第37話 証拠に釣り合うもの
数刻して長官室を出たエドガーは、自身に割り当てられた副長官室へ戻り扉を開けた瞬間、驚きで固まった。
だがそれはほんの一瞬で、表情を戻し素早く扉を閉めると、応接用のソファにどかりと腰掛けた。
「……確かに鍵をかけたはずですが?」
苦笑するエドガーの正面──視線の先には、豪華なソファにゴロリと横になりくつろいでいるレナートがいた。
太い虎の尾が床に垂れ、ゆらりと揺れている。
「優秀な部下がいるからな」
悪びれた様子もなく口端を上げた王子は、傍に立つイアンを顎で示す。
黒髪から伸びる自身の角を撫でながら、イアンは困ったように笑い眉を下げた。
「手先が器用なもので。勝手に入室して申し訳ありません。ただ……状況が状況でしたのでね」
そう言った彼の隣には、白い近衛騎士服を纏うフィオグラウスと、黒の騎士服を纏う──メルトが立っていた。
それをちらと見やって、エドガーがかぶりを振った。
「いや……他に場所もないし、こちらこそ時間を作るのが遅くなって悪かった。今日くらいしかメルトを呼んでも目立たない機会がなかったんだ」
合同訓練の日、メルトからエドガー宛に普段とは違う暗号文で「レナート殿下同席で直接会う時間を」と手紙が出されていた。
時期を測っていたため二週間近くが過ぎてしまっていたが、ルルーシャがレナートの婚約者である第三王女と親交を深めるための茶会で城に来る予定があったため、それに合わせて集まることにしたのがこの日だった。
「ルルーシャお嬢様には、ユーリスと他数人の獣人を護衛につけています。ただ早く戻らなければ私の不在が目立つでしょう。手短にご報告致します」
淡々と述べるメルトの表情は、暗い。
張り詰めた空気の中、全員が彼の言葉に集中し耳を傾けた。
「──ということです。私からは以上です」
メルトが話を終えると、静寂が部屋に満ちる。
最初に口を開いたのは、エドガーだった。
「そんなことが……あり得るのか?」
驚愕に見開かれた目は、そのままフィオグラウスに向く。
部屋中の視線が、彼に集まる。
エドガーが口にした言葉は、報告を聞いた全員の心に浮かんだ疑問だった。
暫く言葉に詰まり逡巡したフィオグラウスは、やがて揺れる瞳を固く閉じ、息を吐いた。
「……あり得ます。犯人が……私と同じであるなら」
苦しげに出された声に、起き上がり足を組んだレナートが片手で顔を覆って唸った。
「フィオがそう言うのなら……そうなんだろう。だが……俺も信じられん。四十年……もしくはもっとだぞ……? 俺が同じ状況なら……恐らく気が触れてとっくに死んでいる」
「ですが、それが真実なのでしょう。ルルーシャも……恐らく犯人を見ています。彼女は確かに、私に『鳥』と言いました。メルトの報告と合わせれば、それしか考えられません」
俯くフィオグラウスがそう言うと、イアンが呟く。
「思い返してみれば……今まで一度も、あの人から我々獣人の名を呼ばれた記憶がありませんね」
長い沈黙の後、レナートが苦々しげに言った。
「メルトが『直接報告したい』と言うのも納得だ。確かに……この情報は手紙で残すのはまずい。漏れれば国際問題どころではないぞ。しかも犯人が特定できたと言うのに、今すぐに捕縛できるだけの証拠がないというのが痛いな」
「今メルトとフィオたんの証言を元に追求しても、問える罪はせいぜい書類偽装程度でしょうからね。十年前の事件との関連性を問うには……他に明確な何かがなければ……」
「それは……ルルーシャの記憶、ですか」
表情を強張らせポツリと質問を投げたフィオグラウスに、全員の視線が集まる。
怒りにも似た熱が腹から込み上げ、彼の声は震えた。
「ルルーシャは……彼女はもう限界です。これ以上、彼女の心を追い詰めるのも、危険に晒すのも……私は終わりにしたい! 許容できません!!」
批判されることを承知で、きっぱりと宣言した彼に、レナートがため息を吐いた。
「──フィオ」
低い声に、びりと頬が痺れる。
だがフィオグラスは「はい」と返事をするだけで、瞳を逸らしはしなかった。
じっと視線を交わし、ふいにレナートがグシャリと眉を下げて笑った。
「フィオ、お前は幼馴染でもある俺を、どれだけ酷い奴だと思っているんだ。彼女は重要な手掛かりを示してくれた。犯人も特定できた。だから……もういい。もう彼女の負担になるようなことを、お前に強いることはない。後は俺達だけで証拠を手に入れればいいだけだ」
「ですが、どうやって──」
「一週間後」
鋭い王子の声が、フィオグラウスの言葉を遮った。
「一週間後の妹君のデビュタントで、恐らく動きがあるだろう。犯人は不安要素である彼女を消したいのと同時に、我々を害し、同盟を白紙に戻したいと考えているはずだからな。その時に、わざと罠に飛び込んでやるしかない」
「自ら害されることで……証拠を掴むと言うことですか?」
「それが一番決定的だ。犯人は気が遠くなるような時間、命懸けで身を隠し今日まで来ている。証拠を掴みたければ、こちらも釣り合う相応のものを……それこそ、命を懸けなければ無理だろう。俺は祖国のために、その覚悟がある」
揺るがない金の瞳が、フィオグラウスを真っ直ぐに射抜く。
「フィオ。お前には、覚悟があるか? ルルーシャ・シャルトレ嬢を守るために、再び命を懸ける覚悟が」
「もちろんです」
凛とした声が、部屋に響く。
「私の心も命も、ルルーシャのためにあるのですから」
見つめ返した紫の瞳は、どこまでも澄んでいる。
「まったく……騎士のくせに、そこまでの忠誠を己の主人に向かって堂々と宣言するなんて、獣人の中でも狼くらいだぞ」
レナートはそう言って、嬉しそうに笑った。




