第4話 友好を証明せよ
緊張の面持ちで豪華なソファに腰掛けたルルーシャは、ローテーブルを挟んだ向かい側、目の前に座るフィオグラウスをちらりと見て、再び視線を膝の上で握る自分の手に戻した。
(とても優しそうな……素敵な騎士様にしか見えない)
何度盗み見ても、正面に座るフィオグラウスは、端正な顔立ちをしたただの人間に見える。
獣の耳と尻尾を隠されると、先ほど彼が自ら「白狼の獣人です」と言ったことすら夢だったように思えてならない。
あれからフィオグラウスが説明してくれたが、獣人は『人化』『半獣化』『獣化』の姿をとることができるらしく、一般的に知られている獣人の姿は『半獣化』とのことだった。
「完全に耳も尻尾も隠した『人化』は、集中力が必要なんです。『獣化』は病気や急激な精神への負荷などで理性が失われた状態でしかなることはほぼないので、基本的には皆『半獣化』の姿で過ごしています」
そう言われ、彼の負担を心配したが、「大丈夫ですよ」と微笑むだけで、フィオグラウスは再び耳を出そうとはしなかった。
年齢はルルーシャの三つ上、今年で二十一歳。
物腰が柔らかいからか、品を感じる見た目のせいか、フィオグラウスは実年齢よりもさらに大人びて見えた。
(獣人……初めてお会いしたわ。まさか婚約者がレオドニル国の方だなんて、想像もしてなかった。だって、あの国は──)
ルルーシャの思考は、兄の声で遮られた。
「妹よ。実はここだけの話、我がキフェール国とレオドニル国の間で、同盟締結の話が内々に進んでいる」
カチコチに固くなり沈黙したままの二人を眺めながら、一人掛けのソファで優雅に紅茶を飲むエドガーが、徐にそう切り出した。
「同盟? 本当ですか!?」
兄から与えられた情報に、思わずルルーシャは声を弾ませた。
レオドニル国は、ルルーシャが暮らすキフェール国とは海を隔て隣同士にあたる獣人の国だ。
ライオンやウサギやネコなど、動物の特徴を持った人々が暮らしている。
レオドニル国以外で獣人を目にする機会は滅多になく、それはキフェール国内も例外ではない。
獣人達は古くより他国との交流に消極的で、鎖国的な気風だ。
それには理由があった。
「レオドニル国の歴史には、世界の戦争の歴史が詰まっている」
誰もが知るそんな有名な言葉があるほどに、獣人達は常に争いの渦中に立たされてきた過去がある。
身体能力が非常に高く、頑強。
恵まれた体躯と美しい容姿の者が非常に多い。
それが、獣人。
だが、個として桁外れな強さを誇る彼らは、人間よりも圧倒的に人口が少なかった。
そのため彼らは、戦闘で酷使するためであったり、希少性や美しさに価値を見出した者の観賞用といった目的で狙われ、しばしば人身売買や他国からの侵略の被害に遭ってきた。
ゆえに、獣人達は他国との交流を避けて国を出ることは少なく、彼らの文化や特性については未だ謎な部分が多かった。
そんな中、今から五十年前──レオドニル国を侵略しようと、隣接する数国が同盟を結び、かつてない凄惨な大戦が起きた。
人間にも獣人にも、多くの死傷者が出た。
大戦に参加する国はどんどんと増え、飛び火し燃え上がる戦火は、長い間消えなかった。
小さな暴動の制圧や、国同士の話し合いなども含めると、その大戦は十年も続き、今回ばかりは、レオドニル国だけでなく世界中が疲弊した。
そうしてようやく終戦を迎えたのが、今から約四十年前のこと。
「二度と同じ過ちを繰り返さないように」と、獣人の人権を見直す気風が世界中で高まった。
キフェール国は獣人に対し友好的な人間が多く、また最初に大戦を始めた国々を警戒したこともあり、すぐさまレオドニル国と同盟を結ぼうとする動きを見せた。
だがやはりどこにも反対派はいるもので、貴族達の間で意見が割れ、同盟を結ぶまでに至らず今日まで来てしまっていた。
そして──。
「レオドニル国との同盟は、お父様の夢でしたものね!」
ルルーシャは思わず兄の方へ前のめりに笑顔を向けた。
「そうだ。父が奔走し、俺が引き継いだ政策が、ようやく実を結ぼうとしている」
エドガーも、喜ぶルルーシャに向かって柔らかく口端を上げる。
二人の父である前シャルトレ侯爵は、同盟に前向きな親獣派の有力貴族で、長い間、獣人との友好を説いてきた人物だ。
エドガーはその意志を引き継ぎ、国防副長官として同盟締結へ向けて尽力していた。
「反対派はまだうるさいが、そうも言ってられない状況になったんだ」
「どういうことですか?」
ルルーシャが尋ねると、エドガーにチラと視線を投げられたフィオグラウスが、話を引き継いだ。
「騎士として私が仕えている御方──レオドニル国の第二王子であるレナート様が、キフェール国の第三王女殿下とのご婚姻を決められたのです」
「まあ!」
驚くルルーシャに、すかさず兄が補足する。
「互いに一目惚れだったらしい。第三王女殿下があちらの国を訪問したのは初めてでな。『両国の関係を深めるためにも良いだろう』と、すぐに陛下が承認なさったんだ」
レナート王子のことは、ルルーシャも知っている。
虎の獣人で、他国との社交を積極的に行う快活な人物だ。
柔らかな笑顔を絶やさない第三王女とは、確かにお似合いかもしれない。
「レナート様は、第三王女殿下のご負担を考え、ご自身がこちらへ婿入りされることを決められました。私はレナート様の近衛騎士隊の一員として、共に連れてきて頂けたのです」
「本来は婿入りするレナート殿下だけを入国させるものだが、同盟を強固にしたい陛下が『複数の獣人を受け入れたい』と仰って、我が国の技術者などと交換する形で、殿下の従者や騎士も共にこちらに移ることになった。──そこで、だ」
エドガーはニヤリと目を細め、組んでいた脚をゆったりと組み換えた。
「ルルーシャ、お前にはこのフィオグラウスと結婚してほしい」
話を聞きながら予想はしていたが、はっきりと言われ、ルルーシャの身に再び大きな緊張が走る。
「両国の友好の証として、結婚しろ」
「……王女殿下と第二王子殿下に、明確な親獣派の後ろ盾を作るということですね」
静かに言えば、エドガーは満足そうに目を細めた。
「そうだ。レナート殿下に国内貴族の後ろ盾がないのはもちろん、第三王女殿下と親交が深い派閥は少々力が弱い。親獣派がお二人の後ろ盾になることを世間にはっきりとわからせ、円滑に同盟締結を推し進めるには……派閥の有力貴族が同じように獣人と結婚し、二国の関係が良好だと示すのが手っ取り早い」
親獣派の貴族の中で、今最も世間が注目し活躍しているのがエドガーだ。
立場的にも年齢的にも、ルルーシャが一番適任なことは理解できた。
「フィオはルノワ侯爵家の次男で、近衛騎士として勲章も多く、個人で伯爵位を持っている。こちらの国でもすでに大型害獣の討伐に参加し、褒章として特例で子爵位を賜った。レナート殿下の騎士も継続する予定だし、これからさらに爵位も上がるだろう。お前の相手としては申し分ない」
「……事情はわかりました。ですが、ルノワ様は──」
──それでいいのですか。
そう尋ねようとしてフィオグラウスに視線を向ければ、紫の瞳に緊張が走り、膝の上で拳をきつく握った彼が焦りの滲む声で言った。
「……獣人との婚姻がご不安なことは重々承知しています。あなたが……犬に怯えていらっしゃることも。怖がらせてしまうこと……本当に申し訳なく思っています。ですが、どうか私との結婚を受け入れて頂けないでしょうか」
ルルーシャはフィオグラウスの気持ちを知りたくて口を開いたのだが、どうやら彼は、獣人であることを理由に断りの言葉を告げようとしたと勘違いしたらしい。
縋るような真剣な眼差しで請われ、ルルーシャは戸惑った。
「私が……犬が怖いことを、ご存知だったんですか」
「……はい」
「私から失礼な対応をされる可能性を……わかった上で、このお話をお受けになったのですか?」
「はい。そうです」
申し訳なさそうに肩を落としながらも、フィオグラウスは熱の籠った視線を逸らそうとしない。
(ああ……そうか。忠誠を誓う騎士として、レナート殿下をこの国でも変わらずお支えしようと……ルノワ様は決めてらっしゃるんだわ。そんな彼のお心構えを『それでいいのか』なんて、私が問うべきではない)
向かい合う美貌の騎士は、その魂までも崇高で美しいのだろうか。
だがルルーシャにだって、侯爵家の娘として、両国の架け橋になるという大役を果たさねばという気概はある。
「お兄様。このお話、お受けいたします。両国のため──ルノワ様と結婚致します」
大きく息を吸って背筋を伸ばし、エドガーに向かって宣言した。
(正直、すごく不安だわ。犬は怖いままだし、耳や尻尾が見えていた時は、震えてしまったもの。でも──)
「ルノワ様が人化して下さっていれば、怖くありません。いつになるかわかりませんが……半獣化されたお姿にもきっと慣れてみせます。なので──」
──ゆっくり、夫婦になっていきたいです。
そう言おうとしたルルーシャの言葉を、エドガーがバッサリ切った。
「いや、それは駄目だぞ」
「え?」
「言っただろう? 友好を示すための結婚なんだ。耳や尻尾を隠したままでいいわけないだろう」
兄はにっこりと口角を上げ、それはもう美しい笑みを浮かべている。
「お前達にはすぐにでも、フィオの耳と尻尾がある状態で、誰もが見ていて恥ずかしくなるほど仲睦まじく、熱烈に愛し合っている二人だということを、貴族どもに見せつけて貰わねばならん」
「な……仲睦まじく……熱烈……!?」
ルルーシャは絶句した。
白い犬が心底怖いのに、すぐにそんな仲になれるわけがない。
「結婚は一年後。とりあえず、半年後の同盟を記念した祝賀会までに、婚約者らしい距離感になってもらう。それまでは、仲良くなれるように王都の別邸で一緒に暮らせ。存分にいちゃついてくれて構わないぞ」
兄の無茶振りに呆然としているルルーシャは、気付いていなかった。
真面目な表情で静かに話を聞くフィオグラウスの顔は真っ赤になっており、さらに彼の後ろでは、真っ白な狼の尻尾が、喜びと期待にパタパタと揺れていた。




