第28話 気付き
「そんなに目くじらを立てることでもないでしょう」
さらりと流そうとするジャルジュに対し、グルベアはさらに視線を鋭くし、低く言葉を重ねた。
「あなたの発したそれは、鳥人を蔑む言葉です。見逃すことはできません。撤回しなさい」
厳しい声音に、ルルーシャは自分が糾弾されている訳でもないのに指先が冷え、息が詰まる。
怒気を孕んだ瞳に恐怖すら感じたその瞬間、重鎮が集まる観覧席のみならず、会場の控えの騎士たちからもワッと大きな歓声が上がった。
「おおー!!」
「いいぞ、ユーリス!」
「左を狙え! ああ、惜しい!!」
入り混じる人々の興奮した声が沸く。
ビクリと肩を震わせてそちらを見れば、空を舞うユーリスが楽しげに笑いながらキフェール国の騎士たちの間を旋回して飛び、四方から放たれている矢を華麗に躱している所だった。
「……彼は……ユーリス殿は、本当に楽しそうに飛ぶんですね」
同じようにユーリスに視線を向けたグルベアが、小さくそう呟く。
彼の瞳には、まるで届かない希望を見るかのように苦しげな熱が見えた気がした。
膝の上で怒りを抑えるように重ねて握り込まれた両手は、上に重なる爪が下の甲の皮膚に食い込み、血が滲んでいる。
ルルーシャは躊躇いながらも声を掛けた。
「あの……グルベア様、手が……」
「え? ──ああ、つい。……気を使わせてしまいましたね。すみません」
未だ張り詰めてはいるが幾分空気が柔らかくなったグルベアが、ジャルジュへ向くこともなく静かにため息を吐いた。
「侯爵……あなたの言葉は、これまで犠牲になった鳥人全ての命を踏み躙っています。次はありません。肝に銘じてください」
「いやいや、すぐに撤回しましょう。先程の言葉はなかったことに。グルベア殿ほど、レオドニル国の問題にお心を砕かれている方もおりませんからな。私が軽率でした」
滑らかにそう口にしたジャルジュへ、グルベアの返事はない。
急激に凪いだ彼の瞳が見つめる先では、ユーリスが大きな黒い翼を羽ばたかせ、まるで活劇でも上演しているかの如く、皆から声援を浴びていた。
小柄な猫の獣人の両足を掴んで太陽を背に高く飛んだユーリスは、逆さになって剣を構える彼と共に、キフェール国の騎士達へ向かって急降下して行く。
豪快に笑いながら騎士達を薙ぎ倒し、猫の獣人を敵陣へ放り投げると、再び間を縫って飛び、空へ急上昇しながら矢をいなす。
風を巻き起こして敵味方関係なく視界を塞いだかと思えば、今度はサイの獣人を背に乗せ飛んでいく。
あまりに自由な戦いぶりに、敵も味方も、彼ばかりを目で追っていた。
「……城でユーリス殿と初めてお会いした時は、本当に驚きました。書類上、今では『鳥人』も『獣人』と表記されますから」
視線を逸らすことなくグルベアが静かに言うと、ジャルジュが続ける。
「鳥人自体が珍しい上に、獣人と共に暮らす者など、さらに珍しいですからな」
ルルーシャは、二人がユーリスを通して鳥人と獣人の歴史のことを話しているとわかった。
これまでの長い時間の中で、人間と獣人が争い続けていたのと同じく、獣人と鳥人も、その関係は決して穏やかなものではなかった。
今ではレオドニル国に統合され『獣人』として区分されている鳥人だが、元々は全く別の人種として、国や言語さえ違っていた。
卵を産み、違う言葉を話し、鳥人同士でしか子を成せない彼らを、獣人は長い間『人』ではなく『鳥』として扱っていた背景がある。
鳥人が動物や奴隷のように扱われた時代が長く続き、争いは絶えず、五十年前に起こった世界中を巻き込む戦争で、彼らの数は一気に激減した。
四十年前に終戦を迎えて国も言語もレオドニル国に統合されたが、国内では未だに獣人と鳥人との間には確執が残っているらしい。
屋敷での勉強会で詳しく説明して貰った時、悲しい顔をするルルーシャに、ユーリスは肩をすくめてからりと笑った。
「まあ、それでも、俺は俺です。若が好きだし、メルトも好きだし、誰と一緒にいるかは俺の自由です」
胸を痛めながらぼんやりと試合を眺めるルルーシャに、グルベアが言った。
「……侯爵が放ったのは、ユーリス殿を侮辱する言葉です。あの言葉は、獣人に隷属させられている鳥人を意味しています。自由に生きる彼を『奴隷だ』と言ったも同然です」
──地を歩く鳥。
ジャルジュが言った言葉が脳裏に浮かび、スッと心臓が冷える。
(そんな意味の言葉だったなんて)
衝撃を受けるルルーシャに、グルベアは空高く飛ぶユーリスを見つめたまま、淡々と告げた。
「ルルーシャさん。厳しいことを言いますが……与えられるだけではなく、自ら色々なことを知って下さい。彼らは……常に悪意に晒されています。放つ本人が悪意と捉えていなくとも、その棘は刺さります。あなたがものを知らなくては、先程のようにいざという時、大切なものを守れません」
「は、はい。ご忠告ありがとうございます。努力します」
手だけでなく、顔からも血の気が引いていく。
ルルーシャが気を引き締め返事をすると、ジャルジュが肩をすくめた。
「手厳しい限りだ。──おや、なかなか面白い状況ですな」
視線をまた会場に戻せば、ユーリスの脚に騎士の一人がしがみ付き、両者が至近距離で剣を交えながら空中を乱高下していた。
「二戦目からはまともな騎士が揃っておるから、獣人側も手を焼いとるようだ」
地でも空でも乱戦が続き、さらに追加で矢を放たれたユーリスが叫んだ。
「だーーーーもう面倒くせぇ!!」
それと同時に大きくばさりと翼を広げ、一気にその場で急旋回して騎士を吹き飛ばすと、向かってくる矢も一気に弾くために竜巻のような風を起こした。
会場全体が一瞬ごうと暴風で舞い上がった砂埃に晒され、ルルーシャは思わず顔を背けて目を瞑る。
きっと観覧する者たち、全員が同じ動きをしたはずだ。
だが風が通り過ぎ、グルベアの方へ顔を向けたまま瞼を薄く開けたルルーシャは、驚いた。
「──え?」
目の前のグルベアは、しっかりと目を開け上空を見ていた。
いや、実際に彼が見ていたのは、空ではなく──。
「──ルルーシャ!!」
瞬間、フィオグラウスの焦った声と同時に、ルルーシャの体がきつく抱きしめられ、視界が狭まる。
(フィオグラウス、様──!?)
何が起こっているのかわからず、彼の肩越しに周囲へ視線を向けると、高く跳ぶメルトが上空で剣を振り抜き、ルルーシャへ向かってきていた何かを弾き飛ばしたのが見えた。
カーンと硬質な音をたて、観覧席の縁に当たった一本の剣が会場へ落下していく。
飛び込むように降ってきたメルトは、グルベアの肩から背へするりと体を支えるように手を滑らせ、グルンと一度回転して侯爵の後ろへひらりと着地した。
その目はいつもながらの無表情ではあるが、自身の手を見つめ、何故か驚きと困惑を映している。
呆然とその様子を眺めていると、体を離し彼女の前で片膝を立て屈んだフィオグラウスが、ルルーシャの顔を心配そうに覗き込んできた。
「ルルーシャ、大丈夫!? 怪我はない!?」
三角の耳がぺたんと倒れ、焦りで眉間には深く皺がよっている。
ルルーシャは呆けたまま、素直に疑問を口にした。
「あ……あの、今……何が?」
怪我がないことを確認し安心したのか、「無事でよかった」と大きく息を吐いたフィオグラウスが、再びルルーシャを優しく引き寄せて抱きしめる。
それと同時に、席まで飛んできて降り立ったユーリスが勢いよく頭を下げた。
「お嬢、本当ごめん!! さっき飛ばした騎士の手から剣がすっぽ抜けてたの気付かなくて、俺が風で全部巻き上げてたっぽい!!」
「私達が間に合わなかったら本当に危なかったぞ! 大雑把に戦うから、こんなことになるんだ!!」
ルルーシャを抱きしめたまま、フィオグラウスが嗜めるように鋭い視線をユーリスへ投げる。
その様子を見て、ジャルジュが大笑いした。
「お前達、もしやあの砂埃の中で上空の剣を見つけて、しかもこの壁を直に駆け上がって来たのか!? はーはっは!! 信じられん!! 私には何も見えんかったぞ? 人間にはできん! まさに獣だな!!」
「ジャルジュ侯爵、おやめなさい」
顔色を悪くしたグルベアがピシャリと言えば、ジャルジュが興味深そうにニヤニヤしたまま口を噤む。
まだ事態を飲み込めていないルルーシャの両手を、フィオグラウスがそっと包んだ。
「ルルーシャ、手が冷たくなってる」
言われて自身の手に意識を向ければ、彼の手を熱いと感じる程に確かに冷え、微かに震えている。
気付いてしまえばそれまでの緊張と息苦しさを一気に自覚し、ぐわりと胃を掴まれたような不快感に襲われ、ルルーシャは全身から一気に血の気が引いた。
(何、これ……)
ゾワゾワと這い上がるような恐怖に侵食され、視界がぐるぐると回る。
「ルルーシャ!!」
倒れこむ彼女を咄嗟に抱き止めたフィオグラウスの声を遠くに感じながら、ルルーシャの頭の中には、ずっと心に引っかかっていた言葉がこだましていた。
──地を歩く鳥。
だがその言葉を囁くのは、ジャルジュの声ではない。
(これは……誰……?)
嘲笑を含んだしゃがれ声を脳裏に聞きながら、ルルーシャは意識を失った。
ここまでお読み頂きありがとうございます(*´꒳`*)
これから少しずつ、過去の事件の詳細が明らかになっていきます。
忘れた記憶、二人の距離はどうなっていくのか、見守って頂けると嬉しいです。
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