第39話 成人祝い 2
「ルルーシャ」
潤む目元を拭って、母が目の前に立つ。
クロエから、縦に連なる小さな水晶とパールの粒で藤を模ったイヤリングを受け取り、それをルルーシャの耳に飾った。
一度顔をじっと見つめて目を細めると、再び愛娘である彼女を抱きしめる。
言葉と共に熱を分け与えるように、そのままゆっくりと願いを唱えた。
「大切な私の娘、ルルーシャ。これからもあなたが、健やかな人生を送れますように」
キフェール国の成人祝いでは、成人する者へ家族が幸せを祈って願掛けを行う。
手を繋いだり、抱擁をしながら言葉を口にすることで、体温が移るのと同じように、その願いが相手に移ると古くから信じられているためだ。
母が離れると、交代で父が彼女を優しく抱きしめる。
「最愛の娘、ルルーシャ。君がこれからも、穏やかな癒しに満ちた日々を送れますように」
最後に、エドガーがルルーシャの手を強く握って真っ直ぐに目を見た。
「可愛い俺の妹、ルルーシャ。お前がいつまでも……強い心を持つ人でありますように」
そのままグッと手を引き抱きしめられ、ルルーシャは照れくさそうに笑った。
「お父様、お母様……エドガーお兄様、ありがとう」
素直にそう言って目を細めていると、アメリアが大きな声を出した。
「アメリアも!! アメリアもするー!!」
モゾモゾと動いてイレーネの腕から逃れぴょんと床に降りると、目線を合わせしゃがんだルルーシャに駆け寄り、ぎゅうと抱きついた。
「大好きな大好きなルルねえちゃま、これからもずっとやちゃちくて、かわいくて、おひめちゃまで、一緒にあそんでくれて、おやつをもって来てくれて、絵本をよんでくれて、それでそれで──」
「アメリア、それじゃあアメリアのためのお願いになってるわよ?」
イレーネに笑いながら言われ、はっと目を丸くしたアメリアは誤魔化すように早口で言った。
「ずっとずっと、すてきなルルねえちゃまで、いられますように!」
「ふふ……ありがとう、アメリア」
抱きしめ返すと、「えへへ」と笑顔になる丸い頬が愛らしい。
立ち上がると、イレーネがふわりとルルーシャを抱きしめた。
「可愛い私の義妹、ルルーシャ。あなたがこれからも愛に満ちた人生を歩めますように」
穏やかに寿がれイレーネが離れると、父が言った。
「ルルーシャ、フィオグラウス君は先に来客用の玄関ホールで待っているよ。──行っておあげ」
「そうだな、早く行ってやった方がいい。だいぶ前から、お前のことを気にしてホールをぐるぐる歩き回っていたからな」
愉快そうに苦笑するエドガーにもそう言われ、微笑んで頷いた母とも視線を交わしたルルーシャは、ドキドキと高鳴る胸を抑え、彼の元へ向かった。
(フィオグラウス様……褒めて下さるかしら)
上階の廊下を進みながら、普段と違う自分を早く見せたくて、心がふわふわと落ち着かない。
ホールへ降りる階段に差し掛かり、煌びやかなシャンデリア越し、階下の壁際に正装できちっと立つメルトと、片方の肩を壁にもたれされ腕を組んで笑っているユーリスが見えた。
その近くを、エドガーが言っていた通り、緊張が滲む瞳のフィオグラウスが大きな円を描くようにそわそわと回遊している。
(あ……)
その姿を目にしたルルーシャは、階段に踏み出す前に、思わず足を止めた。
彼が着ているのは、ルルーシャと揃いになる白に近い淡い紫色の礼服で、レオドニル国特有の仕立てだ。
騎士服に似た高い詰襟の下には二列の金ボタンが縦に並び、肩から腰にかけては大きく斜めに豪奢な藤の花が施されている。
刺繍糸は、ルルーシャの髪と同じ濃い茶色。
彼の背後、腰から垂れた飾り布は普段よりも長く、歩き回る彼の尻尾の動きに合わせ、ふわと優美にはためいた。
いつもさらりと降りている前髪は、ざっくりと片側だけが後ろへ流され、麗しい面差しが普段よりも色香を増し、ルルーシャは顔を赤くして見惚れてしまっていた。
「か……かっこいい」
か細い囁きが自然とこぼれ、その瞬間、ピンと狼の耳を立てたフィオグラウスが足を止め、勢いよく彼女に視線を向けた。
「──っ」
紫の瞳が大きく見開かれ、彼が息を呑んだのがわかる。
「フィ……フィオグラウ──」
大きくどっと心臓が鳴り、一気に緊張が走ったルルーシャが名を呼び切るよりも先。
大きく数度床を蹴り、瞬きほどの速さで飛び込むように彼女の前まで駆け込んできたフィオグラウスが、勢いのままに彼女を縦抱きでふわりと高く抱え上げた。
「きゃぁ!!」
驚きで小さく悲鳴が漏れ、視線が一気に彼よりも高くなる。
支えを求めて両手を置いた眼下のフィオグラウスの肩越しに、美しい毛並みの尻尾が大きく揺れているのが見えた。
「ルルーシャ……ああ、ルルーシャ!!」
気持ちを持て余しているのか、うっとりと甘い瞳を細めているフィオグラウスは、ルルーシャを抱き上げたまま、その場でくるりと回り、吐息を漏らして彼女を見つめた。
「ルルーシャ、綺麗だ。本当に綺麗。一瞬、妖精が現れたのかと思った。どうしよう、可愛すぎる」
熱の籠った声で雨のように賛辞を浴びせられ、ルルーシャはすでに赤かった顔をさらにぼっと赤くする。
「フィ、フィオグラウス様、おろして下さい」
嬉しさと同じくらい恥ずかしさが込み上げ頼んだが、フィオグラウスはまたその場でゆっくり、くるりと回り珍しく駄々をこねた。
「嫌だ。このままがいい。こんなに可愛いルルーシャを離したくない」
浮かれた様子の彼は、気付いていないようだが口調も砕け、視線は一向に彼女から逸れない。
困り果てたルルーシャは、フィオグラウスを見下ろしながら、彼の耳をそっと撫でた。
「お願いします、フィオグラウス様……」
精一杯お願いしたつもりだったが逆効果だったらしく、悩ましげな息を吐き呻いた彼は、短く「無理」とだけ言うと、彼女を抱き抱えたまま階段を降りていく。
下まで降りると、一部始終を見ていたメルトが珍しく薄っすらと口角を上げ、ユーリスは笑いすぎたのか腹を抑えて蹲っていた。
「ぶ……くくく……お嬢、赤すぎ……!!」
「愛されていますね」
二人に生温かい目で見られているのが余計に恥ずかしく、ルルーシャは再度懇願した。
「フィオグラウス様……」
「嫌だ。はあ……困っている君も可愛すぎる。本当に可愛い。夢みたいだ」
上機嫌で愛をこぼし続け、暫く経っても彼女を離そうとしない主人と、いよいよ羞恥で涙目になってきたルルーシャを見比べ、メルトがようやく助け舟を出した。
「若様、そのままでは成人祝いをお渡しできないのでは?」
「成人祝い?」
気を逸らせそうでホッとしたルルーシャが尋ねれば、フィオグラウスは名残惜しそうに彼女をそっと下ろしてくれた。
彼は詰襟を留めていた金具だけを外し、首元から細い金の鎖を引き出す。
ネックレスのようになっていた鎖には、小さな指輪が通されていた。
フィオグラウスは鎖から指輪を外すと、ルルーシャの片手を取る。
「この国で成人を祝い家族が願掛けをするように、鳥人が愛する者に自身の羽根を渡すように……獣人の間では、相手の幸せを祈って身に付けていたものを大切な人に渡す風習があります。──ルルーシャ、あなたにこれを」
丁寧に指に嵌められたのは細い銀の指輪で、そこには小さな小さな黒い蓮──天蓋石が花束のように集まり、それぞれの中心には同じく小さな透き通る涙光石が施されている。
花弁にのる朝露のように煌めくそれが淡く光り、花の中心だけを青く染め、指の上だけに収まる細やかな星空を作っていた。
ルルーシャが目を丸くしてそれを見つめていると、フィオグラウスが微笑んだ。
「もしも突然、暗闇があなたを包んでも、私が駆けつけるまでの間、この指輪が私の代わりにあなたを照らしてくれます。ルルーシャ……いつもあなたの幸せを祈っています」
「フィオグラウス様……」
顔を上げて、二人の視線が絡み合う。
そのまま吸い寄せられるように、フィオグラウスがルルーシャを優しく抱きしめた。
「私の愛する人、ルルーシャ。いつまでも……いつまでもあなたが、笑顔でいられますように。そしてその隣に……ずっと一緒にいさせて下さい。悲しみには私が寄り添い、苦しみは私が盾になりあなたを守ります。ルルーシャが笑っていられるように、ずっと」
そっと身体を離し、甘く細められた美しい紫の瞳が彼女を映す。
「大好きです、ルルーシャ。──ご成人、おめでとうございます。あなたの婚約者になれて……私は幸せです」
言葉がじんわりと心に染み込み、あたたかい。
頬を染めたルルーシャは彼と同じように微笑み、目の前の広い胸に再び身を寄せた。
「素敵なお祝いをありがとうございます。私も……私も、とても幸せです」
包み込むように回されていたフィオグラウスの腕に、力が籠る。
喜びを噛み締めるようにじっとしている彼の背では終始、白い尻尾がパタパタと嬉しそうに揺れていた。




