第42話 侵食
「ルルねえちゃま!!」
駆け寄ってくるアメリアを見とめ、招待客達と歓談にちょうど一区切りついていたルルーシャは、腰を屈めて飛び込んできた彼女を抱きしめた。
「アメリア! 私の挨拶とダンス、どうだった?」
「ちゃいこうだったわ!! アメリアもルルねえちゃまみたいに踊れるように、ダンスの練習いっぱいする!!」
興奮して話してはいるが、幼い彼女の目元は頑張って開けているのがわかるほど眠そうだ。
「アメリア、カンパイもしたの! 大きいグラスで、みんなと同じの飲んだの!」
「まあ!」
驚いて見せ、娘の後ろをついて来ていたイレーネに視線を向ければ、微笑みながら口の形だけで「ジュースよ」と伝えられる。
ルルーシャはくすくすと笑みを溢しながら、丸い頬を撫でた。
「一緒にお祝いしてくれてありがとう。アメリアがいてくれてとっても嬉しかったわ」
「アメリアも、パーティーうれしかった。でも……もうお部屋でねる時間なの」
目をこすりながら口を尖らせる彼女を、レナートがひょいと高く抱き上げた。
「名残惜しいが、パーティーの続きは十八歳になった時のお楽しみだ。おやすみ、アメリア」
優しく目を細めた彼の虎耳に、腕の中のアメリアが小さな手を伸ばした。
「おやすみなちゃい、レナートちゃま。また遊びに来てね」
ぬいぐるみを可愛がるように気軽に触れられても、王子の瞳は穏やかなままだ。
二人の仲の良さが伝わり、周囲の誰もが温かな視線でその光景を見守った。
「ああ、またな。アメリア」
イレーネに彼女を託し、互いに小さく手を振った。
小さな家族が退席してからも、祝宴は続いた。
歓談を楽しむ者もいれば、フロアの中央で演奏に合わせダンスを踊る者もいる。
「殿方には内緒のお話もありますから」と言って、ルルーシャの母と戻ってきたイレーネに婚約者を奪われたフィオグラウスは、女性陣の輪の中で楽しそうにしているルルーシャを遠くで眺めながら、静かにグラスを傾けた。
「シャルトレ嬢が離れた途端、ひどい顔だな」
壁際にいた彼のすぐ隣、とんと背を柱にもたれさせたレナートに言われ、フィオグラスは不機嫌な表情のまま、ちらと主人へ視線を向けた。
「レナート様も、顔色が良いとは言い難いですよ。飲み過ぎなのでは?」
そう言っている間にも、レナートは手にしていた空のグラスを近くの給仕の盆に乗った新しいものと入れ替えている。
彼がどれだけ酒を飲んでも酔う事がないのは、獣人なら誰もが知っている。
だがそれにしても、だ。
量を心配するような対象ではないが、一見すると普段通りの笑みを浮かべているレナートの瞳の奥は冷たく強張っており、単純に会を楽しんでいる状態ではないことが伺えた。
「……敵の手の内が読めないのが、不愉快でな」
腕組みをして低く落とされた呟きに、近くに控えているイアンとメルト、ユーリスも納得の視線を交わし合う。
レナートの手からグラスを徐に奪い取ったイアンが笑顔でそれを飲み干すと、ため息を吐いた。
「確かに……平穏で喜ばしい反面、ここまで何事もなさ過ぎて、かえって不気味ですね。ですが、やはり飲み過ぎです。侯爵家で発注している祝いの水も、この速度で飲まれては流石に足りなくなりますよ」
「はあ……わかったよ。だがそれはお前達も同じだろう」
呆れたような視線を向けられ、全員が気まずそうに顔を背ける。
特に、苦笑したユーリスは、実はレナートよりも酒を飲んでいた。
会場を眺めながら、不安げなイアンが言う。
「おかしいですね……私なら、十年前の証拠を握っているシャルトレ嬢を害するなら、絶対に今日を選びますけど。人に紛れて犯行も容易。獣人も集まっていて、同時に葬るには絶好の機会だ」
「そうですね。私もそう思います。ルルーシャお嬢様は、そもそも外出や屋敷外の人間と会う機会が珍しいですし……今日は親獣派ばかりが集まり、特に油断も生まれやすい。身内しかいないここで何か起これば、皆が疑心暗鬼になり、同盟前の強い牽制にもなる。勢いを削ぐのにも有効ですから」
普段穏やかなメルトの瞳にも、敵の意図が掴めない事への苛立ちが滲んでいる。
「何してくるかわかんないの、ほんと嫌だなー。そもそも黒幕本人が不在だし。案外、今日は何もないのかな」
ユーリスが言うと、ルルーシャをじっと見つめたままのフィオグラウスが、暗い声で口を開いた。
「私は……何も起こらないなら、それが一番良いです。ルルーシャの安全が最優先ですから。……レナート様、送られてきた酒は、本当に何ともなかったんですよね?」
「ああ、何ともないただの酒だった。……はあ、本当に嫌な気分だ」
平静な表情を取り繕ってはいるが、獣人達の胸には、犯人に対する得体の知れない不快感が渦巻いていた。
「もうすぐ、パーティーも終わりなんですけどねー」
ユーリスの言葉に、全員の表情が曇る。
成人を祝う宴は、夜中の十二時まで。
一般的な公式の夜会はさらに夜更けまで続くが、家門ごとのデビュタントであるこの会は、日付が変わると同時にお開きになるのが慣例だった。
──何も起こらないなら、それが一番良い。
フィオグラウスの言う通り、ただ平穏に過ぎる祝いの時間を喜べばいい。
それはわかってはいるが、妙な胸騒ぎが収まらず、獣人達は込み上げてくる身を腐らせるような不安感を、どうしても拭い去ることができなかった。
沈黙が流れる一同に向かって、歓談が終わったのだろうルルーシャが笑顔で近付いて来る。
「フィオグラウス様、お待たせ致しました。つい話が弾んでしまって──」
フィオグラウスはサッと不安を隠して目を細めると、両手を広げて愛しい人をその腕の中に抱きしめた。
「いえ、いいんです。何か飲みますか? それとも、もう一度踊りましょうか」
その場でくるりと彼女の腰を抱きながらダンスの一節のように回ってやると、ルルーシャが楽しそうに笑う。
そのまま幸せそうに寄り添ってフロアへ戻る二人を、レナート達は重い胸中を隠し、笑顔で静かに見送った。




