第36話 隠れた真意と招待状
「はあ、全く。どれだけ支援をしてもすぐに次が必要になる。本当に困った国ですよ」
国防省の長官室。
きっちりと整えられた重厚な広い部屋の中、わざとらしいため息と共に、ジャルジュの大きな声が響いた。
彼が言う「困った国」とは、獣人達の地──レオドニル国のことだ。
執務机の前に紙束を掴んで立つジャルジュは、流通の統括を担っており、各国への戦後支援や災害支援の取り纏めも行なっている。
キフェール国は、未だ戦後の復興が続くレオドニル国へ幾度となく物資を送っており、書類の最終確認を行うためにやって来た彼が、グルベアの所でぶつくさと文句を言うのも、城ではよく見る光景だった。
「仕方ないですよ。大戦から四十年が経ちましたが、国の主要箇所以外は未だに復興の只中なんです。送り続けなければ……苦しむ末端まで助けを届けることができません」
執務机で書類に目を通しペンを走らせながら、静かに言ったグルベアに、ジャルジュは肩をすくめた。
「グルベア殿は崇高なお考えをお持ちのようですが、我が国だって資源は無限に湧いてくるわけではありませんからな。自由を叫ぶには代償が必要でしょう。彼らは侵略に屈しなかったことを誇りのように言いますが、結果他国を頼るしかないならば、早々にどこかの属国にでもなっていればよかったんです。そうすれば、十年も戦を長引かせず、払える火の粉もあったでしょうに」
人の良さそうな笑みからすらすらと出てくる普段通りの批判とは裏腹に、その瞳は酷く凪いでいる。
ふと手を止めたグルベアは、視線を向けることなく尋ねた。
「……『暴力に屈した先に平和はない』……あなたの兄君のお言葉では?」
穏やかに微笑んではいるが、その声音はいささか冷たい。
ジャルジュの顔から笑みが消え、一瞬で空気が張り詰めた。
「──これは驚きました。まさか五十年も昔の兄の言葉をご存知とは。兄が政界で注目されていたのは、グルベア殿が侯爵家に養子で入られるより、十年近くも前のことですのに」
「立ち入るな」と言うような固さを含んだ声にも関わらず、グルベアは珍しくそれを無視して言葉を続けた。
「私は……侯爵の兄君の在り方には、大変感銘を受けましたから。あの方のように……私は助けたいのですよ。──苦しむ人々を」
「ほう……それは大層ご立派だ。確かに、兄は貴殿と同じように志の高い……高潔な人でした。『暴力に屈した先に平和はない』……そう言って、国防省の副長官にまでなった後も、大戦に突入したばかりのレオドニル国のために奔走していたのも事実。しかし──」
声を低くし無感情で話すジャルジュは、一つ息を吸うと、ゾッとするような微笑みでからりと言った。
「しかし、兄は死にました。五十年前……助けるために奔走したはずの、獣人どもの暴動に巻き込まれて」
拒絶を示すように、確認のサインが終わった書類をグルベアの机から抜き取る。
「世界中が混乱していた時代です……。兄が巻き込まれた暴動以外にも、街は燃え、死体が積み上げられ、非人道的な開発や実験も山ほどあった。それはわかっておりますとも。被害にあった獣人や鳥人が未だに苦しんでいるのも、承知の上。ですが……正面から戦うことだけが……高潔であることだけが平和への道だと、私は思いませんな」
「それで尊厳が踏み躪られたまま……侵略を許容するべきだったということですか?」
低く問うグルベアの声音が、固い。
「結果十年も苦しまずに済むのなら、それも一つの道だったでしょう」
「私は……そうは思いません。蹂躙した者の下に降ったとして、それは生きているとは言えません。心が自由であることが大切ではないでしょうか」
「心だけを尊ぶならば、死体が増えます。生きてこそ何かを成せると私は思いますがねぇ。それこそ……私の兄は何も成せずに死んだのですから」
ジャルジュは掴んでいた紙束をグルベアの前に突き出し、「早くしろ」とばかりに次のサインを促す。
確認を終えたグルベアは、ようやく視線をジャルジュへ向けた。
少しこけた頬は青白く、金縁のメガネに垂れたうねる前髪の奥、切れ長の黒い瞳が鈍く光った。
「ジャルジュ侯爵は──獣人を今でも恨んでいらっしゃいますか?」
そう尋ねた薄い唇には、生気がない。
ジャルジュは彼を見下ろしたまま、微笑んで答えた。
「善意を仇で返された兄も、そして兄を失った私も……そうですな。グルベア殿の言葉をお借りするなら──獣人によって『尊厳は踏み躙られたまま』ですよ」
「侯爵、それなら──」
グルベアが続く言葉を放つ前に、長官室の扉が叩かれた。
「長官、エドガーです。失礼致します」
ノックとほぼ同時に入室してきたのは、書類を抱えたエドガーだった。
入るなり緊迫した部屋の空気を感じ、向かい合っているグルベアとジャルジュに視線を向けると、訝しむように片眉を大きく上げた。
「ジャルジュ侯爵閣下。私と遊ぶだけでは物足りず、長官にまで喧嘩をふっかけていらっしゃったんですか?」
はあ、と大きくため息を吐くエドガーに、ジャルジュは腹を抱えて笑った。
「はっはっは! 一瞥で私を悪者に決めつけるとは、エドガー殿は長官贔屓がすぎるのでは?」
「おおかた、あなたが言葉遊びで突っかかったんでしょう」
「確かに、それはその通りですな。まあ、グルベア殿は些か真面目すぎますから、次からはやはりエドガー・シャルトレ侯爵殿に、この老いぼれの相手を願いましょうかね」
「健康に悪そうなのでご遠慮します」
出会って早々に軽口の応酬が始まり、グルベアは頬杖をついて眉を下げた。
「お二人は仲が良いのか悪いのか、全く掴めませんね」
「どう見ても悪いでしょう。それで……そろそろお返事を頂けますか?」
先に書類の裁可を待つジャルジュを無視して、エドガーが自身の書類を机に差し広げながら尋ねると、グルベアはバツの悪そうな笑みを見せた。
「ああ……そうですよね。お待たせしてしまって申し訳ないのですが……やはり欠席させて頂こうかと……。ここの所、調子もあまり良くなくて。妹さんのせっかくのお祝いの場で、体調不良を起こしてしまっても悪いですから……すみません」
エドガーが催促した返事とは、侯爵家で開かれるルルーシャのデビュタントパーティーの参加についてだ。
親獣派の貴族を中心に招待しているのだが、会を一週間後に控え、出欠の返事をしていないのは、残すところグルベアだけだった。
さらさらと修正の指示を書き足された書類を受け取りながら、エドガーは表情も変えずに軽く頷いた。
「いえ、お気になさらず。長官のご体調については重々承知していますから。まあ……久々に王都に来る父は残念がるでしょうが」
苦笑まじりにそう言えば、ジャルジュが会話に割って入った。
「エドガー殿。私には招待状は頂けないのかな?」
「お忙しいとお聞きしています。お気遣いありがとうございます」
間髪入れずににこりと綺麗な笑みでエドガーが言うと、ジャルジュはまた笑った。
「貴族言葉でのお断りが滑らかすぎる! いやいや、私は本心で尋ねておるのよ。招待しては貰えないのかね?」
「では私も本心でお聞きしますが、なぜあなたを?」
真顔でさらりと返すエドガーに、ジャルジュが吹き出す。
「はっはっは! 相変わらず豪胆な男だ!! まあまあ、エドガー殿。派閥は違えども、私はね、妹君にぜひ祝辞を述べたいのですよ。この前の合同訓練でご一緒させて頂きましたでしょう。何とも可愛らしい妹君だ。あんな孫娘がおれば……と思ったわけですよ」
ニコニコとしている侯爵に、エドガーは毛虫でも見るように目を細めて冷ややかな一瞥をくれた。
「お気持ちだけ頂いておきます。せっかくの祝いの日に、妹の前であなたと口論になる訳にもいきませんし」
ジャルジュは肩をすくめると、残りの書類をグルベアから全て受け取り、わざとらしくため息を吐いた。
「それは何とも残念だ。ではせめてもの気持ちとして、祝いの水でもお贈りしましょう」
祝いの水とは、貴族の中では乾杯用の酒を指す言葉だ。
エドガーは隠しもせずに迷惑そうな顔をする。
「手配は済んでおりますので、結構です」
「そんな事を言わずに。獣人どもは大酒飲みが多い。いくらあっても足りんでしょう」
問答が面倒に感じて来ただろう頃合いを見計らい、グルベアが苦笑しながら言った。
「エドガー君、とりあえず受け取ると言っておあげなさい。ジャルジュ侯爵はこうなると意見を曲げませんし、せっかくの祝いの品です。どの商会から仕入れるかなどは、私も確認しますから」
「長官がそう仰るなら……」
「では、話はもういいですね。──ああ、そうだ、ジャルジュ侯爵。レオドニル国へ送る物資に、他の省からも追加がありますので、今回は私が最終の輸送手配を行います。書類をこちらへ回しておいて貰えますか?」
「かしこまりました。すぐにお持ちしましょう」
ジャルジュはそう言うと、大きな腹を揺らして部屋を出て行く。
「──さあ。嵐は過ぎましたし、黙って働きましょうか」
パン、と両手を合わせて微笑んだグルベアの瞳は、夜の海に似た、闇の色をしていた。




