネが労う様にその肩をゆっくりとさすり、見上げてくる額を撫でた。


「ぐっすり眠っていたわ。すごく疲れたみたい」


「そうか。今日も()()ぬいぐるみを?」


 額に触れた妻の手に委ねるように目を閉じながら、薄く笑む。


 エドガーが言うぬいぐるみとは、レナートの毛色にそっくりな虎のぬいぐるみのことだ。

 王子に出会ったのちアメリアにせがまれ購入したそれは、彼女の大のお気に入りだった。


「ええ、抱きしめて眠っていたわ。寝る直前まで、ルルーシャとレナート殿下のことばかり話していたみたい。大興奮だったらしくて、寝かしつけてくれた侍女が笑っていたわ」


 うとうとしながらも喋り続ける愛娘の様子が目に浮かび、夫婦で微笑みを交わしていると、扉を小さく叩く音がした。


「入れ」


 短く入室を促すと、執事長と料理長が入って来た。

 壮年の彼らは父の代から侯爵家に仕えており、エドガーも信頼を寄せている。

 

 だが扉の前に立つ彼らの表情はやや曇っており、夫婦は訝しげに眉を顰めた。


「どうした? 何かあったか?」


 尋ねられ、執事長が固い声ですぐに返事をした。


「いえ、特に何かあったという訳ではないのです。ただ、念のためご報告をした方が良いと判断致しまして──」


 ちらと視線を向けられ、料理長が口を開いた。


「それが……私共で用意しておりました、本日のルルーシャお嬢様の()()()()()なのですが、手配の段階で問題が起こっていたようなんです」


「問題?」


 エドガーの視線が瞬時に鋭くなる。


「は、はい。直接的なものではないのですが、依頼していた商会が商品の輸送中に事故に遭い、荷物の殆どを破損したそうなんです。その中に我々が依頼していた酒類もあったらしいと言うのを、商品の受け取りを担当している者が商会担当者との会話で今日知ったと、先程雑談の中でわかりまして」


「何だと? なら今日は提供した内容が予定と違ったのか? そんな報告はなかっただろう」


「それが、事故というのが馬車同士の衝突だったらしく、相手側が全て代金を弁償した上で、懇意にしている別の商会から、同じ商品をすぐに手配し直してくれたそうなんです。提供された商品に問題もなく、取引内容に損失が出なかったため、特に話題にも出さず商品を卸していたようで……」


 ピリとエドガーの纏う空気に緊張が走り、料理長の言葉を執事長が引き継いだ。


「仕入れ自体は一週間前には完了しておりました。検品も致しましたが、特に問題はなく、本日振る舞われた酒類を飲まれてご体調を崩された方も、今のところ出ておりません。件の受け取りを担当した者は別室に残し、商会担当者も念のため先程呼び出し待機中です。どうされますか? 本人達から、詳細をお伺いになられますか?」


 通常の取引であれば、急遽別から仕入れたものをそのまま卸すのは珍しくはあるが無くもない。

 だが今回はルルーシャと獣人が関わる宴のものであるため、些細なことでも確認が必要だろう。


 エドガーは深くため息を吐き、立ち上がった。


「そうだな、一応俺からも話を聞こう。それで、事故の相手側は?」


「それが……乗っていた者はガルロ伯爵家の者だと名乗ったそうなんです」


「何?」


 言われた名前に、ざわりと嫌な予感が内に広がる。

 

 ガルロ伯爵家は反獣派の家門であり、さらに知る者は少ないが血筋を辿ればジャルジュ侯爵の遠縁にあたる家だ。


(振る舞われた酒に、()()()()()()()の名が絡んでくるだと? これは──)


 エドガーが急いで質疑に向かおうとした──その時。

 バルコニーへ繋がる大きなガラス扉を割る程の勢いで、闇夜から執務室に向かってユーリスが飛び込んできた。


「エドガー様!! すぐに若達の所へ行って下さい!!」


 叫びながら滑り込むように転がり入ってきた彼の腕には、ぐったりとしたメルトが抱えられている。


 しかしその姿は普段の彼とは異なり瞳は虚ろで、首や手は赤茶色の毛に覆われ、獣化する一歩手前──不完全な状態で留まっていた。


「どうした、何があったんだ!?」


「俺にもわかんないんです! 庭で見つけた時には、すでにこの状態でした! 俺はレナート殿下の離宮に飛んで、レオドニル国の医者を連れて来ます! 若達のことお願いします!!」


 言うが早いか、応接用のソファにメルトを横たえ、翼を広げたユーリスは弾丸のような速さで再び空へ消えて行く。


 一瞬部屋に沈黙が流れ、血の気の引いたエドガーは、弾かれたようにイレーネに叫んだ。


「アメリアの所へ行ってくれ!! 絶対に扉を開けるな!!」


 壁に掛けられていた剣を掴み、普段にない様子で声を張り上げた夫を見て、彼が()()()()()()を一瞬で理解したイレーネは、息を呑みアメリアの部屋へ向かって物凄い勢いで駆けて行く。


「メルトはユーリスが帰るまでここに閉じ込めておけ!! お前達は全使用人に部屋から出るなと通達しろ!! 急げ!!」


 執事長と料理長に言い捨てたエドガーは、返事も聞かず、全速力で侯爵家の西の区画へ走り出した。




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