第40話 祝いの水
「想像以上だな」
正装に身を包んだレナートが、玄関ホールを一望できる二階の階段の手すりにもたれながら、隣に立つイアンに言った。
満足げな虎の王子が眺める先では、フィオグラウスとルルーシャが彼女の両親と共に並び、次々と訪れる招待客達を出迎えている。
イアンも同じように目を細め、その様子を見つめながら頷いた。
「ええ、本当に。思っていた以上に、初々しく可愛らしい恋人同士の雰囲気になっていますね」
二人は「早くから自分達がいると、注目され迷惑になるだろう」と、他とは来訪時間をずらし、目立たないよう上階からひっそりフィオグラウス達の様子を見守っていた。
メルト達からの報告では、ルルーシャとフィオグラウスの仲は急速に進展したと聞いており、仲睦まじい様子が伝えられてはいた。
だが文字で読むのと目視するのでは、やはり情報量が格段に違う。
階下のフィオグラウスは、恋人の腰に手を添えぴたりと寄り添い、背後では見ている限りずっと尻尾がふわふわと揺れている。
目尻から頬はほんのりと朱に染まり、来客と挨拶をしている時でさえ、ルルーシャが話し出せば途端に視線は甘やかになり、魔法に掛けられたかの如くうっとりと彼女を見つめるのだ。
──愛しくて愛しくて仕方がない。
言葉にしているわけではないが、誰がどう見ても麗しい獣人騎士の瞳はそうとしか言っておらず、気持ちが筒抜けになっている。
対してルルーシャはどうかと言えば、初めて主役として親世代の貴族と挨拶を交わす緊張はあれど、彼女もフィオグラウスと大差はない。
瑞々しい頬は薔薇色に染まり、体の重心は僅かに隣の婚約者へ預けられ信頼が伺える。
時折、話の途中でフィオグラウスへ向けられる視線には、照れだけでなく明らかな好意が滲んでおり、彼と目が合うだけで笑顔のまま顔を赤くする様子は、『恋する乙女』以外に形容する言葉がない。
縞模様の太い尾を揺らしながら、レナートは思わず口端を上げた。
「これは確かに、見ているこちらが恥ずかしくなるな。──見ろ。あの普段気難しいダンヴァス伯爵が、二人の空気にあてられて笑ってるぞ」
「その後ろのルクレント伯爵夫妻も、目尻が下がりっぱなしですね。まあ、主役二人があの可愛さなんです。無理もありません」
「もうあの二人が会議に出た方が、俺とエドガー殿が出るより支持が集まって効率的なんじゃないか?」
「殿下、エドガー様が妹君をあの魔窟へ送るのを良しとする訳ないじゃないですか。諦めて今後も地道に頑張りましょう」
レナートの半分本気の発言に、イアンは苦笑した。
「まあ……殿下のお気持ちもわかりますよ。面白いほどに皆、毒気を抜かれていますからね」
この日招待されているのは親獣派の貴族が大半ではあるが、それでもやはり、それぞれの人物にある程度の癖の強さや扱いの難しさはあるものだ。
しかし、階下では迎えられるどの貴族も、ルルーシャとフィオグラウスの仲睦まじさに、まるで娘や孫を見るかのように頬を緩めている。
可愛い幼馴染の幸せそうな顔を見ながら、レナートは笑みを浮かべた。
「……シャルトレ嬢には、感謝しかない」
「そうですね。フィオたん、本当に幸せそうですから」
二人は、十年前の事件の後、国の家族の元へ帰って来たフィオグラウスが、どれだけ彼女を求めていたかを知っている。
獣人は伴侶を決めると一生その相手と添い遂げる者が多いが、先祖返りは特にその傾向が強い。
心に決めた愛する人が側にいない苦痛は途方もなく、苦しみ続けるフィオグラウスを救うために、二人は閉じた国交の渦中でも何とか道を模索し続けていた。
二国間の問題のみならず、優秀なフィオグラウスの国内での立場や、彼を手放したくない家族との交渉など、超えなければならない障壁はいくつもあった。
十年も掛かってはしまったが、ようやく叶った再会に、レナートとイアンはキフェール国行きが決まった時、こっそり二人で祝杯を上げたほど、フィオグラウスの幸せを我が事のように喜んでいた。
「まさかフィオだけでなく、俺まで愛する人をこの国に見つけるとは思ってもいなかったが、そのおかげで運命が良い方向へ動いてくれた。あとは黒幕を──奴を捕まえるだけだ」
声を低くしたレナートの金の瞳の奥に、熱が灯る。
脳裏に浮かんだのは、事件に巻き込まれ瀕死の状態だった大切な幼馴染と、国に送り返された亡くなった同胞達の、最後の姿。
奥歯を噛み締め、階段にもたれさせていた手を思わず硬く握り込んでしまい、ギシ、と冷たい手すりが鈍く軋む音がした──その時。
「殿下、さすがに我が家を破壊されては困ります」
背後から苦笑まじりに声をかけたのは、エドガーだった。
「すまない、馬鹿力なもので加減が難しくてな。侯爵家当主が、挨拶には立たれなくて良いのか?」
「ええ。私は普段から会っている者ばかりですし、皆、久しぶりに父や母と話せた方が良いでしょう」
そう言った彼は、その手に金縁の真っ白なラベルが貼られた、一本の上等そうな酒の瓶を持っている。
「──それが例の?」
暗く瞳を光らせたレナートの言葉に、エドガーが頷いた。
「はい。三日前に届きました。祝いの水に、と。我が家の従僕が受け取ったのですが、贈り主は──ジャルジュ侯爵だったそうです」
「……ほう」
「それは……」
ぴくりと虎耳を動かした王子だけでなく、笑顔を消し去ったイアンも低く呟く。
掴んだ瓶をゆるく回し眺めながら、エドガーが言った。
「同時に届いた他の瓶を開けて調べましたが、ただの酒でした。体調にも全く問題はありません」
すると、静かに聞いていたレナートは、彼が言い終わるのと同時に酒瓶をするりと奪い取り、瞬時に出した鋭い獣の爪をコルクに立てて引き抜くと、そのままグラスにも移さず瓶の中身をあおってみせた。
「──殿下!」
「──レナート様!」
一拍遅れてエドガーとイアンが顔を青くして驚きの声を上げたが、一口飲んだ酒の瓶をエドガーに突き返す形で、レナートがそれを制止した。
「何を驚いているんだ。国防省副長官であり、侯爵であるエドガー殿が自身で直々に試しているんだ。俺だけが安全な場所で結果だけを聞くなんて、公平ではないだろう。それに十年前の事件性を考えるなら、獣人のみに効く毒の可能性も試さねばならないだろう。俺は王族だから幼少期より毒には慣れている。例え毒が入っていたとしても、今いる獣人達の中では、試すなら俺が一番生存率が高く、安全だ」
さらりと言い切り、若干残念そうにため息を吐いた。
「エドガー殿の言う通り、飲んだ印象はただの旨い酒だな。遅効性の毒でない限り、俺が害され証拠になることもできないか……。困ったな。罠がこれだけで終わりとは、到底思えないが……何が起こるのか検討もつかない」
「そうですね。私も現状お手上げです。これが一番、証拠になり得ると期待していましたから」
エドガーが、仄暗い瞳で受け取った瓶を見つめる。
イアンも二人と同じように肩を落とし、周囲に重い空気が満ちたが、同時にレナートの足元で明るい声がした。
「レナートちゃま!!」
三人がギョッとして声の方へ視線をやる。
そこにいたのは、レナートの尻尾にギュッと抱きつく、満面の笑顔のアメリアだった。
「……アメリア。今日も可愛らしいな」
肩から力を抜き、表情を和らげたレナートが、アメリアごと尻尾を持ち上げ、そのまま彼女をふわりと抱き上げた。
アメリアはエドガーに用事があったイレーネに付いて、何度か城でレナートと会った事がある。
彼は溌剌として愛嬌のあるアメリアを大層可愛がり、彼女も勇猛で精悍な虎の獣人が大のお気に入り──つまり、二人は仲良しだった。
レナートの腕の中で満足そうなアメリアを見て、エドガーが眉を下げ微笑む。
「アメリア、立派な淑女は、お客様に会ったらまずは挨拶をするんじゃなかったか?」
父の言葉ではっと目を丸くしたアメリアは、抱き上げられたまま申し訳なさそうにおずおずと言った。
「レナートちゃま、ようこそ。おこち下ちゃって、ありがとうございます」
まだ上手く発音できないなりに、頑張って覚えた言葉を懸命に言う姿に、レナートの笑みが深まる。
「こちらこそ、お会いできて光栄です、お嬢様」
大人に返すように言ってやれば、アメリアの顔がぱっと輝いた。
「じょうずに言えた!?」
「ああ、すごく立派だ」
微笑まれ、ニコニコと笑顔になった彼女は嬉しそうに言う。
「あのね、今日はね、ルルねえちゃまのとくべつな日だから、アメリアもカンパイまではいてもいいんだって!! アメリアも一緒にパーティーするの!!」
「それはよかったな。丁度エスコートさせて貰える女性がいなくて困っていたんだ。会場まで、一緒に行ってくれるか?」
「うん、いいよ!! お母ちゃまが、もうはじまるよって言ってたから、呼びに来たの!!」
言われて階下を見れば、確かに来客への挨拶もあと二、三組で終わろうとしている。
腕の中で「えらい?」と聞かれ、レナートは「えらいぞ」と褒めながら、先程までの緊迫した会話などなかったかのように、優雅に階段を降りて行った。
「はあ……まさか本当にご自身で試されるとは思いもしなかった。イアン、殿下の様子に変化がないか、くれぐれも注意して見ていてくれ」
「言われずとも」
固い表情で頷きあい、イアンもすぐにレナートの後を追う。
エドガーの手の中、残された酒が重く香った。




