第3話 困惑の初めまして
「お……お前……!! ふ、ふふ……驚いたからって、閉めるやつがあるか」
片手で口を押さえ、背を丸くして笑う兄に、ルルーシャは驚愕で目を見開いたままゆっくりと顔を向けた。
「お兄様……今の……」
「お前の婚約者だ」
「でも、白いお耳が……」
「あったな」
「尻尾も」
「揺れてたな」
「い……犬……?」
「狼な」
目を丸くしたままのルルーシャに、エドガーは何とか笑いを噛み殺しながら答えていく。
「ここで話していても埒があかん。とりあえず入るぞ」
「え!? でもまだ心の準備が──」
言葉の途中で、エドガーは強引にルルーシャの手を引き、戸惑う彼女を応接室の中へ放り込んだ。
「──っ!!」
勢いがつき過ぎぐらついたルルーシャは、そのまま前へつまずきそうになり、ぎゅっと目を閉じて身を固くした──その時。
「危ない!」
焦りを滲ませた低い声と同時に、ルルーシャはその身を大きな手でふわりと抱き留められた。
そっと彼女の両肩に触れた手が信じられない程に優しく、動揺したまま思わず顔を上げる。
「え……?」
ルルーシャは小さく驚きの声をあげた。
目に飛び込んできたのは、心配そうに自分を見下ろしている、宝石を嵌め込んだような美しい紫の瞳。
「あの……大丈夫ですか?」
そう尋ねてきた彼の頭の上には、先ほど確かに見たはずの三角の獣の耳が、綺麗さっぱりなくなっていたのだ。
(白いお耳が……ない?)
言葉もなく固まっているルルーシャにじっと見つめられ、フィオグラウスはサッと顔を朱に染め素早く手を離すと、大きく一歩後ろへ身を引いた。
「許可なく触れてしまい、申し訳ありません。先ほど、その……驚かせてしまったことも」
顔を赤くしたまま視線を逸らした彼が、先ほど獣の耳があったはずの場所を、片手で軽く触る。
ハッとしたルルーシャは、視線を彼の太腿の辺りへ向けた。
(尻尾もないわ)
耳も尻尾も消えていることを確認すると、体からふっと力が抜け、冷静さを取り戻してきた。
(私は、初めてお会いする方になんてことを……!)
無礼にも、彼の姿を見るなり扉を閉め、さらに目の前でつまずく醜態を見せたことを思い出す。
ルルーシャは一度顔色を悪くした後、すぐさま恥ずかしさで赤くなり眉を下げた。
「謝らないで下さいませ。失礼な態度をとってしまったのは私の方です。本当に申し訳ありません。助けて頂きありがとうございました。──初めまして。エドガー・シャルトレの妹、ルルーシャ・シャルトレと申します」
慌てて非礼を詫び、カーテシーを披露すると、安堵したように表情を和らげた彼も、それに合わせ自身の胸に手を当てて軽く頭を下げた。
「私はフィオグラウス・ルノワと申します。レオドニル国から参りました、白狼の獣人です。本当に……お会いできて光栄です」
顔を上げたフィオグラウスは何故か、まるで焦がれていた眩しいものを見るように、甘やかで、それでいて少し苦しげな微笑みを浮かべている。
(この瞳……どこかで……)
澄んだ紫の瞳に見つめられ、ルルーシャの胸に不思議な感覚が広がった。
彼に会ったことはないはずなのに、どうしてかとても懐かしいような、泣きたくなるような、そんなじんわりとした痛みにも似た感覚だった。
「あの……尻尾は……」
おずおずと尋ねれば、フィオグラウスは困ったように眉を下げ、赤くなった顔を隠すように、片手で口元を覆った。
「すみません。本当は、最初から隠しておくつもりだったんです。あなたを……怖がらせてしまうと思ったので。ですが先ほどは……その、緊張して……上手くできませんでした」
憂いを帯びた瞳をちらと向けられ、「はあ……」と溢れた彼のため息が妙に魅惑的で、息を呑んだルルーシャはつられて顔をさらに赤くした。
「そ、そうですか。私こそ……すみません」
それだけ言うのが精一杯で俯くと、二人の様子を見ていたエドガーが低く呟いた。
「……とりあえず、大丈夫そうだな」
その声と表情は、普段の人を揶揄う飄々としたものではなく、見定めるような真剣なもの。
だがそれはほんの一瞬で、エドガーはパッといつも通りの余裕そうな笑みを浮かべて言った。
「いつまで立っているつもりだ。まずは座れ。これからの話をしよう」




